第21話
「青春、まさに青春でござるな」
不思議と僕は、またも田所君に事の一部始終を話してしまったらしかった。
昼休みに僕のところにやってきた田所君は、僕の前の席に勝手に座り、昼食を取る僕の方に身体を向けて遠い目をしていた。
「青春って、だからそういうのじゃないって」
「何で隠すのでござるか。別に、やましいことでもないでござろうに。男女交際など、人生の中で一番と言っても過言ではないほどに必要不可欠なものでござるよ」
僕には不必要なものだ。
そもそも人間ではないのだから、人の生とは違う生を生きている。
などと思いはしたが、口にすれば余計面倒な事になりそうなので、黙って手に持っているサンドウィッチを口に運んだ。
「それより、何が原因なのでござるか?」
「何が?」
「何がって、喧嘩の原因でござるよ」
「喧嘩?」
怪訝な顔を、田所君に向ける。
「僕たちって、喧嘩してたのか?」
「――はい? 何を言ってるのでござる?」
田所君は、呆れたような顔を見せている。眼鏡の奥では、丸くなった目が窺える。
「仲良く海に行って、それで帰り際に頬を叩かれて、一言も会話をせず別れ、そして今日まで会っていない……」
大仰な身振り手振りを見せながら、田所君は語る。
最終的には椅子の上に立ち、僕の机に片足を乗せながら天を見上げた。そして、両腕を限界まで開き、声高に叫んだ。
「痴話喧嘩か!」
教室の照明が一瞬、田所君だけに焦点があったような気がしたが、恐らく気のせいだろう。叫んだ後、田所君は勢いよく椅子に座りなおし、僕に顔を近づけ詰め寄るように言った。
「どうせ、くだらない事が原因なのでござろう? よかろうよかろう、それでもよかろう。聞いてやるぜよ! さあ、言ってみればよいでござる。この小生が、聞き届けてやるわ!」
血の涙が出るのではないかと思えるほどに、彼の目は血走っていた。
相変わらず、独特な人間性を持っていると改めて感じる。
海での出来事を、彼に話すことにした。面倒ではあったけれど、放置しておくほうが後々厄介なことになる。
彼が放っていた熱を今のうちに沈静しておかないと、熱量に比例した面倒が降りかかってくる。それが、田所君の恐ろしさなのだ。
「――ふうむ、なるほど」
僕の話を聞いた田所君は、腕組みをして何かを考えている。
「欄君、君には蓮ちゃんが怒った理由が分からないのでござるな?」
「ああ、まったく。田所君は、分かるのか?」
田所君は眼鏡を一度外し、ポケットの中からハンカチを取り出して、眼鏡のレンズを綺麗に拭きだした。時折息をかけたりして、綿密に綺麗にしていく。
しばらくして満足がいったのか、再び眼鏡をかけなおし、僕に視線を向けた。
「いやいや、すまんでござる。これは、茶化していいような問題ではなかったでござるな」
「どういうこと?」
「哲学的というか、何というか。いわば、人間性の問題でござるよ」
「僕が人間として、問題あるってことかい?」
そう言われても、どうしようもない。僕はそもそも、人間ではないのだから。
「いや、そうではないでござるな。もっとこう、別の……。ああ、そうでござる。――違い。問題ではなく、違い。人間としての、違いでござるよ」
「君の言いたい事が、まるで分からないのだけれど……」
田所君は、微笑を零す。
「でしょうな。失敬。では、ずばりお答えしよう。連ちゃんが怒ったのは、君が少年を助けに行かなかったからでござる」
確かに思い返してみれば、命がどうだとか言っていたような気がする。
僕はケサランパサランであるから、幸福をもたらすべき人間以外はどうでもよいのだが、あの場合、人間としては助けに行くことがベストだったということか。
と、僕なりに答えを導き出してみたのだけれど、その答えは田所君にとっては不正解だったようだ。
「しかし、普通の人間は助けに行かないものでござる」
「普通は――助けに行かない?」
「そう。普通は、助けに行かないのでござる。大抵の人は、誰かが助けに行くのを待って、傍観を決め込むのでござるよ」
そうだった。僕は知っていた。
海で溺れている少年を、ただただ眺めるだけの人間たちを。
言葉だけを無駄に発し、事実的には関係性を持たないように振舞っていた人間たちを――僕は知っていたのだ。
「だったら、僕がしたことは別に間違っていないじゃないか?」
「だから、言い直したではござらんか。人間性の問題ではなく、違いだと」
机の上に一つだけ残っていた僕のサンドウィッチを、田所君は断りもなく頬張り話を続ける。
最後に食べようと置いておいたタマゴサンドは、解答を得る為の代償となってしまった。
「蓮ちゃんは、助けに行くのでござるよ。皆が助けに行かなくても、蓮ちゃんは助けに行く人なのでござる」
「普通じゃない……ってことか?」
「普通じゃないでござるな」
「普通じゃないから……違いが出てくる……」
「そういうことでござる。そしてその違いが、蓮ちゃんが怒る原因となったということでござろう」
「なんで僕にだけ怒ったんだ? 僕と同じように助けに行かなかった人間は、他にもいたのに」
田所君は行儀よく「ごちそうさま」と言って両手を合わし、サンドウィッチを包んでいたビニールを手に取り立ち上がった。
「それは、欄君だからでござるよ」
「僕だから?」
「そう、欄君だから」
田所君は、教室の隅にあるゴミ箱へと歩き出す。手に持っていたビニールをゴミ箱の中に投げ入れ、ゆっくりと僕の元に戻ってくる。
そしてそのまま「そこは自分で考えるべきでござる」と言って、僕の前を通過していった。
足取りは教室の外へと向かっているようで、僕は呆然と彼の姿を眺めていた。教室の出口の前に来たところで田所君はぴたっと足を止め、こちらに振り向いた。
「そうそう欄君、大事な事を言い忘れていたでござる。普通が一番とは言うけれど、時には普通であることが忌むべきことであるというのを、覚えておいてほしいでござる」
そう言うと田所君は、教室の外へ駆け足で出て行く。廊下からは「漏れるでござるー」という叫びが聞こえていた。
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