第4話

らん君、一緒に帰ろうぞ」


 放課後。プールの授業が男女別だったことに対して怒り心頭に発し、校長に直談判しに行ったという田所君は、僕の側にやって来てそう言った。


 僕は鞄に教科書を詰めながら、横目で田所君を見やる。


 彼の手には、水着はなかった。今朝は大事そうに抱えていたのだけれど、よく見ればその水着は、後ろのゴミ箱の中に場所を移されていたようだった。


 どうやら交渉は上手くいかず、彼はこれからのプールの授業に一切出る気はないらしい。


「ごめんよ、田所君。ちょっと用事があるんだ」


「またでござるか。ふう、欄君はなかなか心を開いてくださりませんな」


 田所君はいつも笑顔でそう言ってくるけれど、本当は用事などない。不必要に人間と関わらない為の嘘だ。


 僕には嘘をつく罪悪感はない。軽い挨拶と同じくらいに、何も感じない。


 人間は、感情をコントロールすることが出来る生物だ。


 腹を立てようとも、ある程度ならばそれを奥底に押し込めることが出来る。今の田所君も、もしかしたら感情をコントロールして、怒りを表面に出さないようにしているのかもしれない。


 僕への気遣い。


 けれど、僕はそれにも何も感じない。


 怒りも喜びも悲しみも――何も感じない。


 僕は――人間ではないから。


 感情の生物といっても過言ではない人間と、同じように振舞えても内面は出来ない。


 だから。


 だから、何だと言うのだ。


 感情など、僕にはどうでもよいことだ。


 僕はただ。ただただ、人間に幸福をもたらす。それだけだ。


 それが、僕という存在。それ以外に――何もない。必要ない。


 田所君は僕に手を振って、別の男子と教室を出て行った。それから少しして、僕も鞄に教科書を詰め終わり、一人教室を出て行った。


 僕の家は、街外れの山の上にある。


 以前は、街の中に身を置いていたこともあったのだけれど、やはり人間の目が気になり、人間のあまりいない山へと居住を移したのだ。


 ちなみに、家は賃貸ではなく一軒家。捨てられていた廃屋を、僕がリフォームした。


 登山道も整備されていない山に登ろうとする人間など稀有で、僕にとっては最も適した立地である。


 僕は、下駄箱で中靴と外靴を履き替えて、校舎の外へ出た。


 校門の外で、高校生の男女が仲睦まじげに会話をしている。制服から察するに、女子の方は別の学校のようだ。彼氏に会いに来た、というところだろうか。


 僕は、彼らを横目で見ながら校門を通り過ぎていく。


 やけに近い距離で会話をしているけれど、恋人同士の距離感とはあれぐらいのものなのだろうか。


 疑問には思うけれど、まあ、別に興味もないので考える必要もないことだ。


 がやがやと、賑わう街中。


 僕は、その中をただ歩く。


 欲望の渦。渦は消えることなく、全てを巻き込んでいく。巻き込み破壊し、そしてまた渦巻く。


 僕は、人間の創り上げた渦の中を、何食わぬ顔で歩き続ける。


 いつまでも。いつまでも。果てのない。無限のサイクルだ。


 人間たちの欲望に染まった声が、耳に飛び込んでくる。


「ああ、女欲しい。一人じゃ足らねえよ」「はあ、お金があればなあ」

「三万払うなら、最後までしていいよ」「なんで、俺が働かないといけないんだよ!」「世の中マジで腐ってるわあ~」


 騒音。


 まだ車などの人工物が発する音の方が、いくらかましだ。


 けれど。僕は、彼ら人間の内の誰かに幸福をもたらさなければいけない。それが僕の生きる意味、存在意義なのだ。


 いつか出会う誰かに、僕は幸福をもたらさなければいけない。義務であり、絶対だ。


 僕に感情などなくて、心底良かったと思う。


 感情なんてものは、ケサランパサランが生きる上で、無用の長物でしかないのだから。


 ふと、立ち止まる。視界の中にコンビニを移しながら、思う。そういえば、サンドウィッチはコンビニに置いてあるのだろうか。


 数秒の間、思案する。そして、考えたところで百聞は一見に如かずだと思い至る。


 コンビニの自動ドアの近くに立ち、ドアが開くのを待った。中から冷気が流れてくる。真夏の太陽に照らされた身体にとって、この上ない癒しだ。

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