第11話:明暗

 ゆらりゆらりと、小さなロウソクの火が仄かに辺りを照らし、揺れる。

 薄暗い洞窟の中はたったそれだけの明かりしかなく、酷く原始的なその灯りは、岩壁に大小二つの影を映し出していた。それら二つは、男女入り混じる声で話し始める。


「勇者の情報が、微かにだがリーンリラに回っている」

「どういうことだ?親父」

「情報量は大したことねぇが、着替える前の形と突然居着いた新顔ってんで徐々に噂が広がったんだ。仮にも貿易街だからな、ほんの僅かな情報すら時間があれば浸透する」

「……それで?」

「言うまでもないが、王国の"影蛸"共が嗅ぎつけるのも時間の問題だ。だがそれでも情報自体は足りないからな……あくまで容疑に留まるが、より確証を得られれば十中八九本国から"黄金騎士団"が出張って来るだろう。アイツら、血眼になって探してるからな……最悪"金獅子"が来るかもしれねぇ」


 男は努めて冷静に話す。それを受けて女の影は爪を噛んだ。何かを必死に考えているようだ。


「ユーラシ、もうこれ以上は引き延ばせない。俺たちは"金獅子"には勝てない……分かるな?」

「分かる……けどよ……」

「……必要ないと思っていたが、『情を持つな』と言っておくべきだったな」

「ぐ……ッ」


 男は必要以上に言葉を紡ぐことは無かった。女は……ユーラシは何も言えなかった。何よりも彼女が親父と仰ぐ男の諭すような優しさの混じった声が、彼女の心を突き刺したのだ。もうどうしようもないと、頭では分かっているのに心が受け入れない。泣こうが喚こうが、彼女のせねばならない決断は変わらないのに。


「最初から決まっていたことだ、ユーラシ。俺たち家族の為に、そして何よりもお前自身の為にも……お前はお前の為すべきことを為せ。予備準備は出来ている、他の団員への指示通達と仕込みは残っているが……まぁそう時間は掛からんだろう。決行は二週間後……新月の夜だ。いいな?」


 男は威厳のある厳しい口調で言い、ユーラシの返事を待った。彼女は俯きながら、言う。


「……親父、頼みがある……」

「何だ?」


 ユーラシは震える手をギュッと胸元に掻き抱いて、決意と悲しみを混ぜ合わせた表情を浮かべる。そして、心の中で一歩踏み出す様に言葉を口にした。


「捕縛役は、アタシにやらせてくれ……それがせめてもののケジメだ……。アイツからしちゃ、身勝手なエゴだろうけどな……」

「……出来るのか、とは聞かない。分かった。お前に任せよう、ユーラシ」


 ゆらりゆらりと、揺れる二つの影。その小さな方の影が、悲痛を伴ってブルリと震えた。そして、それは運命の歯車が動き始める瞬間でもあった。

 創慈の怪我が完治する、一週間前の話である。






 薬師の下で治療を受け始めてから、二週間が経った。その甲斐あってか、多少傷痕は残ったものの完全に皮膚は治り、何の後遺症も残らなかった。


「薬師さん!今日までありがとうございました!」


 創慈は店の前で深々と頭を下げる。治療のこともそうだが、何よりもこの療養生活で薬師から貰ったものも沢山あったからだ。


「あぁ、またいつでも来たらいいよ。アンタはもう私の弟子みたいなもんだからねぇ」


 というのも、療養生活で動けない創慈は家にあった書物を貸してもらい、片っ端から読み耽ったのだ。特に様々な魔物について記された魔物図鑑の様なモノや世界の歴史書があったのは、創慈の知的好奇心的にはとても僥倖と言えた。


 そんな様子を見て、もとより学者気質な創慈と薬物や植物の学者である薬師は、すんなりと意気投合。立って歩くことが出来るようになってからは調薬や魔法の授業さえも行ってくれたのだ。

 と言っても、調薬こそものに出来たものの魔法の才能は全くなかったらしく、創慈は魔法を扱うどころか魔力さえ感じることが出来なかったので、知識だけに収まったのだが。

 そして、こと知的技能に関しては戦闘に関するものよりも適性があったらしく、この二週間で創慈は幾つかスキルを得ることも出来た。

 創慈は薬師に対して、尊敬と感謝が止まらぬ思いだった。


 二週間の間にあったことと言えば、他にはユーラシについてだろうか。

 彼女は薬屋で寝泊まりが決まってからすぐに宿を引き払い、創慈と一緒に薬屋に拠点を移したのだ。しばらく会えなくなるかもなどと若干肩を落としていた創慈は、これには驚き、そして大変喜んだ。もちろん努めて、あからさまに喜ぶ様子は恥ずかしかったので見せなかったが、傍目から見ていた薬師にはその胸中はお見通しだった。若者二人を見比べてちょいとニヤリとした理由は、創慈には分からなかったが、まぁつまりそういうことだ。


 ユーラシは創慈の介護に献身的だった。毎日森へ行き日銭を稼ぐ時間はあったが、概ねそれ以外の時間は常に薬屋におり、薬師の手伝いや創慈の世話などをしていた。特に、立つことも難しかった最初の頃は積極的に肩を貸すなど、非常に創慈をドギマギさせる場面が多かった。

 特に、一週間が経ってからはより積極的に。しかしその顔はどこか思い詰めた様な表情を浮かべていた。


「では、まずは再びあの宿を取って、荷物を置いてから依頼に行きましょうか」

「ん……あぁ、そうだな」

「……大丈夫ですか?何か―――」

「だ、大丈夫だ!何もねぇよ!ほらっ行こうぜ!」


 薬師との別れの挨拶を済ませてから、珍しく創慈が率先して道を歩いた。それにユーラシがワンテンポ遅れて追従した。先週から突然、時折この様な様子を見せるようになったユーラシを創慈は心配していたが、毎回問いただす直前に、思い出したかのようにいつものユーラシが浮上し押し切られる。


 人には言いたくないことや言いにくいことが一つや二つあるのが当然だと分かってはいるが、創慈はどうにも煮え切らない思いをどこかに抱えていた。特にそれが好きな人に対してならば尚更だろう。しかし、その一歩が難しい。創慈は人の心に一歩踏み込むのが苦手な性分だった。特にユーラシの様な相手にならばつい慎重になってしまうのも、彼の悪い癖だ。これが要因で、過去の恋愛が上手くいかなかったことなどザラだ。


 強引にユーラシに背を押され、創慈は大通りに出た。視界が薬屋がある薄暗い路地から、明るい陽の当たる街に変わる。しかし今日は、少しだけ曇っていた。




 所変わって、彼らはリーンリラ森林に来ていた。今日は創慈が復帰したばかりなので、リハビリも兼ねて薬草の採集依頼のみだ。二週間もの間運動が出来なかった影響は思いのほか大きく、平原を超えて森へ辿り着いた頃には、少しだけ創慈の息が上がってしまっていたため、この判断は正解だった。

 それでも、最初の頃に比べれば体力は付いた方で、些細な成長に気が付けた創慈は今日からまた頑張るぞと意気込んでいる。


『クエー!!!』


 森に入って幾らも経たぬ内に、頭上の枝葉を勢いよく押しのけて大きな影が創慈の元へ舞い降りた。ビーグルだ。彼もこの二週間寂しかったようで、創慈がビーグルを見て両手を広げるや否や甘えた様な声を出しながら、力強く頭を擦り付けた。ずいぶんな図体と戦闘力は有しているが、やはりまだ子供なのだと、創慈は撫でながら改めて感じていた。


「よしよし、ビーグルにも心配かけましたねぇ。もう大丈夫ですよ」

『クルルルルル……』


 ユーラシが創慈の動けぬ間、ビーグルに経過を伝えてくれていたようだが、それでも本人を見てようやく安心したのだろうと、ユーラシは彼らの戯れを見ながら思った。いつまでも眺めていたい気分になったが、そういう訳にもいかないので、適当なところで声を掛けようと考えた。そして、そんな自分の思考に自嘲気味に笑う。

 随分自分も、彼らに……創慈に毒されちまったな、と。


「そろそろ薬草集めに移るぞー。ビーグルはいつも通り適当に飯食いながらニ、三匹獲物狩ってきてくれ」

「はーい、了解です。ではよろしくお願いしますね、ビーグル」

『クエー!』


 もう一度ビーグルの首筋を撫でながら、指示を出す。久しぶりの主人からのお願いに、一層やる気を漲らせたかのように力強く鳴き、飛び立った。それを見送った創慈も、自分も頑張ろうと薬草の群生地に目を凝らし始めた。

 少しだけ、懐かしい感覚を覚えながら、魔物を狩る様になってからはあまりしなくなった薬草採集を行う。こんな日々がずっと続けばと思った、あの日のように、穏やかに。






「よし、こんなもんですかね」


 曲げた腰を伸ばしながら、額の汗を拭う。創慈の眺める道具袋には優に十五束もの薬草が入っていた。必要以上に魔物に対して恐怖心が無くなったのと、採集自体が性に合ったことが相まっての結果だ。実に上々と言える。

 同じようなタイミングで、少し離れた場所で採集をしていたユーラシも腰を伸ばす。創慈の方へ戻って来た彼女は、しかして大した量の薬草を持っていなかった。数にすれば八束……創慈の約半分である。


「ハハ、今日はイマイチだったぜ」


 また、あの顔だ。と、創慈は直感のように感じた。上手く隠しているかのように照れた様な笑みを浮かべているが、どこか思い詰めた様な感情は浮き沈みしている。やはりおかしいと、創慈は気付いてしまえば、今度こそ口にせずにはいられなかった。


「あの、ユーラシ。……ずっと浮かない顔をしていますが、一体どうしたんですか?力になれるかは分かりませんが、何かあれば僕に出来ることがあった言ってください。ユーラシには返しきれない程恩がありますし……それに、そんなものがなくてもアナタの力になりたい……で、す……」


 言ってる内に、顔が火照ってしまい尻切れ蜻蛉になってしまう。こういう意気地なしな、気弱な部分が自分でも嫌になるほどだったが、それでも言いたいことは言えた。俯いて、ユーラシから目を逸らしたくなる気持ちをグッと押さえつけて、見つめる。ここで勇気を出さねばどこで出すと自分を叱咤して。


 まさかこのタイミングで聞かれるとは思っていなかったユーラシは、少し固まってしまった。いつもならば強引に誤魔化すところを、そのタイミングを逸してしまったのだ。

 そして何よりも掛けられた言葉も言葉だ。ユーラシも子供ではない。創慈の想いなどとっくに知っていた。それこそ最初の方からだ。何より途中までは自らの目的のためにそれを利用してすらいた。

 だが、彼に触れている内に、変わってしまった。黒に汚れた自分の人生に、彼の甘さと穏やかさはどうしようもなく毒だったのだ。でも、だからこそ……隠し通さねばならなかった。"その時"が来るまで。


「……な、何もねぇよ!そう……ちょっと先週から具合悪くてよ!ばぁちゃん特性のにっげぇ薬も飲んだし大丈夫だ!気にすんな!」


 引き攣りそうな口角を強引に引き上げ、快活な笑みを浮かべる。彼女は、嘘を吐いた。そして、創慈が何か言い始める前に、悩みを振り切る様に、今しがた思い付いたことを口にする。


「……ソージ。今すぐここで……アタシと戦え」

「えッ?!」「いくぞ!」


 問答無用と言わんばかりに、ユーラシは手荷物を足元に放り創慈に突進する。短剣

は、抜かない。

 そうして呆気にとられる創慈の懐に入り、全力で腹に拳を突き立てる。しかしユーラシの訓練の賜物か、それとも怖気付いただけか、尻餅をつくように後ろに下がり拳を躱す。空を切ったアッパーカットは虚無に刺さり、その体勢のままユーラシは一度止まった。


「ユーラシ?!急すぎますよ!具合悪いんじゃなかったんですか?!」

「うるせぇ!模擬戦……訓練だよ!ほら、さっさと立って戦いやがれ!」


 そんな創慈の酷く困惑した叫びに、ユーラシはニヤリと笑い返す。久しぶりに彼女の顔は晴れていた。創慈はそんなユーラシの様子に、身体を全力で動かせた方が気が楽になるのかもと思い至り、応戦することにした。相手に倣って、創慈も短剣を抜かない。素手同士の戦いだ。


「分かりました、いきますよッ!」


 創慈は全力で回し蹴りを放つ。闘気の力を借りて放つそれは、フォームこそ素人のソレであるが勢いと威力はそれなりに孕んでいた。だが、そんな彼の一撃をユーラシは軽業の如く飛び越える様に避け、創慈の首に足を掛ける。投げの体勢だ。彼女はこの様な身軽さを武器に戦う戦士なのだ。


「あ!ちょっと!」


 思わず創慈が叫ぶ。しかしそんなものはお構いなしに、重心を思いっきり後ろに倒して、勢いのまま大の成人男性の体を浮かばせる。そしてそのまま浮いた身体を一回転させて地面に叩きつけた。とても小柄な女性が出来る芸当とは思えないが、闘気の力で増加した身体能力はどこまでも不可思議な光景を作り得るのだ。

 ある程度の防御力を闘気で補う創慈は、それでも衝撃に喘ぎ、立ち上がれない。彼はこの様な結果になるのは見えてはいたが、もう少し善戦出来ると思っていた。それも、甘かったようだが。


「イテテテ……負けました……って、えぇ?!」


 打ち付けた胸部を摩りながらゆっくりと体を起こすと、既にユーラシは突進を開始していた。創慈が驚いたのは、いつもならばもうこれで訓練は終わっていたからだ。どちらかが膝を地面に付けた段階で終わり、それが概ねのルールだったのだ。

 しかし、今日はそれでは終わらなかった。


「うわぁ!」


 ある種の不意を突かれた創慈は躱せるはずも無く、ユーラシの突進を受けた。今度は背中を打つように倒される。そして創慈の目の前に広がるのは、視界一杯のユーラシの顔だった。丁度、傍から見ればユーラシが創慈を押し倒したかのような状態だ。

 ユーラシは激しい運動をしたからか、少し火照ったように顔を赤らめており、呼吸も少し早かった。創慈の心拍は限界まで跳ね上がる。手が行き場を失ってワタワタと暴れる。


「ユ、ユーラシ……?」

「ッ……悪ぃ、久しぶりに本気で動いたから上がっちまった」


 その時間は一瞬だけだった。困ったようにユーラシの名を呼ぶと、ユーラシはすぐに創慈の体の上からどいた。そして服に着いた砂汚れを払い、創慈の方を振り返って言った。


「お前はまだ、よえぇな」


 眉を少しハの字にして、笑う。その何とも言えない哀愁を背負う表情に、座り込んだまま見上げる創慈は何も言えなかった。


「ほら、荷物纏めろ。ビーグルが帰ってきたらアタシらも街に戻るぜ」


 努めて創慈を見ない様に、放り投げた荷物を拾っていくユーラシ。創慈からは見えなかったが、酷く顔が赤らめていたのはご愛敬だろう。衝動に一瞬だけ身を任せてしまった者の末路だ。そしてその背後で自らの荷物を纏める創慈もまた、あまりユーラシに見られたくない程に思い出し赤らめをしていた。

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