第3話
ユリウスが路地から目にした大通りの様子は非常に奇妙だった。というのも、皆華美な、もしくは質のいい衣装をこしらえているからだった。ペラペラの破れた服を纏っている者は疎か、乞食も見当たらず、昼間のように照らされた街が雑踏と活気に満ちていた。
彼女が目にしたことのない光景で、よほど潤った国なのだろうと考えた。しかし通り過ぎる者達の言葉自体は聞き取れるので、近隣諸国のどこかだろう。ただ、彼女の記憶では今現在はどこも小競り合いをしており戦果が続いているはずだった。このような隠れた街が一体どこに存在していたというのだろうとユリウスは気分を悪くした。
女は皆スカートを履いている。いくら短髪だろうとタキシードは胸の膨らみを隠せないし、顔の造形も男と見紛う事はない。精々、おとこおんなと揶揄されることだろう。そこでユリウスははたと気がついた。ユリウスの姿は人目をひく不審者ではないだろうか。ウーロは彼女を嘲笑うために男装させていたが、高貴な人々の中でも一張羅を着ていたユリウスは色々な意味で受けがよく、どこに出ても恥ずかしくはない格好をしていると自負していた。市民に至っては女性がパンツを履いているのはそうおかしなことでもなかったが、もしかすればここでは彼女こそがおかしいのかもしれない。誰も煤けた顔などしていないどころか、ユリウスの一張羅は片付けの為か所々小さいが破けている。
「そこの君、さっきから何をしているんだ」
咄嗟に振り返ったユリウスは躯体のしっかりした男を見上げて内心焦った。ユリウスは男が武闘派だと真っ先に気がついた。彼は威嚇するどころかへらへらと余裕のある笑みを浮かべて彼女を見下ろしている。さっと確認すれば剣とダガーが腰にぶら下がっていた。左利きだ。
紺色のスーツを身に着けており、両肩の上には赤い肩章が乗っている。民族装束の一部でなければ、主要機関の組員かもしれない。堂々と帯刀していることといい、ユリウスへの当然のような声のかけたかといい、不味い相手かもしれない。
「その格好は?」
「…仕事着です」
ユリウスは警戒してジリジリと下がったが、男は堂々と間合いを詰めた。
「ずいぶん古そうだね。肩口が破れているよ」柔らかなウェーブのかかった稲穂色の髪越しに、緑色の目がてらてらと眼光を鋭くしていく。
「お教え頂きありがとうございます」
「身分証は?」
「…現在は所持しておりません」
「じゃあ、名前」
「ユリウスと申します」
「…うーん」イーサンは丁寧な姿勢を崩さず律儀に返答をする怪しい女に眉を搔きながら困った。「どこの家の人?」
「……貴方様は何方でございますか」
逆に怪しまれたイーサンはびっくりして温和な笑みを浮かべた。「イーサン・カトレア・コレールと申します。一番隊に所属しております」そう言うと軽く一礼した。
イーサンの突然の変わり身に、女の表情に特に変わった様子はなかった。はきはきした言葉とは裏腹にただただ困惑しているようで、明確にイーサンを避けようとしていた。
「わたくし殿方が苦手ですので、もう少し離れていただけますでしょうか」
「大変失礼致しました」と、イーサンは一歩だけ譲歩した。
男の服装が凝った作りだと考えていたユリウスは一番隊と聞いて兵か自警団の類だと確信を深めた。ユリウスを見てあえてどこの一番隊か名乗らなかったのだろうか。そんなはずはないと彼女は思った。おかしな話だが、子供じゃあるまいし自分が何処にいるか分かっていない者がいるとはまず考えていないのだ。
「先程タキシードを纏った女性が困っているようだと相談を受けまして。何かを探しているようだったと。失礼ですが、貴方ではありませんか」
「…わたくしでしょうね」彼女はため息混じりに言った。「解決致しましたのでお構いなく」古いタキシードだと男が言ったことにユリウスは逃げ出したくて堪らなくなった。
「しかしお寒いでしょう。男装をしているとはいえ、失礼だが女性にしか見えません。夜も遅いですし危ないですよ。その格好だと目立つことでしょう。よろしければどこかで温まりませんか」
「いえ、結構です」もしも街の者でなければば何かの罪で投獄されるかもしれないとユリウスは考えていた。「雇い主が探しているやもしれませんので、これ以上は結構です。ご迷惑をおかけ致しました」
ユリウスが離れようとすると男は食い下がった。「見つけたのですか?落とし物です」
「…ええ、見つけました」ユリウスは手首に巻いたハンカチを示した。「まだ何か?」
「ご存知ありません?身分証の所持は義務ですので。無ければ連行致します」これは嘘八丁だった。
すると、見事に女は引っかかった。ユリウスの全身から刺すような気配が発せられて、イーサンは内心細く笑んだ。そして、笑みは一瞬にして氷ついた。
女が屈んだと視認した瞬間、イーサンは左腕で蹴りを防いでいた。足首を掴もうとするともう片方で股間を蹴り上げられそうになり彼は慌てて後退した。ダガーに手を伸ばす暇もなく拳が迫ったのでガードすれば、女はイーサンの上腿を遠慮なくブーツで踏みつけて、あっと思った時には頭上の欄干にぶら下がっていた。
「おいおい」
不味いと感じたイーサンは痛みを堪えて頭上の女をじりじりと追ったが、欄干伝いに移動していたユリウスはやがて行き止まりになって屋根の上へと姿を隠した。
周囲の人間が騒いでいたのでイーサンは女を追うふりをしてその場を去った。彼とてやり過ぎた節はあったので追うか迷ったが、放置して問題を起こされては困るのであとは部下に任せようと考えた。イーサンは痛みを我慢しつつも久々の興奮に爛々と瞳を輝かせていた。
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