第8話
初めてかもしれない。
これまで三度、人間の望みを叶え、幸福をもたらした僕だけれど、ここまで面倒臭い相手は初めてかもしれない。
人間は欲望の塊だ。
心の奥底に、何かしらの欲を秘めている。それを叶えてやると言っているのに、何故彼女はそれを隠すのだろうか。自らの欲を言葉に乗せて吐き出すだけで、それが満たされるというのに。
「そうか、やっぱり信じられないよな」
「そんなことないよ、欄君がケサランパサランだって、ちゃんと信じてるよ」
「――なら、さっさと望みを言ってくれ」
僕は、語気強く言った。あまりにも無駄な時間が流れていく。
「うーん、そう言われてもなぁ、別にないんだよね」
? ない? 欲望の塊である人間だというのに、望みがない?
「そんなことはないだろ! 君は人間だろ? だったらあるはずだ。金か、それとも男か? 何だったら君を王族にしてやることもできるぞ」
サイクルが乱れる。
望みがなければ、僕はどうすればよいのだ。幸福をもたらすこともできず、ただ無駄に生きる。僕の役割を果たすこともなく、生きる意味がなくなってしまう。
生きる意味がない存在など、無用すぎるにも程がある。このままでは僕の存在意義が、消え去ってしまうではないか。
そういえば、昨日彼女に出会った時、彼女は死がどうとか言っていなかっただろうか。
確か、『死に近い人』、だったか。
「もしかして君、病気なのか?」
「おお、すごい! そうだよ、よく分かったね。お医者さんでもよく分からない病気なんだって」
まるで人事のような口振りだった。けれど、彼女に幸福をもたらす為の望みは、その不治の病を治すことなのだろう。
人間に限らず、命ある者にとって自らの命を蝕む存在は忌避してやまないものだ。きっと彼女は、自分が病気である事を知られたくなくて望みを言う事ができなかったのだろう。
人間にはそういった一面が見られる事も、ままあるものなのだ。
「だったら、僕がその病気を治してやる。さあ、僕に望んでくれ」
これで、四回目の生が終わる。
僕はまた、どこかで新しく生を始め、役割を果たすために生きていく。それが、僕という存在。
だというのに、結果はまたしても同じく彼女は望みを言おうとはしなかった。
といよりも、口振りから察するに、どうやら病気を治すことが一番の望みではないようだった。
「望んでくれって言われても、望んでないしなあ」
不思議だ。
病に冒されている彼女は、常に死と隣り合わせだというのに、そこから回避することを一番に望んでいるわけではない。
生物なら誰だって、死を恐れるはずなのに。
僕だってそうだ。しかし、困った。これでは、埒が明かない。
望みがないというのは、恐らく彼女の嘘だとは思うのだけれど、僕にはその嘘の中から真実を導き出す術がない。年頃の女の子特有の警戒心なのかは知らないけれど、こうも望みを言わないとは思いもしなかった。
時は無慈悲にも、流れ続ける。
彼女も僕同様、このままでは状況が停滞したままだと悟ったようで、ある提案をしてきた。
「そうだ! あたしには自分の望みが分からないから、欄君が変わりに見つけてよ!」
「僕が?」
「うん! あ、こうしよう、欄君はあたしに幸福をもたらす為にあたしの望みを探す。そして、あたしは欄君に幸福をもたらす為に欄君の望みを探す。どう?」
彼女は、白い歯を煌かせた。
僕の……望み?
「欄君は人に幸福をもたらすと、また赤ちゃんになっちゃうんでしょ?」
「ああ、そうだよ。そしてまた、新しい生をはじめるんだ」
「――それって、幸せなの?」
「…………?」
幸せだとか、そんなこと考えたこともなかった。
人間に幸福をもたらし続けるサイクル、それが僕の役割で、生きる意味で、幸せだとか、そんな感情で推し量るものではない。
僕は、唯一この生の中で行っている事柄に関しても、何ら感情を抱いていなかった。
「答えられないところを見ると、不満あり気だね。よし、じゃあ決定。あたしは欄君の為に、そして欄君はあたしの為に、互いの望んでいることを探す。そうと決まったら、これから毎日会いに来てもらわないとね」
彼女は、半ば強引に決定付けた。普段ならば何を勝手にと、文句の一つも言うところだったのだけれど、どうやら今日の僕は疲れているのかおかしかった。
彼女の強引な決定に、否定的な思いを抱くことなく、むしろ、気分が高揚していた。
「じゃ、また明日、欄君。これからよろしくね」
日も沈みかけ、そろそろ帰ろうと門に向かった僕に、彼女は歩み寄り手を振った。
「ああ、また明日。ええと……」
「
「じゃあ蓮。また明日」
僕らは互いに、近い距離で手を振り合う。
僕はこれから、目前にいる一人の女の子の望みを探し出し、幸福をもたらさなければならない。
三種の前例と比べて、いささか面倒な事になってしまったけれど仕方ない。
それにしても。
僕は、思った。
一人、屋敷を後にして彼女の深層にある望みを考えながらと同時に思ってしまった。
僕にとっての幸福とは、なんだろう――と。
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