第27話

「――遅い!」

 

 声と同時に、右拳が腹部を直撃した。


 僕は腹部を押さえながらその場にしゃがみ込み、うめき声を上げた。白いワンピースを身につけた少女は、口をへの字に曲げながら僕を見下ろしている。


 痛みが治まり、ゆっくりと立ち上がった。庭園は以前と変わらず花に包まれて、心地よい香りが漂っている。


「六日間も来ないって、どういうこと!? 毎日来るっていう約束は、どうなったの!?」


 半ば怒鳴るようにして、蓮は言った。


 来ようとしてはいたけれど、身体がそれを拒否していたなんて、言っても信じはしないだろう。ここは、適当に誤魔化しておく方がいい。


「確かに海で叩いちゃったことは謝るけどさ、だからって約束を破っていいってならないよね?」

 

 蓮の顔が、眼前に迫ってくる。僕は少したじろぐ。


「あ、えと、ちょっと用事があって……」


 誤魔化す為の言葉が、うまく出てこない。


 彼女の威圧感が、僕を押しつぶしていく。


「――用事って何?」


「ええと……それは……」


 頭の中が真っ白になった。


 後ろめたい事など何もないはずなのに、それでも何故か僕が責められているような感じがする。


「言えないことなの?」


 さらに顔が近づいて来る。


 花に似た心地よい匂いが、僕の鼻腔を通っていく。


「言えないことなの?」


 二度続けて同じことを言う。


 彼女はどのような答えを望んでいるのだろうか。もしかしたら、正しい答えを言うことが彼女の望みなのでは、などと馬鹿らしいことを一瞬考えてしまった。

 

 このままではいつものように、彼女のペースに乗せられてしまうと思い、会話の流れを無視して無理やり本題を投げかけた。


「そんな事より、望みだ。望みを言ってくれ」

 

 蓮は一瞬怪訝そうな顔を見せ、その後すぐさま野生動物のような鋭い眼差しをこちらに向けた。


「そんな事より、って何? 今は、望みとか関係ないよね? ね?」


 気圧された。僕は反論する事もできず、「すいません」と呟く事しかできなかった。


 「で、用事って?」


 しつこい。と、言ってしまうと、また彼女は怒り出すのだろうか。正直言って、田所君とは別種の面倒さを兼ね備えている。


「正直に言ってよ」


「言っても信じないと思うし……」


「――信じるから!」


 語気の強い言葉だった。そこには嘘偽りはない、と宣言しているようにも感じられた。


 僕は一歩引いて彼女から離れ、それから話し出した。


「君に会いに行こうとは、思っていたんだ。けれど、どうしてか身体ががそれを拒否して、ここに続く道に行くことができなかったんだよ」


「…………」


 蓮は口をぽかんと開け、黙っている。


 それもそうだ、こんな話信じるはずがない。


 僕だって、自分に起きた事実でなければ信じない。


 刻々と時が過ぎる。沈黙が花の香りと共に、漂う。


 沈黙を破ったのは、蓮が漏らした笑声だった。


「――あははは! そうだったんだ。そっかそっか」


 蓮は、妙に晴れ晴れとした表情をしている。


「え、ちょっ、どういうことだ?」


「自分で気づいてないんだ? あはは、隠したがりが身体に染み付いちゃってるんだね。本当は、感情豊かなのに――」


 言外の意味が分からない。蓮は、何を言っている? 僕が、感情豊か?


「よし! 納得したしちょっと嬉しかったから、約束を破ったことは、一つ望みを聞いてくれたら許してあげよう」


「ちょ、待ってどういう意味……って、望み?」


 まさかのビッグチャンスが到来した。


 懇願しても言ってくれなかった望みを、こうも簡単に言ってくれるとは。


 こうなってくると、先程までの言葉の意味はどうでもよくなってくる。


 僕は、満面の笑みで彼女の次の言葉を待つ。


「あ、欄君、心からの望みとは違うから」


 無意識に舌打ちをする。「ごめんねー」という軽快な謝罪が余計癇に障る。


「でも、うん、そうだね。言ってもいいよ、あたしの心からの望み」


「――え?」


 目を丸くして蓮を見る。そして、すぐさま疑いの視線に変える。


「あはは、嘘じゃないよ。なんだか欄君も必死だしね」


 蓮は、少し顔を下に向けながらそう言った。どうやら、冗談で言っているようではなさそうだ。

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