第9話:心交

「ビーグル!先ずは突風を連打して奴を引きずり出してください!」

『クエー!』


 ビーグルは甲高い鳴き声を上げると、蛇が潜んでいるであろう木を中心に衛星軌道を描き出す。そして、その進路上で風魔法の起動点をばら撒き、縦横無尽の暴風を、そしてその中に鎌鼬を混ぜ叩きつけたのだ。


 一方向からならば堅牢な木を盾に潜むことが出来た蛇だったが、そんな思惑はお構いなしに風の暴力を受ければ、これはたまらないと創慈への警戒も忘れて風の影響の薄い木の根元に退避した。

 そしてそんな大きな隙を見逃す創慈ではなかった。もう、つい二週間前の貧弱で戦いの術を知らぬ青年とは違うのだ。まぁ、貧弱という点は変わっていないが。


「そこだぁッ!」


 地に落ち大きく体勢を崩す蛇に創慈は急襲を仕掛ける。先ほどの訓練で溢れ出した闘気も、まだその身に纏っている。その剣の先には確かに蛇を捉えていた。


『キィィッ!』


 しかし、蛇もまたこの森で生存競争を繰り広げる魔物。あっさりとその命を渡すことはなかった。


 躱されぬため、そして逃さぬに、その長い体躯を創慈は踏みしめ、さらに地面に縫い付けんと短剣を蛇の胴に叩きつけるその刹那、蛇の


 これには創慈も驚き、剣筋がぶれる。その隙を突いて、蛇は横腹から突き出た蟷螂の様な鎌で、何と踏みつけられた自らの胴を自切したのだ。血が溢れ身体の半ばほどを失ったが、その代わり蛇は何の拘束も無くなり、一目散に森の奥へ逃げていく。その薄緑の体色と相まって、もう姿は追えない。


 ビーグルはとっさに追撃に打って出ようとしたが、戦闘中に主人である創慈の指示も無く傍から離れることを嫌い、その場に留まった。自らよりも幾分も弱い主人を置いていくには、何か大きな不安があったからだ。そしてそれはあの日、稲妻のように心を貫いた感覚……創慈への忠を持った日から、毎日感じていることでもあった。


 戦いは一瞬。されど確かな殺意のぶつかり合い。蛇側の敗走と言う何とも煮え切らない結果に終わったが、初の魔物との殺し合いならば、これで十分だとユーラシは彼らの戦いを見て思った。それに創慈も闘気の操作を覚え、勝ち切ることは出来なかったがキチンと戦えていた。何も言うことは無いだろう。

 ビーグルは少し不満げな、と言うより悔し気な表情を浮かべていたが、蛇への興味もすぐに失せ、創慈の傍に降り立った。


 創慈が、よくやりましたとビーグルの活躍を褒め、首筋や頭を撫でて労う。ビーグルも創慈の掌にグイグイと体を擦り付け、甘えている様にも見える。


(ホント……アイツのスキルはとんでもねぇな……。強制的……いや、最初の一歩は確かに強制的だけど、今は間違いなくビーグルは自分の意思でソージに懐いてる……。それもスキルの効果なのか、それともアイツのナリがそうさせるのか……前者ならもう恐ろしいくらいだけどよ……)


 だが、きっと後者なんだろう。ユーラシはそんなことを考えながら一人と一匹を見やる。調教師と魔物の様な反射の服従とは違う、何処か暖かく真に心の交わされた関係。それはユーラシにとって、酷く輝いて見えた。


 そして、そんな光景を一週間も見ていれば、不思議とユーラシの中に沸き立つものがあった。さらに言えば四六時中共にいるともなると、嫌でも彼の人柄が見えるというもの。自分の人生とは違う、暖かく、穏やか。そして才を持たないことなど自分が一番分かっているのに、それでもひたむきに努力を重ねる彼の姿が、どうしようもなく眩しく感じてしまった。


 ユーラシは少しだけ、揺れていた。




「良い稼ぎだったし、ソージも闘気操作を会得したし今日は良い日だな!」


「はい!いつもありがとうございます!」


 いつも以上に喜色を滲ませ、二人は宿屋への道を歩く。

 あの後彼らは狩りを引き上げ、組合支部にて換金を行った。その際ビーグルの狩ってきた角兎が美品だったとのことで、少しだけ高く売れたのだ。そしてふと思い出したかのように、創慈は自分のステータスを確認すると、スキルの欄には【闘気操作】の文字があったのだ。どうやら世界にも認められたようで、どうしようもなく嬉しくなる。まるでようやく異世界生活の第一歩を踏み出せたような気分だった。


 さらには、ユーラシからあの蛇のことも教えられた。件の蛇は『鱗蛇』という名の種であり、全身逆立った細かな鱗と異常なまでに長く細い体躯、横腹に隠された鎌が特徴の魔物だ。リーンリラ森林での力関係は、中位ほどの位置に属しており、その為か他者が追い詰めた獲物や漁夫の利を狙い現れることが多いなど、狡猾な性質を持っているらしい。


 機動力と隠密性が高いがその戦闘力はあまり高くなく、今回のように正面からぶつかれば敗走することもしばしばある。だがかなり粘着質な面も存在し、一度逃した獲物は中々諦めないという執着性も相まって"厄介"という評価が狩人の内で通っているらしい。

 と言った、新たな魔物の情報も得られて創慈は上機嫌だ。


 ユーラシも、そんな随分と嬉しそうな創慈を見て、なんだか自分まで嬉しくなっていた。元より情は厚い性格だったが、いつもとは違う……経験が無いので説明は自分でも出来ないが、何か違う熱いものをユーラシは胸中で感じていた。

 と、そんな時。


「おや?あそこにいるのは迷子でしょうか?」

「うぇぇぇえん!」


 創慈の目線の先には涙で顔をぐちゃぐちゃにした子供がおり、その泣き声が街の中央広場で響いていた。周りには大道芸人や踊り子がいたが、パフォーマンスや客寄せを行っており、観客の歓声も相まってか、子供の存在に気付いている者はいなかった。


「お~、どうした?坊主」

「君、大丈夫ですか?」


 特に示し合わせたわけでもないが、二人は自然と子供に声を掛けていた。その迷子の子は声に反応し、すぐさま潤む目線を上げた。そうして顔が良く見えるようになり、まだ八歳かそこらの少年であることが分かる。

 二人の問いに、まだ零れる涙を抑えてしゃくりをあげながら少年は必死に答えた。


「あ、のねっ、リリのっ誕生日でねっ」


 泣きじゃくる一方でイマイチ要領が掴めなかったが、要約するとこの少年ココにはリリという妹がおり、そのリリがもうすぐ誕生日らしい。そこで兄である自分は何かプレゼントを用意してあげようと思い、街に飛び出したのまでは良かったが、良さげなプレゼントを物色するうちにいつの間にか普段来ない場所まで来てしまい、今に至るという。


 さらにこの少年は、街の中でも比較的裕福な者が住まう地域に住んでいるらしく、この様な中級下級の区域に来たことがないことも原因の一つらしい。


「でも何でこっちの方まで来たんだ?上級区域ならアクセサリーとか、何かプレゼントになるようなもんも多いだろ」


 ユーラシが疑問の声を出す。だが、そんな問いにココはしょんぼりと肩を落として答えた。


「僕のお小遣いじゃ……買えなかった……」


 どうやら、ココの親は裕福ではあるがあまり子に金は渡さない教育方針らしい。と言っても、この世界の標準的な教育方針など創慈は知らないのだが。


「んじゃ、ココみてぇなガキンチョ一人じゃ危ねぇし、アタシらが一緒にプレゼント探してやるよ!な?」


 ユーラシは優しい笑みを浮かべて、ココの頭を撫でながらそう言った。そして言葉と共に創慈にも、いいな?という視線を送る。それを創慈も正しく察知し、無言で頷いて了承した。彼も同じようなことを考えていたので、是非も無かった。


(分かってはいましたが、ユーラシの面倒見の良い面を改めて見られて、やはり今日は良い日ですね)


 ユーラシの慈愛に満ちた笑みを眩しそうに眺めつつ、呑気なことを考えながら、創慈はココの手を取った。



 商店街の様に並ぶ露店が両脇を挟む道を、三つの影が進む。

 食品や料理を売る店の間に、アクセサリーなどの小物を扱う店があれば、その度に彼らは足を止めた。


「いや~、今まで来なかった場所と言うのは新鮮で良いですねぇ」

「ハハ、森と組合と宿屋をずっと往復してたからな」


 ココの両手をそれぞれ握って、市場を歩く。ここは日常で通る道ではないため、創慈にとってはどれもこれも新鮮に見えた。それに、如何にも異国情緒な雰囲気もあったため、どこかどうしようもなくウキウキしてしまうのを感じていた。

 ココも、普段見ない物に囲まれて楽しいのか、目をキラキラと輝かせている。

 と、そんな穏やかな時間が流れる中、ユーラシはふと露店の商品に目を止めて、立ち止まった。


「お、これなんてどうだ?」


 ユーラシが手に取ったのは、桃色の小さな花の装飾のついた髪飾りだった。サイズも手頃で、少女に贈る物と考えれば丁度良い可愛らしさだ。


「それ!おねぇちゃん!僕それにするよ!」


 ココもいたく気に入ったらしく、興奮気味にユーラシから手渡された髪飾りを見つめる。そして、いざ買おうとお金を店主に差し出したのだが、ここで一つ問題が発生した。


「あぁ?坊主、金が足りねぇぞ」


 可愛らしい物を作っているとは思えない程厳つい店主が、金を勘定した後にそう答えた。どうやら金が足りないらしい。

 創慈も値札を見てみると、確かにココの差し出した金額は少しばかり届いていなかった。


「おっちゃん、ちょっと負けてやってくれねぇか?この子の妹が今度誕生日なんだよ」


 そこにユーラシが助け舟を出す。商品を値切るのは割りと日常茶飯事なのか、随分と慣れた口調だ。しかし、店主の男は渋い顔をし、首を横に振る。


「わりぃが無理だ。それの装飾にはちょいと珍しい素材を使っててな、これ以上下げるわけにはいかねぇ。こっちも生活があるんだ」


 これでもかなり安くしてんだぜと付け加え、ビタ一文負けないという雰囲気を醸し出した。これにはユーラシもこりゃダメそうだなという表情を浮かべる。ココはココで随分とこの髪飾りを気に入っていたようで、しょんぼりと肩を落としている。それを見た創慈は……。


「ハイ、店主さん。これで足りますか?」


 自分の懐から、不足している分を取り出し手渡した。突如横から差し出された金に、店主の男も一瞬止まったが、すぐに気を取り直して受け取る。そうなれば、特に問題は無いようでニヒルな笑みを浮かべて毎度ありと言った。

 それにより髪飾り得られたことを理解したココの顔が、パァっと輝く。


「お兄ちゃん!ありがと!」


 先程のしょんぼりした顔は何処へ吹き飛んだのか、満面の笑みを浮かべて創慈にお礼を言った。ユーラシも何か言いたげな顔を一瞬浮かべたが、すぐに引っ込めて、良かったなとココの頭を撫でる。

 目的を達成した彼らは、その後ココを上級区域の見慣れた場所まで送り、そのまま別れた。

 別れ際、再度礼を大きな声で言ったココは、二人に手を振りながら走って帰って行った。大事そうに髪飾りの入った小包を抱いて。


 何となく、ココの姿が見えなくなるまで見つめていた二人はようやく帰路に戻った。既に随分と日は下がっており、赤を通り越して紫の薄暗さを空に広げていた。


「微笑ましかったですねぇ」

「あぁ、そうだな。やっぱガキンチョは元気じゃねぇと」


 ヒヒッと軽く笑うユーラシ。創慈はここ数日で結構見慣れたはずだったが、やはりいつでもユーラシの笑みは輝いて見えた。

 いつの間にか揃うようになった歩幅は、コツコツと石畳の音を奏でる。


「にしてもよぉ、ソージも甘ぇよな。貧乏でアタシに借金してんのに金出すなんて」

「いやぁハハハ……すいません。分かってるんですけど、どうしてもね」


 冗談っぽく言うユーラシの言に創慈は恥ずかしそうに、そして少し申し訳なさそうに頭を掻いて言った。実際無一文から、色々とユーラシにお金を借りながら何とか狩人生活を始めたので何も言い返すことは出来ない。最近では狩りの稼ぎも徐々に増え、少しづつ返してはいるが依然火の車である。


「でもお前のそういうところ、結構好きだぜ」

「えっ?」

「ほら、日が暮れる前にさっさと帰るぜ~」

「あ、ちょっと!待ってくださーい!」


 まるで言い逃げかの様に、イタズラな笑みを浮かべながらユーラシは走り出した。突然心を刺された創慈は一瞬思考を空白化させたが、その後すぐに正気を取り戻しユーラシを追った。


 空の色のせいか、二人の顔は少しだけ赤かった。


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