第8話:訓練
「うぬぬぬ……」
「うーん、練れてないってこたぁねぇんだけどなぁ……」
創慈がこの世界に来てから、二週間が経った。その間彼はユーラシと共に、来る日も来る日も狩人として活動し、日銭を稼いでいた。そして依頼物の収集が一段落つけばそのまま修行を行う……日々の流れとして完成したそれは、今日もまた同じ風景をそこに映していた。
そして今やっている修行とは、創慈の闘気操作だ。今日で修業を始めてから、大凡一週間半が経ったが、その進捗は牛歩を極めていた。有り体に言うと、彼にはあまり才能が無かったのだ。
「何がいけないんでしょうか……」
弱々しく薄い黄のモヤがソージの体を包んでいるが、少しでも気を抜くとすぐに霧散してしまう。自身で感じられる闘気の恩恵も極めて軽微なもので、その上闘気の操作に集中力の大部分を割かねばならないことを考えると、とてもではないが実戦では使い物にならない。
「何度も言ってっけど、闘気は戦うための精神力と生命力の産物だ。つまりは強い意志の力……闘争心が何よりも大事なんだぞ」
「闘争心……闘争心……うぬぬぬ……」
プルプルと全身に力を入れて、再び内にある闘気の気配を手繰り寄せる創慈。徐々に内側から引っ張ってきた闘気が全身を巡るが、やはりその気は弱々しい。ユーラシが手本で見せる闘気とは雲泥の差だ。何故なら彼女の闘気は目に見えて立ち上るほど力強いのだから。
「うーんこれじゃあ"闘技"に辿り着くまで、どんだけ掛かるかねぇ……」
ユーラシは頭の後ろをポリポリと掻きながら、顔を赤くしながら強張る創慈の姿を眺める。決して彼女は彼が怠けているとは思わない。寧ろかなり頑張っており……その頑張る意思や熱意は疑う余地も無い。
しかし悲しいことに、そのやる気は成果に結びついてはいない。確かに修業を始めた頃よりは少なからず上達しており、弱々しいながらも全身を包むだけの闘気は練られるようにはなった。なったのだが、事実として現段階の創慈の程度は、戦士を志す者ならば少し練習すれば容易く出来る程度を少し下回っている位だった。
「ビーグルが帰ってきたら戦闘特訓もすっから、あんま練りすぎんなよー」
「は……はい……!ぐくく……」
纏った闘気を霧散させない様に、踏ん張って維持している創慈へ、ユーラシが声を掛ける。
闘気は先ほども言った通り精神力と生命力の産物である。故に使えば使うほど、体内のエネルギーを消費するのだから、当然精神的にも肉体的にも疲労する。早い話闘気操作とは、燃料の燃焼速度を上げて肉体の瞬間出力を引き上げる技術なのだ。
なのでこの後の予定に支障をきたさない程度に、鍛錬を抑えねばならない。
そして彼らの修行の流れは決まっている。従魔であるビーグルが狩りを行っている間に闘気の修行をし、狩りから帰ってきたら今度は短剣術の訓練として、創慈とビーグルの模擬戦を行うのだ。もちろんユーラシと行うこともあるが、創慈に喫緊で必要な技術は魔物と戦うためのものなので、強力な魔物である大狩鷲と戦うことで戦闘能力の向上を図っている。
「っと、噂をすりゃあだな」
『クエー』
間の抜けた鳴き声を出しつつ、大きな翼を広げたビーグルが頭上の枝葉を押しのけて飛来し、着地する。
足の鉤爪で五匹ほどの血を流した角兎を掴んでおり、口にはつまみ食いでもしたのか白い毛と血液が付着していた。
「おー、お疲れさん。飯も食ったみてぇだし、今日も始めっか!」
『ククエー!』
魔物らしくと言えば魔物らしいのか、ビーグルは
「よーし、じゃあ位置につけ~」
そんなユーラシの号令でビーグルは低空にて滞空し、構える。
その十メートルほど離れた正面には、創慈が相対するように、この一週間半でそれなりに形になった戦闘の構えを取っている。ちなみに右手にはユーラシのお古の短剣が握られており、今の創慈の獲物はこの短剣のみだ。
「準備はいいな?始めっ!」
掛け声とともに、ビーグルが闘気を練り上げた。そのオーラは創慈の貧弱なそれとはまるで違う、張り詰めるような力強い光が肉体を包み込んでいた。さらにその中には薄っすらと紫のモヤが揺らいでおり、魔法を放つ仕込みすら行われていた。
(むぅ……いつ見ても凄まじいですねぇ……。流石は主種の魔物……と言ったところでしょうか)
しかし、今は訓練とは言え、いづれこれほどの脅威と戦わなければならない時が来るかもしれない。創慈は、戦闘訓練の度に同じことを心で唱えていた。
(強くならねば。きっと、そうならねば弱いばかりに後悔する日が……来てしまうから……!)
強くならねば守れない。強くなければ、必ず何かを失う。大切なモノを。
創慈はたった二週間の異世界生活で、強迫観念のようなモノを時折感じるようになった。
それはきっと、地球ではありえなかった魔物や、それ以上に力を持った人間を目にしてきたから。
「行きます!」
創慈は愚直に、ビーグルへ突進する。パワーもスピードも魔力も闘気も敵わない。全てにおいて勝っている相手だが、だからこそ先手を取ることが重要だということをこの修行の日々で学んでいたのだ。
『クエー!』
不自然に吹き荒れる突風。ビーグルの風属性魔法だ。
効果は強風を叩きつけるだけの単純なモノだが、故に強力である。何故なら人は迫り来る強風に抗って前に進むことは困難なのだから。
だが、創慈は退かない。これは既にある程度の攻略法を見出しており、なるべく風の煽りを受けぬよう限界まで姿勢を低くし、地を這うように走り、突き進むのだ。無論、創慈には闘気や魔力による身体強化の恩恵が殆どないので、減速無しで風を突破することは出来ない。
しかし、彼は技術によって強風を耐え切り、ビーグルとの距離を詰めた。
「うりゃ!」
真っ直ぐと突く様に短剣を繰り出す。狙うは強靭な羽毛に守られた胴ではなく、足の付け根だ。そこには羽毛が生えていないので、その刃が刺さり得る唯一の個所だ。
しかし、そんなことはビーグルも理解しているので、自前の鋭く硬い鉤爪で短剣を受け止める。
「いいぞー!そのまま押し込め!」
「はいぃ……!」
ユーラシから声援が掛かった。それに応える様に、創慈は更に力を全身に込める。
通常ならすぐにでもビーグルは成体ではないとは言え、貧弱な主とは相対的に圧倒的な膂力を以て創慈を弾き飛ばし、追撃を掛けることは出来る。しかし、この訓練は戦闘技術の向上も目的の一つだが、一番の目的は創慈の"闘争心"を向上させることにある。故に、ビーグルも敢えて力と技を抑え、戦う。
「うぉぉぉぉ!」
ギリギリと、刃と爪で硬質な音が奏でられる。創慈は全力で鍔迫り合いを演じた。すると……
「おっ!やっとこさ来たなぁ!」
ユーラシが待っていたと言わんばかりの喜色ばんだ声を挙げる。その目の先には、渾身の力を刃に込める創慈の体から、闘気が滲み出始めていた。そう、先ほどの鍛錬とは違うそれなりに濃い闘気だ。
これは創慈の訓練を通した戦闘経験と、ユーラシの声援、そして強大な相手との鍔迫り合い、それらに対する想いが闘争心の着火剤となり、遂に闘気の操作を会得したのだ。
未だその闘気は、熟練者から見れば初歩も初歩だが、彼にとっては今はそれで充分だった。
ビーグルは明らかに押される力が、どんどん増していくことに気が付いた。そしてそれに応える様に、鍔迫る力も上げていく。
と、その時。
『ッ!クエー!』
「わぁ!」
ビーグルが鳴いた瞬間、その鉤爪は創慈を弾き飛ばし、先ほどの牽制とはまるで違う暴風の塊を撃ち出した。
「ソージ!」
ユーラシが切迫した声を出す。その風の暴力は、明らかに訓練レベルではない威力を孕んでいたからだ。そしてそれは、今まさに創慈へと迫っていた
……しかし、それは創慈の頭上を通過し、背後から迫っていた何かを捉えた。
『ギィィッ!』
その細く長いシルエットは、風の塊に揉みくちゃにされながら、木々の隙間をすっ飛んでいった。
ユーラシも異変を感じ、すぐさま戦闘態勢を取る。
「構えな、ソージ。魔物が来たみてぇだ」
創慈も、そのユーラシの言に反応し、尻餅をついた状態から立ち上がり、短剣を構えつつ周囲を探った。
そして、ソレは目を血走らせながら、木の上に姿を現した。
「蛇……ですか?」
第一印象は、ただただ細く長い蛇だ。だが、その程度は大凡創慈の知る蛇とは違っていた。
目算で十五メートルはある全体の長さに割りに、若木の枝ほどしかない胴回り。そしてその前身は逆立った細かい鱗に覆われていた。その蛇がいる木の表面には何か薄く削った様な跡があり、逆立った鱗で樹皮を削り捕え、縦横無尽に森を駆けることが出来ると窺える。
張り詰める空気の中、先に動いたのはビーグルだった。
『クエー!』
鷹特有の甲高い声と共に、風の魔法が起動する。今回は風の塊ではなく、不可視の刃……鎌鼬だ。
しかし、魔力の揺らぎを感じたのか、それとも空気の変化に気が付いたのか、すかさず蛇は木の裏に隠れた。だが、その戦意や殺気は衰えていない。
それでもビーグルの警戒がある中、一時の隙が発生したので、創慈はユーラシに相談を投げかけた。
「ユーラシ!僕はどうすれば?!」
「あー、そうだな。奴は厄介だが強くはねぇ。ソージ一人ならキチィけど、ビーグルとなら充分勝てる相手だ……よし、ソージ。ビーグルと連携して戦ってみな!これも良い訓練になるぜ」
「ッ!はい!分かりましたぁ!」
ユーラシが創慈にそう指示を出し、構えを解く。それと同時に創慈はビーグルと並び立った。
「よーし、いきますよビーグル!」
『クエー!』
一人と一匹は、蛇がいるであろう方向に戦意を向ける。
そして蛇もまた、彼らを赤い双眸で捉えていた。
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