第12話:破綻
「よう、ユーラシはいるか?」
「……アンタはいつも突然現れるねぇ、ガラシャラ。ユーラシなら昨日出ていったよ」
薄暗い路地の中に建つ薬屋の中にあった静寂は、男の野太い声で切り裂かれた。しかし、ここの店主にとっては特段驚くような事も無く、安楽椅子の上から本越しにその男を睨みつける。
ガラシャラ。ユーラシが親父と仰ぐ男で、彼はとある盗賊団の頭領だった。そしてこの薬師とも、そう短い付き合いではなかった。
さほど体格が良い訳でもなく、老いによる皮膚の弛みや皺が随所に見られるが、引き締まったその体躯からは歴戦の古強者の雰囲気が滲みだしていた。
「そうかい、まぁいい。今日はお前に会いに来たんだ」
「へぇ、随分と殊勝なことを言うもんだねぇ。アタシみたいなこんな婆を捕まえて、アンタももうすぐジジィのくせに元気だねぇ……ヒヒヒ」
ガラシャラの言葉を思いっきり曲解してやり、薬師は彼を揶揄った。もちろんそんな気が無いのは分かっているし、あっても困るのだが彼女は彼の嫌がる顔を見るのが好きだった。事実、揶揄われたガラシャラは酷く顔を顰め、舌打ちをして話し始める。
「チッ、相変わらずなこった。……あぁでも、そのしわくちゃの化け皮脱いで相手してくれんなら是非も無いぜ?"サニラ"」
イタズラを思い付いたかの様にニヤリといやらしい笑みを浮かべて、サニラと口にした瞬間……尋常でない魔力が薬師から放たれる。それに呼応してか、部屋の中にある魔力を含む薬器や薬の素材、既に完成している薬瓶がカタカタと震えだす。そしてその暗い感情と彼女自身の持つ属性が混ざり合って、ガラシャラにじっとりとした嫌な湿り気が纏わりつき始めた。
「……アンタ、意地が悪いよ」
「ヘッ、悪かったよ。落ち着け」
とても枯れ木の様な、小柄の婆の眼力ではなかった。そこには強い嫌悪と怒り、そしてそれらを十二分に叩きつける覇気が篭っていた。
しかしガラシャラは一歩も引くことも無く、寧ろ闘気でやんわりと押し返しながら落ち着けと言った。さらに言えば、悪かったと言いつつもその顔は全く悪びれていない。それどころか嫌がらせの仕返しが出来て清々した顔をていた。
そんな様子に薬師はこれ見よがしに溜息をつき、魔力を散らした。そして鼻をフンッと不機嫌に鳴らし、手痛い仕返しだねと呟きながら尋ねる。
「それで?要件は?」
「あぁ、そうだったな。まぁ、そうだな……何つーか……」
「なんだい!ハッキリしないねぇ!らしくもない!」
この期に及んで、頭を掻いて何と言おうか口をモゴモゴとさせるガラシャラに、薬師は苛立ったように叫んだ。しかし、そんな彼の様子にただならぬモノを感じていたのは確かだった。
「俺は……俺たち盗賊団は、帝国に戻る」
「……ちゃんと説明しな」
「あぁ、そうだな。事の発端は五ヵ月前だ――――」
「だから、お前とはもう今日で最後だ。精々、長生きしろよ」
話し終えてから、ガラシャラは今日本来言いに来たこと口にした。そして後ろ手にヒラヒラと手を振って扉に向かい、薬屋から出ようとする。しかしその直前、ふと魔力を感じ振り返った。
そこにいたのは、小柄な婆……ではなく安楽椅子で足を組みながら座る妙齢の長身女性だった。度重なる歳月を経てもなお、色濃く残るかつての美貌は年相応の貫禄を湛えており、一種の覇気として彼女の体に纏われている。
彼女は肘置きに立てた片手で頭を支えながら俯いており、口元は少しだけ震えていた。
ガラシャラは何も言わず、彼女の言葉を待った。
「……アンタは今、崖の縁にいる。その最後の一歩を、私が止めたって盗賊団って家族の為にアンタは何の躊躇も無く踏み出すんだろうね……アンタはそういう男だ。……落ち始めたら最後、何処かへ辿り着くまで、もう自分の意思じゃ止まれない。運命が動き出すってのはそういうもんさね……ひょっとしたら、もう動き始めて既に止められないのかもしれないけれど。………………誰にもあの子は御せないよ、それが運命ってもん……だからね」
「…………あぁ、知ってる」
今度こそ、ガラシャラは振り返らずに店を出た。彼はもう進み続けるしかなかった。別に往ける道などなかった。全ては家族の為、そして娘のユーラシの為に。彼は最後の一歩を、踏み出すしかなかった。
外は既に太陽が、真上を幾らか通り過ぎていた。
「ん?」
それを見つけたのは偶然だった。薬師との最後の別れの挨拶をしてから店を出て、適当な道から大通りに戻ろうとした時にそれは目に入ってきた。
ガラシャラの目に映るのは、ユーラシと件の勇者……ではなくそれに明らかに意識を向けている者だ。風貌こそ街の住人と相違無く、ただすれ違うだけならばただの一般人にしか見えなかっただろう。事実、その者に意識を向ける者も、気に掛ける者もいない。だが、ガラシャラには分かった。何故なら、彼もまたその者と同種の人間だったからだ。
素早く人ごみに紛れ、露店の商品を物色するフリをしながら見失わない様に視界に留める。幸い、彼奴は創慈に集中しており、ガラシャラには気付かなかった。
(王国の密偵か……予想していたよりも早いな……)
ここらの国の容貌とは雰囲気の違う男が、リーンリラにいること自体は少し噂になってはいた。その程度の情報だが、聞く者が聞けばそれが"行方不明"の勇者である可能性が高いと容易に思い付くだろう。しかしそれを王国が掴んで、かつ密偵を派遣するまでとなるともう少し時間がかかるとガラシャラは踏んでいた。これはリーンリラは王都との距離が、アドルグ王国衛星街の中でも遠い部類にあったからだ。だからこそ噂が流れていることを知った段階で、ユーラシに遊ばせておくのを切り上げ帝国へ連れ去る準備を早めたのだ。
だが、実際はどうだ。既にリーンリラに王国の隠者が入り込んでおり、かつ勇者容疑の高い者を発見してしまった。こちらと違い、彼が『ユニークスキル』と『特異称号』を所持していることは確認しようが無いだろうが、そんなことは構わない。あそこまで勇者容疑が高いとなると、間違いなく王国の実行部隊……『黄金騎士団』がやってくる。ガラシャラはそこまで考え、眉間を揉んだ。そして、人に紛れつつも少しづつ移動し、密偵との距離を詰める。
(まずいな……情報を持ち帰られると厄介だ。殺そう)
ガラシャラが自分の中の戦闘スイッチを入れ、【隠密】【気配断ち】のスキルを起動した瞬間、彼の気配が消えた。そして、まるで突然世界から消えたと錯覚するほど自然に空気に溶け込み、ちょうど一旦身を隠すために路地に入った密偵を追う。そして……
「悪いなぁ」
「ガッ……!」
背後から一気に急襲し、刃の分厚い短剣を深々と喉に突き刺す。気道と大動脈、脊椎を一息に破壊された密偵は何を言うことも出来ず、静かに倒れ伏す。
そして誰かに見つかっても厄介なので、完全に脱力した体を引き摺り、路地の影に隠した。その間は一分もない。ただ一瞬に、一人の人間の命が掻き消えた。
「よし……にしても、あまり練度が高くないな……これは……」
だが、この王国の密偵は少しだけ特殊だった。
彼らの仕事は情報を探ることだけにあらず、寧ろ重要度の高い情報や何に置いても最速で届けねばならない情報を得た後、速やかに"死ぬこと"に重きが置かれていた。
王国隠密部隊『
「何ッ!」
先ほど殺害した男の体が塵となり、消える。そしてそれに代わる様に滲みだした魔力が矢の様な様相を取り、雷よりも早く空へ飛んでいった。消えた方角はリーンリラより南東……王都だ。
それが何を意味するのか。『影蛸』の特徴を知らぬガラシャラでも、何らかの手段で情報が飛ばされたことくらいは察することが出来た。ガラシャラは無意識のうちに汗をかいていた。これまでかなり慎重を期してきたが、最後の大詰め時にポカをやらかしてしまったと考えたからだ。
そして、彼の不幸はこれだけに留まらなかった。
微かな魔力と殺意を感じて、路地を形作る家の屋根を見る。そこには何の変哲もない服装の男が立っていた。故におかしいと、ガラシャラはすぐにハッとした。何故なら、街人然とした男が屋根の上に立っているなど、ありえないからだ。その男はじっとガラシャラを観察した後、おもむろに自らの首に短剣を突き立てた。
もちろん即死だ。夥しい量の血を撒き散らして、男が倒れ伏す。そしてその次の展開は、ガラシャラの頭が痛くなるような予想と全く一緒だった。
自害した男の体が、噴出した血液と共に塵となり、滲みだした魔力が矢になって目にも映らぬ速さで飛んで行く。微かに見えた飛んでいく方角は、やはり南東だ。
(やられたッ……!勇者だけでなく"オレ"がこの街にることまで……!)
ガラシャラはそれなりに長い間盗賊団を率いて、王国の衛星街周辺で強盗や人攫いをしてきた。故に"ガラシャラ"という名の盗賊は有名であるが、彼の計画性と慎重さにより王国からの追っ手を掻い潜り、今の今まで捕まらず生きながらえている。
普段ならば、こんなことになればとっくにリーンリラを引き上げて、暫く身を隠しているはずだった。しかし、今の彼にはしなくてはならない"仕事"があった。故に、退けない。この最悪の状態のまま、やり遂げねばならない。
(クソッ……!ヤバいな……勇者のことだけじゃなく、俺が勇者を狙ってることまでバレたかもしれん。……事態は急を要するな)
彼の頭の中では既に、今すぐすべきことと、その先のことが目まぐるしく渦巻いていた。そして、結論を出すのはそう時間は掛からなかった。
(幸い準備は大体済んでる……予定を可能な限り前倒しにして……決行は"明日の夜"!そして……)
ガラシャラは結論を出すや否や大通りに出、不自然にならぬ程度に足を速め、その目線の先に向かって一直線に進み始めた。そこには先ほど密偵が着け狙っていた者達……ユーラシと創慈が、アクセサリーを売る露店の前に居た。
ユーラシは視界の端でガラシャラの姿を捉え一瞬驚きかけるも、努めて気にしない素振りをする。そしてそのまま創慈との会話を続けた。
「これなんかどうですか?結構似合うと思いますけど」
「ハハハ、アタシにゃこんな可愛らしいモン似合わねぇって」
彼らは、今日の狩りを終えてリーンリラに戻ってきていた。そして昨日の模擬戦闘から、少しは元気になったユーラシをさらに元気付けようとした創慈が、これまた珍しく市場に誘っていたのだ。それに効果があったかどうかは分からないが、少なくともこの状況では、ガラシャラにとってすぐにユーラシと接触できる機会となったのは僥倖となった。
すれ違ったのは一瞬だった。ガラシャラがユーラシの背後を通り過ぎる瞬間、後ろ手を開いたユーラシに、小さく折った紙片を渡した。そしてそのまま雑踏の中に消えていく。受け取ったユーラシも、表情を変えずに創慈との会話を続行し、素早くポケットに紙片をしまった。
中に書かれているのは言わずもがな……『夜更け、アジトに戻れ』との帰還命令だ。確認せずとも、ユーラシにはそれが分かった。分かってしまって、少しだけ心が軋んだ。
そして、そんな思いを振り払って、楽しそうに髪留めなどのアクセサリーを物色し、琴線に触れるものがあればこれなんてどうですかと勧めてくる創慈をどこか微笑ましく眺めながら、ユーラシはこんなことを思った。
『この瞬間が、ずっと続けば良いのに』……と。
少しづつ、だが確実に、端からボロボロと破綻していくこの穏やかな日常は、本来の自分を覆い隠して忘れ去ってしまうんじゃないかと思うほどに光に包まれていた。そしてその光は、この横にいる男を知れば知るほどに強くなっていった。自分の思いを自覚していくほどに強くなっていった。
そして、いつの間にか、大切になってしまった彼を想えば……途端に苦しくなった。
これから彼に待ち受ける運命に、目を向けたくなかった。考えたくなかった。しかし、それを翳すのは恐らく自分で、だからこそ胸が張り裂けそうな思いだった。それでも、希望的観測は少しだけある。だがそんなことはありえないだろうと、きっとその時には彼に恨まれているはずだと、思えてならない。
ユーラシは、
(あぁ……でも、それならいっそ……)
彼女は選ぶことを少しだけ止めた。最後の最後は、運命の転がる先に任せようと。
『アタシ結構好きだぜ、運命ってやつ』
自分の言葉を、信じて。
◇
アドルグ王国、第一王都中央……王城。
「王よ、緊急を要する事態が発生しました。至急ガーミナル殿を交えて会議がしとうございます」
「ヒルキンドルか、あい分かった。今すぐ行おう。誰か!ガーミナルを呼んで来い!」
絢爛な玉座に座る大柄の男が、謁見室の両端に隊列する黄金の鎧を着た男たちに命ずる。すると、扉に一番近かった者が、すぐさま出ていった。
そして一人の男を連れて戻って来たのは、それから五分もしない内のことだった。
「黄金騎士団が団長、そしてアドルグ王国元帥【誇り高き金獅子】ガーミナル・アズドミナ……ここに」
謁見室を守衛する者たちと同じ黄金の鎧……しかしその胸部には獅子の紋章が刻まれている男は、傅いて口上を述べた。
そして先ほどアドルグ王に会議を願った老人も、それに倣う様に階段上にある玉座の横から下りて傅き、言葉を紡ぐ。
「白銀魔導会が会長、そしてアドルグ王国宰相【叡智深き銀蛇】ヒルキンドル・ヴァーミンガム……ここに」
「うむ、さて……これ以上の形式は省略する。二人とも、表を上げろ。そしてヒルキンドルは報告を」
そう声を掛けられた二人は立ち上がり、報告を承ったヒルキンドルが一歩前に出た。
「はい、まずは良い報告から致します。"四人目の勇者"の疑いがかなり高い者が、貿易街リーンリラにて見つかりました」
「何?!本当か!?」
アドルグ王が身を乗り出す様にして聞き返す。ヒルキンドルもそれに力強く頷き返し、高揚した雰囲気が流れる。
「そして、一つ悪い報告もありました」
「……それは?」
「ガラシャラが……盗賊ガラシャラの姿がリーンリラにて見られました。それも勇者容疑者を追っていた影蛸の者を殺害する形で」
「何ッ?!」
アドルグ王が再び驚きの声を上げる。そして、今まで沈黙を守っていたガーミナルも、ガラシャラの名に反応し、ピクリと眉を動かす。そして、その重々しい口を開いた。
「奴は……奴らの盗賊団は人攫いを大きな稼ぎの一つにしている。偶然か、それとも"渡来人"の珍しい容貌に惹かれたかは知らないが、狙っている可能性は高い」
「うむ、故に"黒鉄騎士団"と黄金の騎士を幾人か……」
「失礼ながら王よ」
ガーミナルがヒルキンドルの言葉を遮って、言う。
「私一人で十分です」
「……何?」
ガーミナルは直訴を続ける。しかし、その口調も表情も眼差しも、全て平坦。何の感情も篭っていなかった。
「黒鉄ではそもそも奴を討てません。後顧の憂いを払うなら、黄金でも……遅い」
「……ガーミナル。お前なら?」
王の言葉に少しだけ瞑目し、再び口を開く。確たる自信を持って。
「"明日の夕方"には、着きましょう」
そして明け方には全て、終わっているでしょう――――――と、ガーミナルは続けた。
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