第12話
今日は、土曜日。学校は休みだ。現在の時刻は、午前七時。
僕は、外出の準備をする。
顔を洗い歯を磨き、服を着替え朝食をとる。できるだけ迅速に。
家の外に出ると、真夏でありながらも心地よい風が吹き付けてくる。
木漏れ日で一瞬目が眩み、徐々にその眩しさに慣れていく。僕は深く息を吐き、そして吸い込んだ。
まるで僕も、自然の一部になったようなそんな感覚があった。
山を降りて目指すは、木原蓮の屋敷。
昨日行けなかった分、早めに赴こうという算段だ。
彼女からしたら朝早くに来られても迷惑の限りかもしれないけれど、どうでもいい。僕がそうしたいからするだけで、蓮の気持ちなど考慮するに値しないのだ。
山を降り、街中を歩きながら僕は考える。
昨日の涙は、何だったのだろうか。いや、答えは分かりきっている。
死への恐怖だ。
彼女自身、そんなものは無いように振舞っていたけれど、そんなはずはない。命ある者ならば、誰でも死に恐怖する。僕だってそうだ。
死と隣り合わせの現状に耐え切れず、恐らく毎夜ああして泣いていたのだろう。
けれど、だからこそ分からない。何故、彼女は僕に望まないのだ。苦しんで辛いのなら、それを消してくれと、そう望めばよいではないか。
そうすれば幸福になれて、ああして泣くこともないだろう。
簡単なことだ。一言「病を治してくれ」と、そう言えばいい。それだけのことなのに。
歩きながら、僕の脳裏に昨日の景色が思い出される。
庭園の中でしゃがみ込み、声を上げて泣く連の姿。
「――よし」
僕は小さく声を発し、決意した。今日、彼女の口から望みを言わせてみせる。
そして、彼女の病を治し、幸福を与える。それで、今回の生も幕を閉じるのだ。
遠い場所で、影のように映る彼女の屋敷。
まだ蓮は眠っているかもしれない。それでもいい。僕は、気付けばまたも走り出していた。
「病気を治してください」
「あれ?」
何も起こらなかった。
屋敷に辿り着いた僕は、庭園の中に蓮の姿を見つけ門を軽く叩いた。
蓮は僕の姿に気付くと駆け足で近寄り、門を開けてくれた。庭園の中に入った僕の第一声は「望みを言え」だった。
対する彼女の第一声は「そんなものはない」だった。
業を煮やした僕の続いての言葉は「ならば、病気を治してほしい、と言え」だった。
対する彼女の言葉は「嫌だ」だった。
そんな言葉のやり取りが十回ほど行われ、そしてようやく蓮は言うとおりに僕に望んだ。はずだったのだけれど……。
「言ったでしょ? 別に望んでないって」
「そんな馬鹿な……」
蓮の望みは病気を治し、生きること。それ以外にないはずだ。昨日の涙だってそれを語っている。
「そんなことよりさぁ、どうして昨日来なかったの? 毎日来るように、ってあたし言ったよね」
僕にとっては正直その話題の方が、そんなことより、だ。
田所君が瀕死状態になった話より、蓮の望みの方が大事である。
望みは生きること、病気を治すことで間違いないはずなのだけれど、どうして何も起こらないのだろうか。
以前なら、望みを言われた瞬間に僕の身体は動き出し、意思は後からついていくような形だった。けれど、今回はまるで動かない。微動だにしない。僕の意思に沿うように、僕の身体も混乱している。
「ねぇ、罰として明日、海に連れて行ってよ」
幸福をもたらすことができない、としたら僕の役割は、生きる意味は一体どうなってしまうのだ。
何の価値もない、ただの腐った命。僕に生きる価値などないのではないかと、そう思わされてしまう。
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