第18話
「ねーねー欄君、もっと深いところ行ってみたい」
唐突に蓮が言う。
「じゃあ、浮き輪を取って来ないと」
蓮はじっと、僕の顔を見つめる。力強く見つめるその目が、訴える。
「はあ。分かった、取ってくるよ。ちょっと待ってて――!?」
僕が背を向けると、蓮は僕の背に飛び乗ってきた。腕を僕の首にまわし、強制的に僕が彼女を背負うような形になっている。
一瞬絞め殺されるかと思ったが、さすがにそれはなかった。
「――ちょっ!? 何!?」
「えへへ。浮き輪代わり!」
「――はあ!?」
首に巻きついている腕を解こうと、手を伸ばす。それと同時に、右肩に痛みが走った。行動を阻止するために、蓮は僕の右肩に噛み付いたようだ。
「ぜ~んし~ん!」
「ふざけるな! さっさと降りろ!」
「噛むよ?」
首を可動域の限界まで動かし、蓮の存在を視界の隅に捉えた。
きらり、と頑丈そうな白い歯が輝く。
人間ではない身でありながら、相手の背に自分をおぶさせる妖怪がいたようなことを思いだした。蓮も、人間ではないのではないだろうか。
「はあ、分かった。しっかり捕まってろ。深いところはきっと、蓮の足は届かないから」
「イエッサー! お任せあれ!」
蓮はより一層、僕に身体を寄せる。
密着。余すところなく、彼女の前面と僕の後面が同化している。
暖かく柔らかい。どくんどくん、と脈打つ鼓動の響きが、僕の中に流れ込んでくる。
あたしは生きている――と。ここにいる――と。
彼女の魂の叫びが、伝わってくるようだ。
僕は彼女を背に負ぶりつつ泳ぎ、そっと自分の左胸に手を当てた。
どくんどくん、と脈打つ鼓動を感じる。
ただどくんどくん、と脈打つだけの鼓動を感じる。心地よかった彼女の鼓動の響きとは、まるで違う。
僕は彼女の鼓動を感じたくて、首に回された腕をぎゅっと掴んだ。
気付けば、足は地につけられている。足のつかぬ蓮は、僕の背にしがみつきながら浮いている。僕たちは互いに肩まで海の中につかりながら、立ち尽くしていた。
辺りには――誰もいない。
「どうしたの?」
そっと、蓮の声が耳に届く。
彼女の鼓動が、早くなったのを感じた。感じる。心地よい鼓動。
何時までも感じていたいと、思わされる鼓動。自分の存在を叫ぶかのような、そんな響きが何時までも僕の中に響き渡る。
「……ちょっと遠くまで来すぎた、戻ろう」
「――そうだね。こんな人気の無いところまで連れて来られて、何をされるのかと思っちゃったよ」
僕は、微笑を零す。蓮は、軽快に笑声をあげる。
砂浜に向けて僕たちは、踵を返した。背中に彼女の鼓動を感じながら、僕はまた泳ぎだす。
どくんどくん。凪いだ海の中で、二つの鼓動の波が揺れ動く。
「ぷはー! 人泳ぎした後の炭酸は、格別ですなあ!」
「腰に手当てて飲むって、まるで風呂上りだな。少しは人の目を気にしなよ。女の子だろ」
「そんなもの気にしてたら、人生楽しめないよ」
蓮は足を大きく開き腰に手を当て、瓶に入った炭酸を豪快に飲み干す。その横で、僕も海の家で買った同じ炭酸をゆっくりと喉に流し込む。
炭酸の度合いが強く、少々喉が痛んだ。
よくこんなものを一気に飲み干せるものだと、変な感心をする。
気付けば太陽も沈みかけていて、辺りは赤く染められていた。大勢で賑わっていた砂浜も、今では半数程度に減っている。
「僕たちも、そろそろ帰ろうか」
「そうだねー。結構疲れ――、ごほっごほっ」
せき込む蓮。
「――どうした?」
「ごほっ、気管に、炭酸が、ごほっごほっ」
「一気に飲むから」
少しして蓮も落ち着き、僕たちは帰り支度をしようと荷物や服を預けてある小屋へと向かった。
折りから、子供の叫び声が聞こえた。
「助けて」と必死に叫ぶ声。僕たちは辺りを見回し、その声の元を探す。
「――欄君、あれ!」
蓮の指差した方角は、海だった。海の中に一人、男の子が溺れていたのだ。
必死に暴れもがいているあの場所は、子供では足の届かない場所だ。泳いでいる内に、気付かず奥に行ってしまっていたのだろう。
「欄君、早く助けに行って!」
僕の背を押す蓮。
助ける? どうして僕が、何の縁もないあの少年を助けに行かなければならないのだろうか。僕は理解に苦しみ、その場に立ち尽くしていた。
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