夢喰い街
水沢かい
一
冬の寒波が悪戯に遊びまわっているこの街を、僕は数年ぶりに訪れた。
駅のホームに降り立つと、冷たい風が足元を一周し、首筋を迂回して駆け抜ける。
寒さに体を震わせながら、新幹線の中では脱いでいた上着を慌てて羽織った。それでもまだ、寒かった。
案内板に必死に縋り付いていると、いつのまにか人混みに紛れ込んでいた。久しぶりに耳にする大都市の喧騒に押し流されないようにしてJRの改札を目指していると、突然、胸ポケットで携帯電話が震えだした。
こんなときに何の用だと、左手で震えるそれを取り出して見ると、画面には、この喧騒には似つかわしくない、それでいて懐かしい名前が浮かんでいた。
「もしもし」
耳に画面を押し当てると、電話の向こうからは、一足早く喋りだした彼の声が聞こえてきた。
「…しもし、俺だ。覚えてるか」
数年ぶりに耳にする彼の声は、不思議と、至って自然に鼓膜を震わせていた。きっとそれは、彼の名乗りもせずに切り出す態度が、昔と全く変わっていなかったからなのだろう。
「覚えてるよ。なんだい何かあったのかい?」
僕が早口で尋ねると、彼は電話の向こうで少しだけ沈黙した。もしもし、とこちらが繰り返すと、彼の声がガサガサと音を立ててなにやら伝えようとしていた。しかしそれはこの大都市の喧騒に打ち勝つ術を知らなかったようだ。
「ちょっと待ってくれよ」
地下に続く階段が見え始めたところで、そう断りを入れてから、右手で引いていたスーツケースの取手を握り直した。
階段を下りて地下にもぐると、そこはまるでサウナのような暑苦しさだった。背中にじんわりと汗をかくのを感じなら、僕は彼に再び「もしもし」と尋ねた。
今度ははっきりと彼の声が聞こえた。
「今日、ウチに来ないか」
しかしそれはあまりにも呆れる提案だった。僕は「それは急な話だね」と、行くとも行かないとも取れない返答をした。僕の返答に彼はまたもや沈黙したままなので、「何かあったのかい?」と再び尋ねると、
「何もないさ。ただ、誰かに会いたくなっただけなんだ」
と彼はいかにも正当なことを言っているような調子で言った。彼にはそういうところがある。こちらが予期せぬ所で、涼しげな顔をしているところが彼にはある。僕は携帯電話を持ち直して、少しだけ考えてから、
「いいよ。これから君の家に寄ろう」
と、自分でも驚くほど早く、素直な返事をした。別にこれと言った決め手はなかったが、強いて言うのなら、久しぶりに耳にする彼の声が、この外気に似つかわしくない、暑苦しい東京の、唯一の避暑地のように思えたからだ。
顔は見えないが、彼は明らかに嬉しそうな声を上げて喜んだ。
「家の場所は前と変わっていないのかい?」
僕が尋ねると、
「引っ越す金もないんだ」
と、彼は笑いながら言った。
それから、一言二言会話をして、電話は彼の提案で切られた。携帯電話を胸ポケットに入れ直して、スーツケースを右手から左手に持ち替える。当初目指して歩いていた路線を変更して、彼の家の最寄駅を走る路線に行き先を切り替えた。
目的地のホームは、エスカレーターを降りるのがやっとのほど、大量の人でごった返していた。人と人との間をすり抜けて、なんとか人の少ない列に並ぶことができたが、それでも結局、電車を二本見送った。
東京は、雨が降りはじめていた。
ようやく乗れた電車は、降り始めた雨のせいで体中に湿気を纏まりつけていて、車内でカバーをかけられて項垂れる扇風機が、その湿気を払い切れるわけが無かった。
全てが、この街の強力な何かによって一飲みにされているような気がして、それは肩から背中にかけて、ぞわぞわと嫌な焦燥感を掻き立てた。それを抑え込むようにして、肩をドアに押し付けて外の景色を眺める。
空には淡白い月が宙を漂っていた。振り切れない月の光が、僕を追いかけていた。
べったりとした藍色の絵具を身に纏った空と、大都市の煌びやかな明かりのせいで、星はまともに見えなかったが、月だけは懸命に輝いている。
それが不思議と妙に嬉しくて、それはきっとこの落ち着かない景色の中で、唯一、見慣れた物を目にしたからなのだろうと思った。
六つ目の駅で降りると、不思議なことに、彼の家までの道のりが、すっと鮮明に思い出された。理由はわからないが、きっととてつもなく単純なものだったからだろう。駅からそう遠くないにも関わらず、家賃が安いアパートの一室に彼は住んでいたのだ。引っ越す金もないと彼は言っていたが、引っ越す予定も無いのだろうと思った。
改札を出て、傘を差そうとすると、鞄にあるはずの折り畳み傘が入っていなかった。新幹線の中に忘れたのだろうか。今更届け出ても遅いだろう。
畜生と思いつつ、それほど強くは降っていないので、このまま行こうとすると、向こうから見覚えのある姿が近づいてくることに気がついた。彼だった。
灰色のパーカーに、破れかけたジーンズを組み合わせた彼は、最後に会った時と変わらず、少しだけ猫背な格好をしていた。
「やぁ」
僕が左手を上げると、彼はパーカーのポケットに突っ込んでいた片方の手を出して、同じように、「やぁ」と返事をした。
「久しぶりだね。元気かい」
「おまえは相変わらず暑苦しい格好をしているんだな」
「これを着ることが仕事なんだよ」
「傘を持っていないのか?」
「どうやら新幹線の中に置いてきたみたいなんだ。君は持っているのかい?」
「持っていないさ。雨の日に外に出たりなんかしないからね」
「それじゃあ、今日は僕のために来てくれたのかい?」
「そうだな、そうなのかもしれない」
数年ぶりに顔を合わせたにも関わらず、会った瞬間に、挨拶を通り越して、会話は見事に弾んだ。弾むと言っても、どれも緩急の無い話ばかりだったが、途切れることはなかったと思う。彼が一方的に、抑揚を付けずに話し、僕がそれに淡々と相槌を打つようなものだ。途中途中で沈黙が入り込むこともあったけど、それすらも会話の一つのような気がしていた。昔から彼とのそういう会話が好きだった。久しぶりに話せることが、なんだか妙に嬉しかった。彼は僕にとって、月と同等の存在なのだろう、そう感じた。
彼のアパートは記憶していたよりもずっと駅から遠くて、見覚えのないコンビニの反対側の道路に面していた。そのせいで彼の家に着くまでには雨でずいぶんと濡れてしまったし、傘を買おうにも、もうすぐそこだからという理由で、結局傘を差さずに来てしまった。
アパートの階段を二十段ほど上って、左奥の扉に行こうとすると、
「そっちじゃない。こっちだ」
と、彼が右側の扉を指さした。
「そっちは田中さん家だ」
右奥の部屋に入ると、すぐに畳のスペースに通された。丸いちゃぶ台に湯呑みを2つ置いて、2人で向かい合って座った。それから、彼は田中さんの話をし出した。内容はあっても無いようなものだったが、その田中さんが、癌の治療に専念していることだけはわかった。話に一応の区切りが付いたところで、せっかくだからと萩の月の封を切った。彼は、俺のために買ったわけじゃないだろうから、と最初は遠慮していたが、あっという間に三つを平らげた。
甘くなった口に、茶を一口二口含んだところで、彼の背中側にある机に目が止まった。正確に言えば、その机の上にある原稿用紙に目が止まった。
まだそんなものを書いているのかい?と僕が原稿用紙を指差して尋ねると、ああ、書いているんだよ、と彼は素っ気ない返事をした。それから机を転げていた万年筆をペン立てに突き刺して、でもうまくいかないんだ、と、原稿用紙を丸め出した。くしゃくしゃになった原稿用紙を、慣れた手つきで屑入れに放り込んだ彼は、はぁとため息をついてもう一度、畳の上で胡座をかいた。
「人生はうまくいかないことの方が多いって言える年はもう過ぎちまった。これからはどう言い訳して書いていけばいいんだろうな」
その言葉を聞いて、なぜ今日、自分が彼の家に呼ばれたのかがなんとなくわかった気がした。彼は人生について一人で悩むのを好まない人間だった。つまりは聞き役が必要だったという訳で、その役に、たまたま連絡先の一番上に載っていたであろう僕が抜擢されたという訳だ。僕の姓はア行の初めの方なのだ。
「君にしては偉く沈んだ話じゃないか。それも年のせいなのかい?」
僕が冗談めかして言うと、そうなのかもしれない、と彼は戯けた顔をして言った。そうじゃないのだろう、と僕は思った。原稿用紙が投げ込まれた屑入れには、同じように丸められた写真が入っていた。前まで綺麗な白い写真たてに収まっていたはずの写真だ。彼と彼の恋人が映った写真だった。
「別れたんだ。ついこの間。クリスマスは2人で過ごす約束だったのに、出て行っちまった。あいつは言ったさ、いつまでそんなの書いてんのって。つまりはな、もう夢を追う年じゃないでしょってことだ」
いつの間にか彼の話は始まっていた。僕は彼と同じように畳の上で胡座をかいて、その話を聞いた。彼は至って冷静に、かつわかりやすく、彼女との別れ話を語っているつもりだったようだが、その心の奥に、どれほどの想いが熱く煮えたぎっているのか、それを教えてくれはしなかった。つまりわかりにくかった。僕には一体なぜ彼がその話を持ち出すことにしたのか、その意図がわからなかった。
わからない話の途中の内容は忘れやすい。覚えているのは、彼が放った最後の言葉だけだった。
「人生にはうまくいかないことの方が多いっていうのはよく聞く話だが、うまくいかなくたっていいことがうまくいかないくて、うまくいくべきところは淡々とうまくいく奴だっている。勉強も運動もできて、おまけに顔まで良くて、何ができないのかと尋ねれば、絵が描けないんだ、とか言うやつの話だ。反対に、うまくいかなくたっていいところばかり調子に乗って、うまくいくべきところで転ける奴もいる。俺はどっちだと思う?」
最後に疑問形で終わった彼の話に、僕は、うまくいってるかいってないかは、人によってその尺度が違う。君と尺度の合う人間と付き合うのも、一つの手だ。と偉そうなことを言って終止符を付けた。彼は黙ってうなずいた。それもそうだと言った。あいつとは尺度が違ったのかもな、とも言った。
先程まで気にならなかった沈黙が、この時はやけに居心地が悪いものに感じだ。彼との会話の中にはもともと沈黙が多いものなのだが、今回ばかりはそれに耐えかねた。
しかしそれは彼も同じだったようで、結局、彼の方がまた、口火を切った。
「昔は幸せだった。ただ夢さえ追いかけてれば良かったんだ。夢を追えるやつはかっこいいと言われていたんだ。それなのになんでだろうな。ある時を境に、いい加減夢を追うのをやめろと言われる。つまりな、いい加減夢を叶えろと言われるんだ。それはどうしてなんだろうな。夢を叶えるのは早い方がいいなんて誰が決めたんだろうな。安らかに死ぬことが夢の奴は、一体どこでその夢を叶えればいいんだろうな。なぁ、俺はもうどうしたらいいかわからないよ」
彼は今度は語尾に詠嘆を付けてその話題を終えた。昔は良かったんだ。その台詞はきっと彼の口以外からも聞いたことのある台詞だ。でもこれまで聞いた中で、一番、悲痛を滲ませた台詞だった。
夢を追うことは怖いことなのかい?
僕の問いに、彼は目を丸くして答えた。
「まさか、怖いわけがない。ただ、夢を追うことで、失っていく物の方が多い気がするだけだ。この間だって、彼女を失くしたんだ。そうだ、おまえは、夢を叶えたのかい?」
唐突に自分のことを話題に取り上げられて、僕は一瞬動揺した。夢なんて考えたこともなかったからだ。生まれたときから、親の後を継ぐことが自分の将来だと思っていた。
この街にいると忘れそうになる。たくさんの人混みに紛れて、ついでに自分の夢まで人の夢に紛れてしまいそうになる。そしていつだかすり替わった夢を、本当の夢だと勝手に思い込んでそればかりを追い続ける。そして本当の夢は、置き忘れられた折り畳み傘のように、持ち主の行き先とは別の方向へ、ふらふらと漂い続けるのだ。
一体僕の本当の夢はなんだったのだろう。
「考えたこともなかったな。昔からずっと、お医者になるって決めてたからな。それが夢なのかと聞かれたら、そうだ、と答えていただろうし、別にそれをおかしいなんて思いやしなかった。でもなんでだろうな。君の話を聞いていると、それが少しばかり、虚しい気がしてくる。いくら自分の将来が決まっていたからって、自分が叶えたい夢を考えなかったのは、人生を損した気分だなぁ」
「スーパーの帰りに安い八百屋に立ち寄った時の気分か」
「そんな安っぽい話じゃない」
うまいな、と彼は笑った。目尻に刻まれたシワは、昔と変わっていなかった。彼は昔から変わっていない。ただそれを社会が、環境が変えようとしている。その変えようとする力は年を重ねるごとに強まり、そしてある時ふとなくなる。それがなくなったときが、結局一番怖いのだ。人に勝手にしろと言われると幾分か自由になった気がするが、社会に勝手にしろといわれると、掴むべきものを掴まず、生きるべき道を生きてこなかったように感じる。
ならばどうしろと言うのだろうか。
社会に縋り付いたまま、自分の夢を追うことなどできるのだろうか。いや、そんなことできるわけが無いのだ。なぜなら自分の夢は、社会を基盤にして描かれたものではなく、理想を基盤にして描かれたものだからだ。社会が自分にとって理想でない限り、その夢を社会に縋り付いて叶えることなど到底不可能なのだ。それなのに僕たちは、この世界で、身を寄せ合うようにして、お互いを求め、振り落とされないようにして夢を追い続けている。全く矛盾しているのだ。
そのとき頭の片隅で、さっき目にしたコンビニの光がぼんやりと浮かび上がった。
「おい、コンビニ行ってくるけど何か必要なものあるか」
「なんだ、いきなり。酒なら冷えてるし、少しくらいのつまみならある。他に必要なものがあったのか」
いかにも彼らしい返事だった。僕は笑って、いいや、コンビニに行こうと思っただけだ、とつまらない返しをした。
「おまえはいつもそうだな。コンビニに行こうと思っただけで、そこで何かを買おうとなんて考えやしない」
「昔っからそうなんだ。なぁ、おまえの話を聞いてて思ったんだがな」
僕は玄関で靴紐を結びながら、ふと思ったことを口にした。
「君と僕は反対なんだろうな。結局、君はコンビニで買いたい物だけを考えていて、コンビニに行こうとなんてしていない、そういう人間のような気がするんだ。夢を叶えた後の準備は万端だけど、夢を叶えるまでに至っていない。もっと言えば、小説家になろう、と夢を持つ前に、下手でもぐちゃぐちゃでもいいからまず一作品書いてみるべきだと思うんだ。つまりな、君はなんていうか、夢を見ているだけで、正確には追っていないんじゃないのかい?」
そこまで言ってから、しまったと思った。ついまた偉そうなことを言ってしまった。靴紐を結ぶ手を止めて、後ろを振り返ると、彼は真剣な表情で茶の入った湯呑みを見つめていた。
「悪いな。気分を悪くさせたのなら謝るよ」
「いいや、そんなことはない。なぁ、ちょっと待ってくれよ」
彼は畳の上に立ち上がって、それから手近にあったコートを手にしてこちらに歩み寄った。
「俺もコンビニに行くよ」
「急にどうしたんだい。いや、本当に気を悪くさせたのなら悪かった」
「いいや、本当にそうじゃないんだ。どうだ、ちょっくら外の空気でも吸いながら続きを話そう」
彼に押されるようにして2人で部屋を出ると、空には雲のベールに包まれた月の光が浮かび上がっていた。雨は止んでいたものの、外気は冷たく湿っている。肩を震わせながら階段を降りていくと、反対側の歩道に白い蛍光灯の光を宿したコンビニが見えた。車道を3台目の車が通過したところで、信号が青に切り替わった。
特に口を開くこともなく、せっせとコンビニに入っていく。そして二人で迷うことなく缶ビールを買った。ものの数分でコンビニを出て、近くのベンチに腰を下ろした。
先に蓋を開けた彼が口を開いた。
「少し考えてみたんだがな。俺たちは、なんていうか、夢を喰われちまったみたいだな」
「どういうことだ?」
僕が訊き返すと、彼はビールを一口含んで、うまく言えないんだ、と残念そうに俯いた。それから少しだけ顔をあげて、点滅する信号を眺めながら話し出した。
「おまえの話を聞いていると、気を悪くしないでほしいが、少し俺と似ている気がするんだ。俺は夢を見過ぎたが、おまえは夢を見なさ過ぎた。そして2人とも、夢を追わなさすぎたんだ。それで、夢を追わなくなった理由は何なのか考えてみたら、夢を喰われたせいなんじゃないかって思ったんだよな」
彼は、うまく言えてるかわからないが、と付け足して一旦話すのを中断した。彼の心細気な声はアスファルトの地面にぽつりと波紋を描き、その波の振動はゆっくりと僕の足元に届いた。
「つまり、君は夢を喰われたから追えなくなったといいたいのかい?」
「まぁそういうところだ」
「じゃあ全部この街のせいってわけか」
「無責任だと思うか?」
「いいや、思わない」
本当に思っていなかった。
彼の話を聞いて、あの電車の中で背筋を伝った嫌な焦燥感と、それを掻き立てた強力な力の正体が何だったのか、それがわかったような気がした。
ようは、この街に、僕たちはいとも簡単に飲み込まれていたのだ。
獲物だと思って追いかけていた小魚が全くの偽物だったように、僕たちはこの社会の釣り人に、いとも簡単に釣り上げられていたのだ。
何年か前に予備校の先生に言われた言葉が頭をよぎった。医学部に進学したいと言っていた僕が、ある日映画に興味があると言ったとき、先生は言ったのだ。
「なんで、その道を目指さなかったの?」
遠回しに、医学なんて無理だろうからそっちの道に行きなさい、と言われているような気がして、その時は「そうなんですけどね」と、笑って誤魔化したのだ。しかし今思えば、なぜ本当にその道を目指さなかったのか。あの時は、そう言われたのが悔しくて、勉強して、結局二浪して医者になったのだ。けれども、じゃあ映画の道は無かったことにしたのかと言われたら、それは違うのだろう。いつのまにか、失っていた。
「映画の世界でトップスターになれるのはほんの一握りだ」
なぜこの街は、夢を本気で後押ししてやれないのだろう。なぜ、それに付き纏うリスクを最大限に考えるのだろうか。楽しいことよりも、その先に待っている現実を人々は最大限に恐れるのだろうか。
そしてなぜ僕は、そのリスクを恐れていたのだろうか。夢を追っているはずの本人が、いつのまにか、その夢を避けている。
夢を追うことは怖いことなのかい?
彼に言ったあの言葉は、ひょっとすると僕自身に問いかけた言葉だったのかもしれない。
この街は、どこかおかしいのだ。いや、この街に住む僕が。どこかおかしいのだ。
しかしながら僕の混迷を他所に、空になった缶をアスファルトの地面に下ろした彼は、唐突にその口を開いた。
「女の愛も、金も、酒も底を尽きたんだ。こんな俺がいくら足掻いたって誰にも迷惑はかけないだろうよ。それなら好きなだけ暴れまわっても悪かないよな」
その言葉に僕は思わず笑ってしまった。それから、君は本当に変わらないね、と返事をした。そして自分も残り一口になったビールを飲み干した。
この街はどこかおかしい。
けれども、僕たちはきっと、これからもこの街に縋り付いて生きていくのだろう。この夢を喰い続ける街に、夢を喰われ続けるのだろう。それでも、どんなに夢を喰われようとも、喰われるたびにその夢を描き直すことが、この殺気だった街で生きていく、唯一の方法なのだ。
「これからどうするつもりだ?」
彼に尋ねられた僕は、そうだな、と気のない返事をして空を見上げた。
電車からみたぼんやりとした月よりも遥かに鮮明に輝く月が、頭上を照らしていた。
夢喰い街 水沢かい @kai_mizusawa54
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