第14話:月夜

 それは、全くの偶然だった。


 ユーラシを待っている内に、狩りの疲れからか知らぬ間に寝入ってしまっていた創慈が目を覚ましたのは本当に偶然だった。

 なぜ起きたのか。窓から流れ入った冷気に気が付いたのか?それとも単に眠りがまだ浅かったのか?……理由は何でも良いし、この場においては……もうどうでもよいことだった。


 意識が覚醒した創慈は眠気眼を擦り、酷く緩慢な動きで外れていた眼鏡を掛け、ふと不思議な寒さに気付き、風を感じる方へ首を向ける。

 窓が開いていた。そしてその枠に足を掛ける者も、そこにはいた。月明かりを背に受けて、黒の外套を纏い、暗い影を落とす小柄な女性のシルエットが。


 見慣れたユーラシのシルエットが。


「ユーラシ……?」


 影は何も言わない。月に照らされる彼女に、創慈どこか芸術めいた美しさすら感じた。


 何か、自分は夢でも見ているのだろうか?

 ふと創慈の中にそんな思いが過る。だが、不幸にもそれは……今、目の前に映る光景は夢などではなかった。


「ホト」


 静かに、ユーラシの聞き慣れた声が何者かを呼んだ。創慈がこの一か月半の間に、一度たりとも聞いたことのないその名前を。

 そしてその者はユーラシの呼びかけから一秒も経たず、ユーラシの脇を抜け窓から現れた。それは黒い外套に身を包んだ細身の男だった。


「ユーラッ……!」

「『静寂なるサイレント』」


 何かがおかしいと思いつつ、彼は咄嗟に彼女の名前を叫ぼうとした。しかし創慈の声は不自然に急停止し、以降口から洩れる空気は何の音も形取らない。彼は驚き、思わず喉に手を当てるが一体自分の身に何が起きているのか、そして何をされたのか全く分からなかった。

 さらに、創慈の体に訪れる異変はそれだけに留まらない。


「『自由の忘却フル・バインド』」

「……ッ!」


 身体が、倒れる。男の声が聞こえるや否や、突然指先すらピクリとも動かなくなり、まるで糸繰り人形の糸が切れたかの様に創慈は文字通り膝から崩れ落ちた。


(体が動かない……ッ!?いえ、むしろこれは……体の動かし方が分からない……ッ?!)


 それはあまりにも不可解で気味の悪い感覚だった。まるでど忘れしてしまったかのように、今まで自分がどうやって体を動かしていたのか思い出せなくなったのだ。それは言語化しようとすればするほど、絡まる思いだ。

 そうして崩れ落ちる間際、創慈の脳内は大量の疑問符で埋め尽くされていた。

 一体今何をされたのか、そもそも何が起きているのか、ユーラシは……何故こんなことをしているのか。全く分からない。いや、理解したくなかった。


「わりぃな、ソージ。ちょいと大人しくしといてくれ」


 ようやくユーラシが口を開く。それと同時に窓から部屋に侵入し、倒れ伏す創慈の傍に寄る。

 そしてユーラシはうつ伏せに寝転がる創慈の腕を取り、後ろ手に荒縄で縛った。


「入ってきていいぜ、ノロン、ボグ」


 再びユーラシが知らぬ者の名を呼んだ。すると、ホトと呼ばれた男とユーラシと同じように、窓からさらに黒の外套に身を包む二人の男が部屋に侵入してくる。片方は大柄で、もう片方は小柄だ。


(この人たちは一体……?!)


 声も出せず、身体も動かない。この様な、突然の襲撃と惨劇に、もう創慈の頭はいっぱいいっぱいだった。そこでユーラシが跪き、倒れ伏す創慈の顔を持ち上げる。至近距離で、ユーラシと創慈の視線がぶつかった。


 困惑に濡れた創慈の瞳に、ユーラシは顔を歪めかけるが努めて平静を保ち、ニヒルな笑みを浮かべる。そして、創慈とユーラシを囲む三人の男に言い放った。


「予定通り森へ向かう!ノロンはコイツを担げ!」


 その瞬間、創慈の体に浮遊感が襲った。ノロンと呼ばれた大柄な男が創慈を脇に担いだのだ。そしてそのまま、勢いよく窓から飛び出す。夜の外気は、酷く凍てついていた。創慈は、いつの間にか動くようになっていた体をブルリと震わせる。

 しかし、謎の金縛りは消えても、縄という物理的な拘束は無くならない。結局なす術なく、創慈は担がれたまま揺さぶられることになった。


 夜の闇が彼らを隠す。

 月の輝く空の下、リーンリラ森林を目指して創慈を襲った四人は街を疾走する。

 誰もいなくなった宿屋には、彼の白衣と彼女への贈り物が残されていた。





――――――同時刻。


 リーンリラ森林と面した関門、普段はこの街を拠点とする狩人たちが良く利用する街門だが、今ばかりはそこには一風変わった者共が佇んでる。

 十四の黒の鎧に、一つの金。総勢十五名の騎士が隊列を成していた。


「アズドミナ団長。隊列、準備、完了致しました」

「あぁ」


 十四人の前に立つ金色の鎧を着た男、ガーミナル・アズドミナへ彼らの隊長格を担う男が報告をする。ガーミナルはその報告に頷いた後、ざっと隊員の顔を見渡し、何の感情も表情に出さずに口を開き始めた。

 今から行うことの、最終確認。全員に通達はされているが、一切の齟齬を無くすための"宣言"だ。


「我々は今よりガラシャラ盗賊団の討滅に出立する。奴らの拠点は大凡リーンリラ森林の中だと予測されているが、正確な位置までは確認出来ていない。そこで、三つの小隊に分かれ捜索を行う。その中での指揮系統および臨機応変な作戦立案は各々が行っていい。どんな手段を用いても奴らを炙りだせ。そして拠点を発見した隊は速やかに私に報告を……彼奴との戦闘行動は全て私が行う」


 そこで言葉を止め、今一度全員の表情を確認する。そして十分に伝わったことを理解すると、おもむろに背中に背負った無骨な大剣を抜き放ち、月へ掲げる。大剣は淡い月光を反射し、身震いする様な妖しい光を湛えていた。


「長年に渡り王国を荒らした盗賊どもは、今夜月の下で死ぬ。総員……出撃」


 感情こそその声には宿っていない、だがまるで飲み込まれるような覇気を騎士たちは感じた。


 中には、彼を直接見たのがこれが初めてだった者もいる。声を初めて聞いた者もいる。それでも、たった今、全員が改めて理解した。理解させられた。


 "彼が王国最強……これが王国最強、我らが騎士団の頂!!"


 最早彼らの中に、これから始まるであろう殺し合いへの恐怖も不安も無かった。この男について行けば必ず勝てる。敗北などありえない。

 そんな揺るぎない確信が、目に強い光を灯す。自然と、腰に帯びた騎士剣に手が伸びる。


『おぉッ!!』


 それは全員が同時だった。各々が剣を抜き放ち、団長と同じ様に月に掲げる。夜襲が故に、鬨を上げることは出来なかったが、それでも、短くとも大声を出さずにいられなかった。


 満月の光が彼らを照らす。

 月の輝く空の下、彼らはリーンリラ森林に向けて……"盗賊団討滅"に動き出した。

 そう、誰一人として……ガーミナル以外に、"勇者"のことなど何も知らずに。




「よし、見張りの衛兵はいねぇな。ここから街を出るぞ。ホト、頼む」

「あい、姐さん。『運び往くフライ』」


 そこは、街をぐるりと囲う高い塀の下だった。彼らは衛兵の眼を掻い潜るべく街の横っ腹から脱出、創慈の誘拐を目論んでいたのだ。


 ユーラシの合図を受けたホトが、風を纏い浮遊する。そしてそのまま、塀の上まで飛んでいった。そしてそれからすぐに、上から縄梯子が降ってくる。

 ユーラシは何度か縄梯子を引っ張り、しっかり固定されていることを確認するとまずは創慈を担いでいるノロンに登るよう指示した。それを受けたノロンは創慈をしっかりと左腕で抱いて固定し、器用に三肢で登っていく。後ろにはボグ、ユーラシと続いた。


 登り切ってから、ユーラシは担がれて目線の高くなった創慈と一瞬目を合わせる。しかし、すぐに顔を背けた。その顔が、呆然とした喪失感が漂うその彼の表情が、あまりに痛ましかったからだ。ユーラシは誰にも見えない様に、胸をギュッと掻き抱いた。

 覚悟は既に決めている。もう、ここまで来たのなら立ち止まれない。進むしかない。

 ユーラシは今一度、自分に言い聞かせるように決意を胸で唱えた。


「姐さん、見張りがいない今がチャンスだ。さっさと行っちまおう」


 塀に登ってから動かないユーラシを訝しみながら、ボグがそう提言した。ユーラシはそれにすぐ、あぁとだけ返して十五メートル程もある塀の上から飛び降りる。他の三人もそれに続いた。


 再び闇に紛れ、疾走する。

 そうして森林と街の間に広がる草原を抜け、彼らは森の中腹に姿を潜ませた。頭上は枝葉に塞がれており、辺りは完全に暗闇だ。微かに月の明かりが隙間を刺して漏れているが、視界は極端に悪い。

 故に身を隠すのに適している訳なのだが。


「ここまでは予定通りだ。ボグ、拠点に伝言を」

「了解!」


 ボグは元気よく返事するや否や、森の中へ消えていく。そう、ここまでは彼らが事前に立てた作戦通りだった。

 創慈を捕え、森まで運んで潜み、捕縛成功の伝令を送る。

 そしてここからは、伝令を受けたアジトのガラシャラと待機団員が行動を開始。先に帝国方面へ森を抜けている別動隊との合流を目指す算段だった。この三部隊に分かれるのは、同時に動く集団を大きくさせ過ぎないことが主な目的であった。


 ボグを見送ったユーラシは、少し気の抜けた様に深い息をついた。ここまで来たのなら概ね作戦は予定通りに遂行されるだろうとユーラシは考えていたからだ。ちなみに一番気を張っていたのは、街を抜け出すタイミングで衛兵に補足されまいかという点だ。だがそれも何故か手薄で、あっさりと街を抜けてしまえたのは僥倖か。


「ノロン、ホト。ボグが戻ってくるまでちょっと休憩してろ」


 ユーラシは男たちにそう告げるや、今まで見ないようにしていた創慈に気を向ける。

 ボグが返戻してくるまで少々時間があるだろう、創慈と少しくらい対話する時間くらいは、と考えて。


「ホト、魔法を解いてやってくれ」

「えぇ?姐さんいいのか?予定と違うぞ」

「……あぁ、いいんだ。ソージ、間違っても騒ぐなよ」


 ホトはやれやれと首を振りながら溜息を吐きつつ、指を鳴らした。そこから魔力の波が飛び、創慈に掛けられていた音封じの魔法が解除される。

 だが、創慈は地面に俯いて座ったまま何も言葉を発さなかった。そんな様子にユーラシは胸に氷の針が刺さったような、冷えた痛みが通り過ぎていくのを感じる。


「……あー、ソージ。その……」

「ユーラシは僕を売り飛ばすつもりですか?」


 詰まる言葉を押しのける様に、創慈から少し早口に言葉が放たれる。表情は見えない。だが、その声のトーンや色は気味が悪い程"無"だった。


「……あぁ」


 ユーラシは零れ落とす様に答えた。それが間違いのない、本当のことなのだから。

 今から彼は、数ある特異技能ユニークスキルの中でも飛び切り特別な"勇者"の力を欲した、ガルベザン帝国に差し出されるのだから。


 しばし無言の時間が流れる。そして再びその静寂を切り裂いたのは、創慈だった。


「……ユーラシは言ってましたね。"僕の様な力を持つ人間はどんな宝石よりも貴重"だって」

「……あぁ」

「だから僕を……最初からこうするつもりだったのですか……?」

「……あぁ」


 ユーラシは肯定することしかできなかった。今創慈が俯いていて、ユーラシの表情を見ていないのは彼女にとってある種僥倖でもあった。何故なら、彼女の顔は酷く歪み始めていたから。

 部下である男たちも、気不味くて仕方のない、居心地の悪そうな表情を浮かべている。


「……今までの……この一か月半は全部、嘘だったので――――」

「嘘じゃない!……嘘じゃ……ッない……!」


 ユーラシが創慈の言葉を断ち切る様に叫んだ。今、自分達が潜伏をしていることも忘れて。

 そして、萎む様にもう一度同じことを言う。だがこれ以上のことは言えない。何を言えばいいのか彼女には分からなかった。ただ、彼との思い出を否定したくなかっただけだ。例え、それが身勝手で自分本位な想いでも。

 しかし、涙だけは堪えた。必死に歯を食いしばって、拳を握って、彼にそれだけは見せまいとした。


「そう……ですか……」


 そうして、創慈がそう零す様に言ってから、もう口を開くことは無かった。そこには痛いほどの静寂があった。






 そうして幾ばくか時間がたった頃、ポツリとノロンが呟いた。


「姐さん、ボグの奴遅くないか?」

「……確かにな。アイツの足ならもうとっくに返ってきてるはずだぜ姐さん!」


 ノロンの呟きにホトが便乗するようにユーラシに投げかけた。かくいうユーラシも薄々妙だと感じていたらしく、二人の言葉に頷いて何かを考えている素振りを見せる。

 と、その時だった。


「こっちに誰かいるぞぉ!」


 この場の誰の声でもない、精強な声が聞こえてくる。そして、その声の主はすぐに森の影から姿を現し、それを追う様にもう一つの影が出てきた。

 黒い鎧。鋼の剣。間違いない、薄暗くて視認しずらいが"黒鉄騎士団"の団員だ。


「姐さん!」

「あぁ!ホトは創慈を引いて魔法で迎撃しろ!アタシとノロンで押さえる!!」


 創慈以外の全員が一気に戦闘態勢に入る。ユーラシとノロン、騎士二人は闘気を漲らせ、今すぐにでも衝突が始まりそうな雰囲気が溢れ出す。

 拘束されている創慈の体を後ろに退いたホトも、魔力を滲ませいつでも魔法が放てるように準備しており、一触即発だ。

 そんな中、騎士が口を開く。


「夜狩りの狩人……じゃあねぇよなぁ。今日は門からは誰も出られない様にしている。お前らは盗賊……ガラシャラ盗賊団の一味だな?!何でこんなとこで潜んでるかは知らねぇが覚悟しろ!薄汚ぇ悪党どもがぁ!」


 騎士が気を吐き、二人同時に突進を繰り出す。流石に訓練された騎士であり、生粋の戦士であるためその勢いと鋭さは十把一絡げの狩人とは訳が違う!

 闘気を十分に纏い研ぎ澄まされた騎士の剣が、貫く姿勢を取ってユーラシに肉薄する。

 だが、ユーラシもただで刃を届かせるほど弱者ではない。


「あめぇッ!」


 ギリギリまで引き付けて、紙一重で躱す。そしてそのまま蛇のように滑らかな動きで騎士を駆け上がり、首に足を掛ける。その後は一瞬だった。


 素早く逆手に持った短剣を、深々と首に突立てる。いくら闘気で身を守ろうと、同じ様に闘気を纏った刃は防げない。

 即座に起動と脊椎を破壊された騎士が、物言わぬ肉塊となって地に落ちた。


 そして、ノロンとぶつかったもう一人の騎士も、概ね同じような末路を辿った。最も、ノロンは素手での戦闘を得意とするため破壊箇所が多いが。

 こうして戦闘が終わったが、ユーラシの顔は晴れない。寧ろ、先ほどよりも切迫した表情を浮かべていた。


「クソッ!まさかもう討伐が始まってんのかッ?!早すぎるだろ……ッ」

「姐さん、どうする」


 ユーラシはホトの言葉に逡巡した後、一筋の汗を流し口を開いた。


「……恐らく、ボグはやられちまったか動けねぇ状態だ……ッ。そして、この状況もアジトには……親父には伝わってねぇはずだ……ッ」

「……行くのか……?」

「あぁ、アタシと……ノロンでアジトに戻って、状況を伝える……!騎士がアタシ達を探してるから戻るのも危険だけど、やるしかねぇ……ここでアタシらが危険を冒さなきゃこの危機は乗り越えられねぇ!」

「姐さん、俺とこいつはどうすりゃいい」


 方針が定まっていく中、ホトが口を挟む。


「……この場でまだ潜んどいてくれ。ソージを担いで森を抜けるのは、今この状況じゃ難しい。アタシらがアジトに戻って何人か人手を借りてくるから、戦力を整えてから進もう」

「了解だ、姐さん」


 盗賊たちの眼に強い光が、決意の光が灯る。それと同時に、彼らの背後からはヒタヒタと死神が歩み寄ってきていた。三人は、それを何よりも強く感じていた。


「覚悟出来たか?行くぜ」

「おう!」


 ユーラシとノロンが跳ぶ。

 己が全ての力を用いて、彼らは森を駆けた。ただ深く、暗い森の奥に。

 そして創慈はそれを、じっと見つめていた。


(ユー……ラシ……!)


 後ろ手で縛られた腕を、伸ばしたくとも伸ばせないまま。

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