第2話:秘事

「ん?お~い、大丈夫かって」


 その少女は、尻餅をついたまま呆ける男……創慈の目の前でパタパタと手を振り、再度呼び掛けた。そして、それがスイッチになったようで、ようやく創慈の思考が彼方から戻って来たのだった。


「あの……えっと……大丈夫……です……」


 創慈はしどろもどろになりながらもそう答えた。だが自分に怪我があるとかそんな確認事項は脳内には無く、もっと違うもの……具体的ではないが、何か久しく感じていない嵐のような感情が渦巻いていた。


「そっか、へへっ驚かせちまってわりぃな!ホントこいつらは手癖悪いよなぁ」


 少女は見た目に反した口調で話し、快活な笑みを浮かべながら、先ほど仕留めた小鬼からナイフを引き抜いた。小鬼の割れた頭からはもちろん真っ赤な血がトクトクと流れ出る。そう、作り物ではない生命の終わりだ。

 現代日本で暮らしていれば、早々見ることは無いであろう刺激的過ぎる光景に創慈が呆気に取られていると、少女は小鬼の右手からペンダントを取り、己の首に掛けた。


「あの……貴女は……?」


 ようやく冷静さが戻って来た創慈は、少女に何者かと問うた。どう話しかけようと思った時、咄嗟に口から出た言葉がそれだったのだ。


「おう、アタシはユーラシってんだ!よろしくな!お前は?」

「あ、僕は内宮創慈と申します」

「ウチミヤソージ?何か変わった名前だなぁ……なげぇからソージでいいか?」


 再び快活な笑みを浮かべるユーラシ。創慈はその輝きに圧倒され、は……はいなどという、何とも弱々しい肯定の言葉を吐くことしかできなかった。そして、そんな自分を認識できない程、創慈の脳と顔面は熱く茹っているかのような感覚に襲われている。


「ん?どした?顔が真っ赤だぜ?もしかしてアタシに惚れちまったか?なんつってな!」

「い、いいいいえいえ!違います!違いますからぁ!ちょっと今日は……そう!気温が高くて!」


 ユーラシのあまりの台詞に気が動転し、咄嗟に言い訳じみた言葉をまくし立てる。彼は最早自分でも何を言っているか正確に認識は出来ていなかった。唯一分かるのは、今感じている感覚はまるで、何かとても恥ずかしいモノを隠す時によく似ているということくらいだろうか。


 そんなあまりにも必死な様子の創慈を見、イタズラっぽい笑みを浮かべて元気な笑い声をあげるユーラシ。その姿は創慈にとって、とてもとても眩しく見えた。




 それからしばらく森を歩いた。創慈はたどたどしくも道が分からない旨を伝え、何とか近くの街まで送ってもらうことになったのだ。

 共に歩き、ユーラシとの会話の中で、創慈は様々な認識を得た。


 どうやらこの森は、リーンリラと呼ばれている近くの貿易街とそう遠くない場所にあるらしいこと。ココには先ほど襲ってきた小鬼……通称"魔物"と呼ばれる生物が様々な地域や場所に住んでいて、そしてそれらの存在はそう珍しいものではないこと。そしてそれらの狩猟や魔物の生息域で採集活動を行い生計を立てる『狩人』と呼ばれる者らがおり、ユーラシはその一人だと言うこと。遠くはあるが陸続きの場所にいくつか大きな国があること。基本的に穏やかな森だが、攻撃的な魔物がでることもあるので、創慈の様な戦う術を持たない人間が一人で彷徨うのはお勧めしないということ。そしてここが十中八九日本……それどころか地球ですらないということ。


 なぜ森にいたかだとか、普段は何をしているだとか、そもそもどこから来たのかだとか逆に色々と質問もされたが、話している中の序盤で既に地球外説が濃厚になったので、創慈は何も覚えていないという事にしておいた。

 思い付きで構成された雑多なシナリオとしては、目を覚ますと着の身着のまま森の中で置き去りになっていて、そして気付けば今までの人生の記憶が消えていた。自分の名前くらいは憶えているが、何処からやって来ただとか、どんな暮らしをしていただとか、この世界の仕組みすらも覚えていない。と、そんな感じだ。


 そうして、原理も理由も何もかも分からないまま異世界に来てしまったというほぼ確定の事実に、脳味噌がかき混ぜられるな絶望と焦燥、孤独感を感じたが、何とか正気を保とうとさらにユーラシとの会話に没入していった。

 なぜ言葉が通じるのかとか、そんな超時空的かつ当然の疑問なども芽生えはしたが、皆目見当もつかず今は考えたくなかったので、会話への集中はより顕著であった。


「ふーん、記憶がない……かぁ……なるほどな……。ま、たまにいるけどなそういう奴」

「そうなんですか?」

「あぁ、結構珍しいことらしいんだけどよ。めちゃくちゃコエェ魔物に襲われたとか、ひっでぇ目にあったとかでそれを無理やり忘れようとしたら記憶がぶっ飛んじまう……ってこともあるんだ」

「ほえぇ……」

「そ、まぁソージは見るからに弱っちそうだしなぁ。大方旅の途中で魔物か賊に襲われて、何とか逃げ切ったけど荷物も全部無くして気絶……そんでこわーい思い出と一緒に記憶もパァって感じじゃねぇかな」

「なるほど……あり得そうですねぇ……」


 などと最もらしく嘯きながら、創慈の住んでいた場所ではまず起こり得ないことだなぁと、日本の平和さを再認識した。そして己の身の振り方については、暫くは記憶喪失という事で押し通そうと創慈は決めた。折角違和感を感じずに信じてくれているみたいなので、それに乗らない手はなかった。少々、この少女に嘘を吐くことに罪悪感を感じたが、なるべくそれには目を向けない様にして、ユーラシの紡ぐ言葉に相槌を打ち続けた。


「あ、じゃあよ、"ステータス"でも開いてみたらどうだ?記憶が無くなっても"スキル"が無くなることはねぇし、何か思い出す手がかりがあるかもしれねぇぞ」

「へ?ステー……タス?」

「おいおい……"ステータス"のことも忘れちまってんのかよ……。ソージお前ほんとに何も覚えてないんだなぁ……。じゃあ開き方も分かんねぇか、『ステータス』って頭ん中か口で唱えるんだ、そしたら自分の目にだけ映るぜ」


 ユーラシは少し可哀想な人を見るような眼で見つつ、創慈の肩に優しく手を置く。

 だが当の本人は、彼女が何を言っているのか上手く呑み込めずにいた。"ステータス"……"スキル"……言葉の意味は分かる。創慈とてごく普通の男子大学生、ゲームも人生の中でそれなりに遊んできた。なのでそれらの言葉が示すものは容易に想像ができる。だが、そこには何か漠然とした違和感が感じられた。地球とは異なるこの世界、魔物の存在、魔法……はあるかどうか分からないが、典型的なファンタジー的な世界に迷い込んだのだと、今のところ創慈は考えている。


 故にそれらが、まるでこの世界が形になった後に付けられた"人工物

システム

"の様に思えて仕方がなかった。だが創慈はそんな脳裏に渦巻く気味の悪さを振り払い、とりあえずそのステータスとやらを確認してみることにした。


「ス、ステータス!」


 創慈は未知への不安半分にそう唱えると、今まで感じたことのない妙な熱を網膜に感じた。それに驚き思わず目を閉じてしまう。だが気付けば、瞼に覆われ何の像も映さないはずの暗闇にソレはあった。


――――――――――――――――――――――

名前:【導く者】内宮 創慈(ソージ・ウチミヤ)

種族:不明

属性:無

技能:

『スキル』

【観察】

『ユニークスキル』

【生物操作】

称号:【研究者】

――――――――――――――――――――――


「うーん?何だかこじんまりとしてますね……」


 ソレは創慈が想像していたモノとは少々違ったが、概ねは合致していた。この世界に対する知識が薄すぎて、これから読み取れることはあまり多くは無いが、それでも一切合切何の能力も無しというわけでもなかったので少し安心する。


「おう、何か分かりそうか?」


 最初にぼやいた後ステータスを眺めて黙りこくる創慈に、ユーラシはそう問いかけた。まじまじとステータスを見つめて何かを思考しているであろう創慈の顔つきは、先ほどまでの不安を表情に張り付け吹けば飛んでしまう様な弱者のそれではなく、一転して知性を滲ませた真面目な表情をしていた。


 ユーラシの声に反応し、創慈は顔を上げる。


「そうですねぇ……他の方のステータスがどんな感じなのか分からないので、比較ができませんが……このユニークスキ―――」

「バッ……!カッお前……!」


 創慈は自らのステータスにある如何にも異彩を放っているユニークスキルのことを問おうとしたその瞬間、ユーラシは大慌てで創慈の口を塞いだ。その勢いと衝撃は、口に手を当てられた創慈が思わずのけぞってしまうほどだ。


「…………ソージ、悪いことは言わねぇ……それを持ってること、あんま口に出さない方が良いぜ。お前みたいな奴は特にな」


 これまでの張りのある明るい声ではなく、地に潜むような低い声。一瞬周囲に視線をやるその刃の様な表情と落差の大きい声色で、創慈は何も知らないでもユニークスキルを持っていることは何か大きな意味合いを持つのだと理解した。


「……っと、わりぃな。痛かったか?」


 ふっと、纏っていた硬質な空気を緩め、少しだけ心配そうな表情で創慈を覗き込む。大きな金色の瞳で見つめられた創慈は思わず硬直してしまうが、何とか大丈夫だと言葉を絞り出すことが出来た。なお、上昇した心拍数は低下していない。


「そ、その……これがあると何かマズいことが……?」

「ん?あぁ、そうだなぁ……。マズいってことはねぇよ?基本的にはな。でも、それはモノによっちゃめちゃくちゃ便利で……かつ悪いこともいくらでも出来んだ。普通の人間はまず持ってねぇし、アタシも二十年生きてきた中で持ってたのは一人しか見たことねぇなぁ。とまぁ言っちまえばそれはどんな宝石よりも貴重なんだよ。それこそ貴族どもが金庫引っ繰り返してでも欲しがったり、国がどんな手段使ってでも捕まえたがるくらいな。特に……ここはアドルグ王国って大国の領土なんだけどよ、こっから南西のずっと先に行った場所にあるガルベザン帝国……あそこは容赦ねぇぜ……ホントに」

「そ、それほどですか……」


 さらにユーラシは続ける。


「でも貴重以上に価値もあるんだ。どっかの国のお伽噺じゃ、無理矢理それを持ってる人間を捕まえようとした小国がそいつの力によって一夜で滅ぼされたとか。まぁそれがマジの話ならとんでもねぇ武力だわな。軍事利用できればあっと言う間にその国は大国になれるし……もしかしたら世界を支配できる……かもしれない。もちろん直接戦いには使えない様なもんだったってこともあるし、持ってる本人が戦える人間じゃないとかも全然あり得るんだけどよぉ。ま、小国でも大国でも欲しがるだけの価値はあるわな。んでもって一番お偉いさんが嬉しいのは、ソレが戦闘用であろうとなかろうと、一つ残らずとんでもねぇ力を持ってるってことだ」


 つらつらと、だが紛れもない事実。創慈は自分がとんでもないを望まずに得てしまったと理解する。ただただ想像以上、そして自分が今考え得る中でもかなり最悪に近い立ち位置にいると感じた。なんせ、自分には戦闘能力などというものは当然の如く備わっていない。例え件のユニークスキルがそういった類のモノだとしても、自分が戦える人間だとは到底思わない。つまりバレれば追われ、追われれば……間違いなく捕まるだろう。


「だから……だ。ソージ、その力は……使うなとは言わねぇ、でも絶対に他の奴に話したり見せたりすんなよ?」

「は、はい……わかりました……」


 ユーラシが放つ雰囲気に圧倒され、素直に首を縦に振る。半ば強制ではあるが、ユーラシの表情を見ればいかに真に迫り真面目に自分のことを考えてくれている言葉なのだと感じ、創慈は嬉しく思った。


「うし、じゃあ一応そのスキルの効果を教えてくれ。秘密を共有する以上アタシも把握しといた方が都合が良いだろ。あぁー……もちろんソージがアタシを信用してくれんならだけどよ!へへっ」


 そう言いながらユーラシは少し困ったように眉を歪めた。


 信用。創慈はハッとした思いでユーラシの言葉の一部を反芻する。それは難しいものだった。冷静な部分で考えれば、高々出会って数時間の相手。本来ならばそう心を許すような場面ではない。そしてここは自らが生まれ育った世界とは全く違う世界。日本にいた頃と同じような考えではたして良いモノなのだろうか……と考える。

 しかしこの人は、危ないところを助け、記憶喪失だとのたまう自分に懇切丁寧に様々な説明をし、そしてたった今も犯しかけた危険を諫めてくれた。もはやユーラシがいなければどうなっていたかなど、考えるまでも無いこと……。


 それならば、もうよいのではないだろうか。


 たった独りで放り出されたこの世界で、孤独と絶望に押し潰されそうになり、無意識のうちに何かに縋りたかったのかもしれない。そしてユーラシに抱くこの感情も吊り橋効果の延長線上で、幼鳥の刷り込みの様なモノなのかもしれない。

 だが創慈はユーラシを信じる他なかったし、それ以上に信じたかった。何よりも強く。


(例え裏切られたとしても、僕は――――――)


「えぇ、分かりました、共有しましょう。ですがその前に、スキルや称号の効果を知る方法はありますか?」

「おぉ!ありがとな信用してくれて……っと、スキルの効果……って称号もあるのか……まぁいいや。方法は簡単だぜ、知りたいって念じながら注目するんだ。そしたら見えてくるぜ、やってみな」

「はい!」


 これから先の未来に恐怖もある、不安もある、だが進まなくてはならない。これはそのための第一歩。創慈は少しだけ晴れやかな気持ちで、再びステータスを開いた。


「では早速……ついでに他のスキル等も確認しておきましょうか」


 そうしてギュッと視点を絞り、願う。するとふわりとステータス上に新たな情報が開示された。

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