第11話
それにしても、この男は何故僕があの屋敷に出入りしている事を知っているのだろう。
疑問には思うが、興味はない。
なので、別に聞いたりもしない。
恐らく、田所君の声が耳に届いて知ったのだろう、と自己完結する。田所君の話す声は、時折口を塞いでやりたくなるぐらいに大きいのだ。
「あの屋敷にいる女の子も欄君も、人間でござる。そんなひどい言葉、いますぐ訂正して詫びるがよい!」
悪いが、僕は人間ではない。
そして、やはり声は大きくうるさい。どちらかというと、不良の言っていることの方が正しいのだ。
田所君も何も知らないわけなので仕方がないと言えるのだが、正直なところ少々滑稽じみて見えた。
「――ああ? 何を庇ってんだよ、ござる眼鏡。お前も化け物の一員なのか?」
「だから、その化け物呼ばわりを、やめろと言っているでござるよ」
「でもよ、見てみろよ。あいつ、やっぱり普通じゃねえだろ」
不良の筆頭が、僕に向けて指を差す。場にいた人間が、その指の先に視線を移す。
「こんな状況で、なんであんな無表情でいられるんだ? 普通の人間ならありえねえ。自分が責められてる状況なんだぜ? やっぱり化け物なんだよ、あいつは」
丸い二つのレンズの先から、田所君は少し悲しげな目を向けている。
自ら絡んできた不良グループは、銘々怯えた様子を見せている。
――無表情。
それの何がおかしかったのだろうか。
面倒臭いことが面倒臭いことを呼びそうで、さらに面倒臭くて早くこのやり取りが終わりはしないだろうか、とただ待っていただけなのだが。
面倒臭くさえならなければ、僕にとってはどうでもよいことだ。
「どうでもよいでござる。欄君がどんな人間であろうと、友達であることは変わりないのだから。友達を傷つけるのは、許さないでござるよ!」
鈍い音が、教室内に響いた。
田所君の眼鏡は、宙を舞い床に落ちる。
それに続いて、田所君本人の身体も、背中から勢いよく床に叩きつけられた。不良筆頭の右拳が、彼の顔面を殴打したのだ。
「あまり調子こくなよ、ござる眼鏡」
田所君は鼻から血を噴き出しながら、上半身を起こす。目力強く殴った相手を見据え、毅然とした態度は崩さない。
少刻、二人は睨みあう。
沈黙。
破ったのは不良集団の中の一人、金髪の男だった。
「
「マコ……」
マコと呼ばれた男は、にかっと笑った。
ふざけた様子のその笑顔に、不良の筆頭も顔を綻ばせた。彼はため息をついた後、四人を引き連れて教室の外へと出て行った。
気付けば、教室内に残っていたはずの他のクラスメイトも既にいなくなっていた。皆、争いに巻き込まれたくはなかったのだろう。
閑散とした教室内に残されたのは、無表情でただ立ち尽くす僕と、ひびの入った眼鏡を拾い上げ掛けなおしている田所君のみだ。
依然として、鼻血は止まっていない。
「――その、ごめん」
とりあえず謝っておく。
田所君が勝手にしたことではあるけれど、僕が事の発端であることはさすがに分かる。こういう時は、謝る、に限るのだ。
ぽたぽたと鼻から血を垂らしながら彼は、薄く開けた目でこちらを見る。
眼鏡が割れたせいでうまく見えないのだろうかとも思ったけれど、どうやら違っていたようで、彼は徐々に体を揺らし始め、次第にその揺れ幅を大きくしていった。
血が足らなくなったのだろうか。
揺れに揺れて、彼は再び床の上に寝転がることになった。白目を向いて。完全に意識を失っているようだ。
僕は、深くため息をつく。深く深く、腹の底から、心の底からため息をつく。面倒が面倒を呼び、面倒が倍加する。
これから先、田所君と一緒にいるのはよそう、とそう思わされた。
さすがにあのまま放っておくわけにもいかないので、意識を失った田所君を背におぶり、病院まで運んだ。
幸いにも、病院は学校から然程離れてはいなかった。
徒歩で、十二、三分くらいだ。
田所君の鼻血が止まっていたことも、幸いだった。背中に血がべっとりとついているだなんて、考えただけでもおぞましい。
病院内に入ると、受付にたどり着く前に一人の男性医師がこちらに駆け寄ってきた。
一人の男子を負ぶっている僕の姿に、緊急性を感じたのだろう。壮年の医師は、そのまま僕たちを空いている診察室へと誘導してくれた。
僕は、事情を説明する。
事情を聞いた医師は、「後は任せなさい」と言い治療を始めた。
僕は診察室を出て、待合室でとりあえず治療が終わるのを待つことにした。
正直なことを言えば、さっさと帰りたい気分ではある。それに、今日は屋敷へ行けていない。これまで一週間かかさず通っていたこともあって、行かないとなると、それはそれでなんだかもやもやとした気分にさせられる。
どこを見るでもなくぼんやりと宙を眺めていた僕に、しばらくして先程の医師が歩み寄ってきた。どうやら、治療は終わったらしい。
「もう大丈夫。念のため、今晩は病院に泊まってもらうことにしたけれど、心配しなくていいよ。親御さんにも連絡しておいたから」
医師は、僕の頭を撫でる。払いのけたくなるが、我慢する。「気をつけて帰るんだよ」壮年の医師はそう言って僕を見送った。
田所君の安否についてやたらと説明をしてきたが、一体どういうつもりだったのだろう。
別に、僕は心配も何もしていないというのに。
田所君がどうなろうが自業自得である。
病院の外へ出ると、すっかり日が暮れていた。太陽が隠れ、憂いを帯びた月光が降り注いでいる。
帰路に着く。街中に近づくにつれ、月光は薄れ人工的な光が場を包んでいく。自然的なものは無く、全てが人工的。光も空気も生物も。
あの横断歩道で、僕の足は止まった。赤信号だから、ではない。この横断歩道を渡り右に曲がれば僕の家、左に曲がれば彼女のいる屋敷へと辿りつく。
屋敷へ向かったところで彼女はもう、屋敷の中にいるだろう。
行っても意味がない。
けれど、日課となっていた事をやらないというのは、やはりなんだか気持ちが悪い。
僕は、日課だから、と自分に言い聞かせる。言い聞かせながら横断歩道を渡り、そして、左に曲がる。
彼女の屋敷に近づくにつれ、人工的な光は薄れ、再び月光が場を包みだす。全てが自然。何もかも。
僕は、走っていた。
もしかしたら、最初から走っていたのかもしれない。呼吸がままならなくなるほどに全力で走り、視線の中に屋敷を捉えた。
憂いを帯びた月光が、その屋敷にだけ色濃く降り注いでいるように見える。
暗闇の中。屋敷一帯が、悲しく光る。
僕は、門の前まで足を運びそこで止まる。彼女はきっといないだろう。既に屋敷の中に入り、何かしらしているだろう。そう思っていた。
――けれど。
月光が降り注ぐ屋敷一帯、その中の庭園。
そこに真っ白なワンピースを着た、一人の少女がしゃがみ込んでいた。
今にも消えてしまいそうな、光の中に溶け込み同化してしまいそうな。
そんな。幽霊のような少女。
僕は、声をかけることができなかった。
彼女の姿を視認して、わずかながら気分が高揚して、彼女の声が聞きたいと、何故か思った。
それでも、僕はただただ門前で立ちつくすことしかできなかった。それ以外に、どうすればよいのか分からなかったのだ。
いつまでも、いつまでも、泣いていた。
悲しみが、世界を包み込む。
一つ一つ雫を零し、受け止めてくれる何かを探している。いつか手を取り合って、心の底で一つになれる事を願いながら、いつまでもいつまでも叫び続けている。
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