第41話

 僕たちは、ずっと叫び続けた。


 それぞれの想いを言葉にし、叫び続けた。


 中には、お腹が空いたなど、眠たいなど欲求を叫ぶ者もいたけれど、発するたび藤原の鉄拳制裁が行われていた。


 ふざけた様子もちらほら見られたが、それにもどうやら僕は救われていたらしい。今にも張り裂けそうな心が、緩んでいくのが確かに感じ取れていたのだ。


 誰に対する想いなのか、誰から受ける想いなのか、それはもしかしたら当人にも分からないことがあるのかもしれない。


 けれど、それはただ気付いてないだけ。


 きっと、それはずっと前から、出会った時からずっと想い続けていたことなのだ。心の奥底で、自分でも気づかぬほどにひっそりと、想い隠れていた感情なのだ。


 その感情は、きっかけさえあれば、ひょいっと軽やかに顔を出す。


 あまりにも軽やか過ぎるものだから、宿主であるこちらが驚いてしまう。


 しかし、慣れてみればそれは何とも心地よいものだった。


 気付いてそして、受け入れて、それだけで心が温まるのだ。

 

 僕は思う。


 幸福をもたらすのは、ケサランパサランなんかじゃない。


 もっと簡単で、常に自分の中にあるその想いが幸福をもたらすのだ。

 

 僕が彼女に抱いたような想いが、本当の幸福に導いてくれる。だって、そうだろう。


 ぼくはこんなにも――。


「おはよう、欄君。目が覚めたみたいだね」


 僕の視界に突然飛び込んできたのは、白い服に身を包んだ壮年な男性だった。


 僕は状況が掴めず、辺りを見回す。


 どうやらここは、病院内の一室のようだった。


 白に染まった部屋が映し出された視界の中には、医者の男性を除き、七人の人間の姿も映し出されていた。


「よかった、本当によかった。倒れた時はどうなることかと思ったよ」

 

 海で出会った子供の父親が、泣きながら言う。なるほど、僕は叫び続けやがて力尽き倒れたのか。そして、この病院に運び込まれた。

 

 彼は膝を突き、泣き崩れた。


 相変わらず変な人だな、と僕は思う。


 いくら子供の命の恩人だからといっても、ここまで想いを寄せることができるものなのだろうか。


 他人でここまでの状態になるのだから、海で子供が溺れていた時は本当に頭の中が真っ白になっていたのだろう。


 蓮の両親とは、対極的な父親だ。

 

 僕は彼を見ながら改めて変な人だなと思いながら、笑みを零した。


「まあ、何にせよ結果オーライってやつだな!」 


 不良集団の頭、藤原が豪快に笑いながら言う。


 あまりにも豪快で嬉しそうなものだったから、僕もついつられて笑ってしまった。

 

 結果オーライ? 


 彼の言葉の意味が把握できず、少し困惑する。


「もう、心配させないでよお」


 涙を流しながら、筒井梢が言う。

 

 涙を流し膝をつく人間が、二人になった。まるで重症患者が九死に一生を得たような扱いだ。


 大げさすぎる二人の反応に若干うんざりしながらも、顔が綻びてしまう。


 思えば海での出会いといい、学校での出会いといい、ゲームセンターでの出会いといい、妙な縁ができたものだ。


 藤原の後ろに携える三人は、特別言葉を発することもなく、安らかな表情を見せながら黙然としている。マコの姿が見当たらないが、手洗いにでも行っているのだろう。


「欄君、ケサランパサランは本当にいたようでござるよ」


 田所君は、満面の笑みで言った。


 言葉を受けた直後は言外の意味がまるで分からなかったけれど、それはすぐに理解できるようになった。

 

 人間の列が割れ、その先には一つの光が見えた。


 雨は上がり、夜も既に明け、太陽の光が生命の存在を輝かせながら地上に降り注ぐ。


 一室の窓から差し込む光は、形容しがたいほどに美しく、眩しかった。

 

 次第に光の中から一人の少女が現れる。


 真っ白なベッドの上に彼女は座り、こちらに顔を向けていた。


 確かにそれはそこに存在していて、今もなお息づいている。

 

 脈打つ鼓動が、僕の身体に響き渡る。


「皆から聞いたよ、無茶しすぎ」


 何も言えなかった。


 僕はまだふらつく身体を無理やりに動かし、彼女のもとへと歩み寄った。


 まるで、そこに僕の全てがあるかのように、僕はただそこだけを目指して進んだ。

 

 僕が側に辿りつくと、彼女はにっこりと笑った。

 

 蓮の笑顔がこんなにも近くにあることに僕は、涙を流さずにはいられなかった。


「あはは、何泣いてるの? 男の子でしょ、しっかりしなよ」


 皆の笑い声が聞こえる。


 けれど、それは嘲笑ではなくとても温かく、安心するような笑声だった。


 ずっと聞いていたいような、その輪の中にいつまでもいたいような、そんな気にさせられるものだった。

 

 蓮は僕の手をゆっくりと手に取り、目線を合わせる。


「手紙、見てくれた?」


「ああ、見たよ」


「どうだった?」


「何が?」


「嬉しかった?」


 僕は、軽く蓮の頭を小突く。


「いったー! 何するの、女の子に手を上げるなんて!」

 

 二度三度続けて、軽く小突く。


 すると、彼女が僕の頭を小突こうとしたが、座っている者が立っている者の頭に手が届くわけもなく、蓮の振り上げられた右手は宙を舞っていた。


「ふう、疲れた。まったく欄君は相変わらずだな」


「君もな」


 僕たちは、笑う。軽快に、笑う。


 一時の間が、ゆっくりと流れる。


「今度は、きちんと言葉にするね」


「ああ」


「あたしの望みは――」


 太陽の光が、僕たちを包み込む。


 眩しく穏やかな光は、時として失われたとしても、それは永遠ではない。


 また、再び輝きだし、新たな光を生み出すのだ。


 温かく、ずっとそこに浸っていたいと思わされる光。きっとそれこそ、幸福と呼ばれるものなのだろう。

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