第39話

 顔を上げることができず、田所君の両肩を掴んだまま俯き続ける。


 田所君は、僕がしているのと同じように僕の両肩を掴んだ。違うのは、手から溢れ出る温もり。


 田所君が触れる肩の部分だけが、冷えきった他の部位とは違い温かかった。


「欄君、ケサランパサランって知っているでござるか?」


「……え?」


 僕は耳を疑った。


 まさか、彼の口からその単語が出てくるとは思っていなかった。知らないはずがない。僕がその、ケサランパサランなのだから。

 

 しかし、当然そう言えるはずもなく、僕は静かに彼の言葉を聞いた。


「昔、田舎の祖母が言っていたのでござるが、なんでもこの世界には幸福をもたらしてくれるケサランパサランという生物がいるらしいでござる。その生物は相手の望みを聞き届け、叶えるのだとか」

 

 僕は、黙然しながら俯き続ける。


「驚く事に、ケサランパサランは人間と見た目の区別がつかないそうでござる。だから、欄君。もしかしたら小生たちの周りにも、ケサランパサランがいるかもしれないのでござるよ」


 もし、本当に僕の他にもケサランパサランがまだ生き残っていたとして、それが解決に繋がるとは到底思えない。


 確かにケサランパサランは望みを叶え、幸福をもたらす生物ではあるけれど、それは特定の相手のみにしか作用しない。加えて、人間限定だ。

 

 ケサランパサランの望みをケサランパサランが叶える事は、不可能だろう。

 

 どうすることもできない絶望を改めて思い知らされ、悲しみと苦しみの底に突き落とされた気分だった。


「叫ぼう」


 田所君が言う。


「古来より人間は、叫び祈り願ってきた。だから、小生たちも叫ぼうではないか。もしかしたらどこかで、ケサランパサランが聞いておるかもしれぬ。さあ、欄君。君の祈りを、願いを、望みを、心の底から叫ぶのでござる」

 

 田所君が提案した行動は、さほど意味を成さないようにも感じたけれど、今の僕にはそれでもありがたかった。縋れるものがまた、できたのだから。

 

 激しく雨が振り落ちる。


 僕は天を見上げ、大きく息を吸い込んだ。

 

 僕には、何もできない。ただ、叫ぶことしかできない。


 叫ぶことで蓮が救われるというのなら、いつまでも叫び続けよう。


 僕の想いを乗せて、いつまでもいつまでも祈り続けよう。望み続けよう。


 君を想い、つまでも僕は叫び続ける。


 だって僕は君の事が――。


「死ぬな! 死なないでくれ、蓮! 死なないでくれ!」


「それだと連ちゃんに祈ってるように聞こえるでござるが、まあ、関係ないでござるか。よーし、ごほん。死ぬな! 死ぬな!」

 

 田所君も、僕と同じようにして叫びだす。


 彼には関係のない事のないはずなのに、どうしてここまでできるのだろうか。


 温かい。妙に空間が――温かい。


 「おーい! おーい!」


 またも門の方から、声が聞こえる。


 けれど、僕は叫ぶ事をやめない、やめることができない。


 田所君が僕の意を汲んでくれたのか、門へと走って行った。少しして、田所君は一人の男性を連れて帰ってきた。


「やっぱり、君はあの時の」


 田所君が連れて来た男性は、僕の知る男性だった。


 一度だけ出会ったことのある彼は、海で溺れていた子供の父親だった。僕は一度叫ぶのを止め、彼と向き合う。


「たまたまこの近くを歩いていたら叫び声が聞こえたので駆けつけたのですが、一体何があったんです?」


 田所君は彼に語りだす。


 どうやら、事の事情を説明しているようだ。

 

 説明を聞き終えた父親は、不思議と険しい表情になり、怒りを露にしていた。


「……なんということだ。では、彼女は病気でありながら息子を助けてくれたというのか……」


 彼は一度、雨の音が掻き消されるほどに大きな音を立てながら、自分の頬を叩いた。怒りの矛先は、自分に向いているようだ。


「私は馬鹿だ! 馬鹿すぎる! 自分の息子を助けに行くこともできず、あわやそれと引き換えに、優しい女の子の命を奪おうとしている」

 

 彼は、田所君に詰め寄る。何やら二人で頷きそして――


「「死ぬな! 死ぬな! 死ぬな!」」


 叫びが二重になった。


 蓮が死にかけていることに、彼がそこまで思い悩む必要もないように思うのだけれど、きっと彼も田所君と似た人種なのだろうと思う。


 温かさが増した。


 この庭園一帯の温かさがより一層増し、今まで抱いていた不安が心なしか軽くなった気がする。

 

 僕たちは、叫び続ける。


 叫び続ける中、またしても門の方から声が聞こえた。


「おい! 中に入れろ!」


 えらく暴力的な声。


 例に倣って、田所君が門の方へ走っていく。少しして、田所君は五人の男を連れて来た。先頭は真っ赤な髪の男、その後ろに四人の男が従ってついてくる。


 中には金髪の男の姿も見える。


 学校とゲームセンターで出会った、不良集団だった。

 

 視界の隅で藤原と呼ばれていた不良集団の頭と田所君は会話を交わし、終わると藤原は深々と僕に向けて頭を下げてきた。


 僕は叫ぶのを止め、彼と向き合う。


「すまんかった!」


「――ちょっ、藤原君何してんのさ!?」

 

 マコと呼ばれていた金髪の男が、うろたえながら藤原に近づいていく。無理やり頭を上げさせようとするが、微動だにしない。


「この前は、きちんと謝れなかったからな。俺は最低だよ。一人の男がこんなになりながらも想い続けてる女のことを、幽霊だなんて言っちまって……一人の女を心の底から大切に想ってる奴のこと、を化け物だなんて言っちまって……だからよ、俺にも、俺にも一緒に叫ばさせてくれ!」

 

 彼は、曲げた腰はそのままに顔だけこちらに向けた。


 温かいなんてものではない、熱い何かが彼の眼差しから流れ込んでくるようだ。


 僕は彼の目を見つめながら一言「頼むよ」と呟いた。


 その途端、藤原はがばっと曲げていた腰を戻し、後ろの四人に振り向いた。


「よーし! お前らも叫びやがれ!」


「なんでさ!? こんなことに何の意味があるってんだよ!」

 

 マコが反論する。他の三人は、黙然とし決めかねているようだ。


「意味があるとかないとか、そういうことじゃねんだよ! 好きな女が死ぬかもしれないってのに何も出来ねぇ、だったら叫ぶしかねえだろ! 頑張れるように、死と闘えるように、俺たちは叫び続けるしかできねえだろうが!」


「でも、だからって、藤原君がすることはないだろ」


 藤原は、マコに向けて歩を進める。彼の側で足を止め、そして呟いた。


「男が女を想ってる姿見せられて、見てみぬ振りなんてできるかよ。また、お前の好きなわたがしおごってやるから、付き合ってくれ。な?」

 

 藤原は既に参加していた二人と顔を合わせ、三人ともに意思を共有したかのように頷きあった。


「「「死ぬな! 死ぬな! 死ぬな!」」」


 声が三重になった。

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