第7話:夜更

 リーンリラ市場……それは陸の貿易街であるこの街で最も商売が盛んな場所。商会由来の商店から個人営業、露店……多種多様な店からはあらゆる物が売られていた。

 一人でも多くの客を引き込もうと、躍起になって道行く人々に呼び込みを掛け続ける高低様々な声は、いっそ喧しいと言えるほどの大きさではあるが、されどその喧しさこそがこの市場の潤いの証だった。

 そしてその活気が更なる金運商運を呼び込むと、彼ら商人たちは信じて疑わない。


 そんな喧騒の中二人の男女……創慈とユーラシは主に彼女の導きにより多数の人の行き交いの間をスルスルと抜け、目的の店を目指していた。


「もうすぐ着くぜ~、それまでちょいと我慢してくれな?」

「は、はいぃ!」


 ガッチリと掴まれた創慈の腕は、小柄なユーラシから発揮されているとは思えない力強さで引っ張られ続けている。余計に負荷がかかるため、なるべく身体の距離を離さない様に頑張る創慈だったが、ユーラシの足は淀みなく、寧ろ通常よりも早い速度で人の間を抜けていった。時々躓いて転びそうになるのを抑えつつ、創慈はそれに着いて行くので精一杯だ。



 ようやくユーラシの足が止まる。彼女の目線の先にはノトス雑貨と屋号を掲げた一軒家があった。そして同じくしてようやく解放された創慈も、少し痛む腕を摩りつつその店を見上げる。はて、服を買うのではなかったのかと疑問を抱くも、雑貨という位なのだから服も置いているのだろうと思い直し、既に店のドアをくぐるユーラシを追った。


「らっしゃい、おぉユーラシか」

「うーっすノトスさん」


 ユーラシの、相変わらずの人当たりの良さを横目に内部を見る。

 店の中は一見にして、基が泊っている宿屋の部屋と同じような風貌だったと窺えるが、壁にはローブや縄、外套が掛けられており、いくつも設置されている商品棚には畳まれた衣服や布袋、ランタンが並べられていた。


「今日はなんだ、男連れて来たのか」

「ひょえ!お、男だなんて!僕は……」


 この店の店主……ノトスは顔見知りの女客が男を連れてきたという状況に、野次馬根性丸出しでニヒルな笑みを浮かべて、ユーラシを揶揄った。

 すると当のユーラシではなく連れられてきた男の方が狼狽え、顔を赤くしながらワタワタと、言及しても無いのに言い訳じみた声色で誤魔化し始める。そしてユーラシはユーラシで、あんま揶揄ってやんなよと言いながらも、創慈の様子にケラケラと笑いつつ商品を物色していた。


「ハッハッハ!愉快な野郎だ、ゆっくり見ていきな」


 十分楽しんだと、店の奥に引っ込むノトス。それに対し嵐は去ったと、まだ若干妙な熱を持つ胸を撫で下ろし、創慈も商品を眺め始めた。

 ひとまず、第一目標である衣服棚を確認する。


 そこに置いてあった衣服類はどれも同じような物で、一貫して質素な長袖の衣服だった。装飾も何も無く、灰色の無地であり、最低限服として機能すればそれでいいだろうと言ったような感じだ。そしてそれ相応に安い。何と銅貨二枚である。未だこの世界での売買経験が薄く、銅貨一枚がどれほどの価値に当たるかは創慈自身分かっていないが、それでもかなり安い部類であることは何となく察せた。


「薬草十本分……」


 思わず薬草換算してしまう創慈。現在彼の中にある金銭の物差しは、悲しくも薬草くらいしかなかった。


「ソージ、買うのはそっちじゃねぇぞー。それは住民用の服だ、お前が見るのはこっち」


 これなら二着くらい購入し、洗って着回せるでしょうかなどと考えていると、不意にユーラシが創慈に呼びかけた。ユーラシは少し離れた棚を見ており、そこにも衣服類が並べられている。

 創慈は呼びかけに応じ、素直にユーラシの元へ赴く。


「あれじゃペラ過ぎて狩りには行けねぇよ。狩人はちゃんと、安いので良いから『狩人装衣』買わなきゃな」

「『狩人装衣』……ですか?」

「そうだ、例えば……これとかな」


 棚から商品を取り出し、広げる。それは工作業用のツナギの様に見えるが、胸部や首回り、各関節部に厚めの鞣し皮が縫い付けられており、明らかに防護を意識した作りになっていた。腰帯も付属しており、帯刀やちょっとした物資などはそこに装着できるように作られている。


「なるほど、狩人用の装備なんですね」

「あぁ、アタシの着てるのも狩人装衣だ。これとは違って、アタシ用に作られたモンだから使い心地は抜群だぜぃ」


 得意気な表情をして胸を張るユーラシ。明らかに最低限の急所を守るだけに留まった防御部位と、伸縮性のある革製の布で出来たユーラシのそれは、確かに機動力を主軸に戦う彼女にはピッタリで、所々に見られる解れや汚れがその使い込みを物語っていた。

 そして腰帯には左右に一本ずつの刃の太い短剣と小物を入れる布袋、なるほど狩人として活動するには相応しい装備だと創慈は考える。


「ですが値段も結構しますね……」

「これでも中古だし一番安いやつなんだけどな。綺麗だからそうは見えねぇかもしれねぇけど」

「うぬぬ……」


 値札に記されている数字は銀貨一枚と銅貨五枚。普通の衣服の七倍以上の値段だ。だがそれもそのはず、住民用の服とは必要な材料も、手間や技術もまるで違うのだから。

 勿論そんなことは分かってはいるが、収入の少ない創慈には中々手痛い出費だ。手痛いどころか、これを買えば再び文無しである。

 ちなみに、今日の働きの成果分けは創慈が銀貨一枚と銅貨五枚、ユーラシが銀貨一枚と銅貨二枚だ。ただでさえ宿代を考えると、そもそも余裕は無いのにも関わらず装衣まで買うとなると大幅に赤字だ。


「ま、今日の宿代もアタシが出してやっから。こういうのは買えるなら早いうちに買って揃えた方がいいぜ。先輩狩人からのアドバイスだ」

「……分かりました」


 ということで、創慈はこの世界初の買い物をした。高い物を買うとき特有の若干の高揚を覚えつつも、またユーラシに借金をするという自分に情けなさを感じて。


(自立まで、まだまだ時間がかかりそうですねぇ……)


 そんなことを考えながら、暗色混じる夕焼けを背に宿へと二人は向かった。



 昨日と同じように、二人は同部屋で飯を食べつつ明日の予定を話していた。


「しばらくは薬草集めだな。収入的に魔物も狩りてぇけど、ソージのこと考えたらあんま深くまでは行けねぇしな」

「早く強くならないといけませんねぇ……」


 ビーグルと言う武器があっても、やはり自身も多少は戦えなければこれから先はしんどいだろう。思えば、最初に目覚めた場所から魔物に合わずにユーラシと遭遇出来たのは中々の幸運だったのではと、創慈は考えた。一人で活動してたユーラシが魔物のいない深度で狩りをするとは思えない、ならば創慈が召喚され、暫く彷徨っていた場所は魔物が生息する深度だったという事だ。


「ま、焦ってもすぐには強くならねぇよ。そうだなぁ……一週間か二週間はとりあえず薬草集めの合間に修行だ。もしかしたら意外と才能あるかもしれねぇぜ?」

「あると良いですがねぇ……」


 夕食のスープを啜りつつ、明日からの修行に思いを寄せる。闘気や魔法の様なファンタジーの産物を自分が扱えるようになるのか、なまじスキルやステータスがあるせいでふとゲームのように感じてしまう自分もいるが、ユーラシやビーグルは間違いなくこの世界に生きる生物で、そしてそこに迷い込んだ創慈もまた、現実の生物だ。


 きっと、この胸に抱く、どうしたって晴れない不安は……僕が僕である、僕がこの世界に生きている証拠なのではないでしょうか、と彼は窓から覗く星空を眺めながら、思った。


「今日は満月か……月が良く見えるな……よかった……」


 同じように窓から空を見るユーラシが、創慈には聞こえ切らない声量でぽつりと言う。空に浮かぶそれは薄い紫色で、創慈が今まで見ていた地球の月と何ら変わらぬようにそこにあった。大きさや模様こそ違えど、月明かりで街を照らし、燦然と星空の王かのように鎮座するそれはどこか神々しく、窓で切り取った風景はまるで絵画の様だった。


「さ、寝るか」

「そうしましょうか」


 ふっと息を吹きかけ、燭台の火を消し、寝台へ潜る二人。行為を抱いている女性と、同衾する気恥ずかしさをやっと思い出した創慈は、かと言って床で寝るわけにもいかずユーラシに背を向けて横になっていた。

 ユーラシもさほど興味も無いのかそれには何も言わない。ただ一言おやすみとだけ言い合うと静かに寝息を立て始めた。疲れていた創慈もまた、同様に。



 陽が完全に落ちてから数時間経ち、この街の住民も殆ど寝静まった夜更け。その影は隣で眠る男を起こさぬようゆらりと立ち上がった。


 沈黙したまま、男の寝顔を少し眺める。そうして起きている様子も起きる気配も無いことを確認すると、窓を静かに開けて飛び降りた。

 二階からの着地を音も無くこなした影は、足早に森方向の門へと向かう。

 月明かりがあると言っても、その者の姿は暗い夜道では容易に浮かばず、ただ黒い影だけが疾走していくように見えていた。


「ユーラシか。珍しいな、夜狩りか?」


 門前の松明に照らされ、影から小柄な女性が姿を現す。ユーラシだ。


「あぁ、新人教育で収入がすくねぇからな」

「なるほどな。分かっているとは思うが、満月とは言え森は暗い。十分に気を付けろよ」

「おう」


 ユーラシは衛兵との問答を終えると、さっさと森に向かって走り始めた。その速度は優に馬と競れるほどの速度で、森に着くまでそう時間は掛からないだろう。


 夜狩りとは、その名の通り夜間に狩猟を行うことだ。夜行性の魔物は強い代わりに希少価値があるので、しばしば大金狙いの狩人や、金が入用な狩人などがよくやっている。だが夜の森は魔物が強い以上に環境が悪いので、十全に戦うにはそれなりの訓練と経験が必要だ。

 だが、ユーラシに夜狩りをする気など微塵も無かった。


 木々の間を飛ぶように走り抜けるユーラシ。どんどんと深くまで潜っている内に、すでに頭上に広がる枝葉が月を殆ど隠してしまっており、視界など無い様なものだ。だがユーラシはまるで全て見えているかのように木々を躱し、進行上の魔物を蹴り飛ばし、ただ一直線にへ向かっていた。


 その様な芸当は、常人ならば出来ない。しかしユーラシは常人ではない。スキル【夜目】と【疾走】。

 その名の通りの効果を持つスキルを起動し、ユーラシは駆ける。

 そしてようやく、リーンリラ森林の深部の……彼女のに着いた。


「帰ったぜ、


 そこは洞窟だった。自然に出来た口の大きい洞穴の中に拠点を構えたその男は、座って壁に凭れたまま娘の帰りを迎えた。

 そうして開けた口から出るのは、ゆっくりと地を這う様な低い声。


「あぁよく戻った。報告を、ユーラシ」

「へへっ親父ぃ、見つけたぜ」

「何?本当か」


 男は驚嘆を滲ませた声色を上げた。ユーラシは悪戯が成功したかの様な、嬉しそうな笑みを浮かべている。


「あぁ、間違いねぇ。だ」

「……お前が言うなら間違いねぇんだろうな。ひとまず詳細を」


 ユーラシは彼と会ってからの二日間を全て話した。もちろん、ユニークスキルや特異称号のことも含めて、だ。見る見る内に、男の顔からぎらついた笑みが滲む。それに応じてユーラシもまた、喜色を咲かせる。


「それでよ、親父。まだアイツ自身はめちゃくちゃよえぇ。だから帝に献上する前に少し鍛えてぇんだ」

「……いいだろう。なぁに多少遅れたとて構いやしない。それに、勇者は俺たちの生命線だ……愚かな帝の機嫌を損ねん程度には強くなってもらわねぇとな」

「よっし、じゃあアタシそろそろ戻らねぇと。朝が来ちまう」


 そう言ってユーラシは拠点から飛び出す。だがその前にふと親父と呼ばれた男が声を掛けた。


「ユーラシ!」

「なんだ?親父」

「……いや、何でもない。よくやった」

「……!おう」


 男の言葉に少し照れ臭そうにしながら、再び闇に吸い込まれるユーラシ。そんな娘の後姿を見ながら、男は先ほど言おうとした言葉を胸中でなぞっていた。勇者に情を移すなよと。

 だが言う必要はないと男は分かっていた。何故ならば、彼らの優先するモノは……何よりも自分たち家族なのだから。

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