第26話
筒井梢が解散を告げると、田所君が「送っていくでござる」と詰め寄っていたけれど、嫌悪感丸出しで拒否されていた。
考慮の余地すら感じない、断固拒否の姿勢だった。
悲しい背中を見せながら、田所君はとぼとぼと歩き去っていく。僕も筒井梢に別れの言葉を発し、その場を離れようとしたけれど、それは別れたばかりの筒井梢によって抑制された。
「ちょっと待って――」
「何?」
「あの、その、蓮のこと。……蓮の事、よろしくね!」
筒井梢は、田所君の背中と同じ悲しい雰囲気を顔に浮かべている。
「……ずっと、心配だったから」
「そうか。まあ、これからは心配しなくていい。蓮は大丈夫だ。僕がいる」
僕がいる以上、蓮は幸福になる。それは約束されている事柄だ。
「そうだよね、うん。欄君がいれば、大丈夫だよね。あーあ、羨ましいな」
彼女は伸びをして、空を見上げた。
まるで何かを探しているような、失くした何かを追い求めているような、そんな眼差しを天に向けていた。
「――じゃ、帰るね。今日は、ありがとう。」
そう言うと、筒井梢は背を向け歩き出し、その場を去って行った。
一人街中に立ち、僕は彼女と同様に空を見上げる。
星の輝きが、排気ガスによって陰っている。そんな中でも、僕の目には一人の少女の笑顔が映し出されていた。
僕は――思う。
蓮と出会ってから僕は、おかしくなってしまっている。
蓮の存在が、僕を変えてしまっている。不快ではない。けれど、今までの自分が壊れていく恐怖は感じる。
感情など抱かないはずの僕だけれど、今となってはそれは真実になり得そうもない。これも全て、蓮の存在のせいだ。
僕は天を見上げ、心の中で誓う。
明日だ。明日、全てを終わりにしよう。
明日僕は、蓮の望みを叶え、そして新たな生を始める。それで全てが、終わるのだ。以前の僕に、戻れるのだ。
意気込み歩き出した僕のその先に、一つの人影が映った。
「よお」
街灯の明かりによって照らされたその人影は、不良集団の一人、金色の髪をしたマコだった。
「ちょっと付き合えよ」
マコは顎をくいっとあげ、僕について来い、と動作で見せる。
面倒事になるのもいやなので、僕は従ってマコの後について行った。
今日は厄日だ。一人の人間と相対するだけでも嫌気がするというのに、一体何人の人間と関わらなければいけないのだ。
不満をを包み隠す事もなく、僕は問いかける。
「どこに行くんだ? 早く帰りたいんだけれど」
「――別に。どこにも行く気はねえよ」
言っていることが、分からなかった。
禅問答かなにかなのだろうか。真意を読み解けなければ、この男との会話をは成立しないのだろうか。
どこにも行く気がないのに、何故ついて来いなどと言ったのだろうか。疑問には思うが興味はない。
このままついて行っても面倒事しか待っていないような気がして、どっちみち面倒になるのなら今日は帰ってしまおうと思い、僕は踵を返そうとした。
折りしも、マコの声が僕を呼び止める。
「――なあ、お前は人間ってなんだと思う?」
やはり、禅問答なのかもしれない。人間である者が人間でない者に尋ねる事としては、いささかおかしい。
「さあ」
僕は曖昧に応える。
「人間には、色々な種類がいるんだ。すぐ怒る奴、すぐ泣く奴、優しい奴、うざい奴。皆、同じ人間なのに違うんだ。なんでだ、って藤原君に聞いたら、人間は全員違う感じ方をするからだ、って言ってた。その時はそうなんだって思ってたけど、でも、お前みたいに感情が無いような人間もいることを知ってしまった。そしたらさ、また人間が分からなくなったんだよ」
勝手に、僕に罪がなすりつけられている。一種の冤罪だ。
そんな僕の文句など知る由もなく、マコは話し続ける。
「――なあ、人間ってなんなんだ?」
「なんで僕に聞くんだ?」
一瞬思案顔を見せる。少しして、表情を戻しまた話し出す。
「お前のせいで分からなくなったんだから、お前に答えを求めるのは当然だろう?」
僕も一瞬思案顔を見せる。
こうも当然であると断言されてしまうと、そうであるようにも思わされるけれど、冷静になってみれば彼の言っていることは支離滅裂である。それに、当然であったとしても僕から答えを得ることは不可能だ。
「僕だって、分からないよ」
だからこそ。
分からないからこそ、面倒な事になっているのだ。
もしも、僕が人間のことをよく理解している者ならば、蓮との関係に面倒事を持ち込むことなく片付けることができていたはずだ。
マコは「そっか」と呟き俯く。
僕は、興味があったわけではないけれどマコに尋ねた。
「君は、人間だろ? 自分のことも分からないのか?」
彼は顔をあげこちらを向く。
その顔はこれまでと違って、悲しげに満ちていた。僕には、彼がそんな顔を見せる理由は見当もつかない。けれど――。
「――分かれば、苦労しねえよ」
その言葉はまるで、僕の心の中から湧いて出た言葉を、なぞっているかのようだった。
悲しげな表情を見せたまま、マコは去っていく。街灯の下から外れ、彼は闇の中に消えて行く。
そしてまた、街灯の下に差し掛かり彼の姿が浮かび上がる。
消えては現われ、現れては消えて。
自分の居場所を捜し求めているかのように、それは幾度も繰り返されていた。
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