第3話
学校の中を歩いていると、様々な人間に出会う。
生徒、教師、役員、保護者、他にもこの学校に出入りしている関係者はいるだろう。
ここでの生活も二年目となり、それなりの数の人間を見てきた。けれど、僕が幸福をもたらす四回目の相手には、まだ出会えていない。
これまでならば大体、産まれてから十二年ほどで出会っていたのだけれど、どうやら今回は少し遅れているようだ。
不安を感じているわけではないけれど、心なしか僕自身焦っているような気がする。何気なく校内を歩いている時も、つい幸福をもたらす相手がいやしないかと、周囲を見回したりしてしまっている。
焦っても仕方のないことだ、と自分に言い聞かせ、僕は校内を散策する。目的はない。ただなんとなく、昼休みの持て余した時間を歩いて消費しているだけだ。
隣のクラスの前に到達する。
クラスの中から怒鳴り声が聞こえてきた。
恐らく声の主は、この地域一帯で有名な不良集団のうちの一人だろう。
校内の噂によれば、不良集団のリーダーには伝説があるという。なんでも、仲間が理由もなく極道関係者に殴られた聞いたリーダーは、単身でその事務所に乗り込み暴れまわったそうだ。
結果は、当然返り討ち。けれど、到底出来ることではない。
いや、褒めているのではない。愚か過ぎて出来ることではない、とそう言っているのだ。
だがまあ、極道にも怯まない不良を、よくもこんな進学校に所属させ続けていられるものだ。問題を起こせばすぐに、退学処分にしてしまいそうなものだが。賄賂でも渡しているのだろうか。
立ち止まって色々と考えていると、今度は悲鳴が聞こえてきた。聞いたことのある声だ。思い出した。数学教師の声だ。
なるほど、と得心がいった。
学校側も彼を恐れているのである。だから、問題を起こしてもむやみに退学処分を言い渡せないということか。暴力は規律を無視して振るわれるものゆえに、恐怖心が拭い切れないのだ。
情けないような気もするけれど、自分たちの保身が第一という考え方は、共感出来る。それでこそ、生きとし生けるもの、と言えよう。
再び散策を開始する。購買の前で足を止めた。
そういえば、新作のパンが入荷していたのだった。別にパンの味が好きというわけでもないのだけれど、食事、という行動においてあの手軽さはあなどれないものがある。
というわけで、チェック。
僕は購買のおばさんに声をかけ、新作のパンはどれか尋ねた。おばさんは透明のパックが数個重ねられているワゴンを指差し、「これ」と言った。
愛想がない、それもまた僕にとっては共感できる部分だ。
わざわざ他者に対して愛想よくするなど、生きていく上で不必要極まりない。無駄な労力としか、思えない。
僕は愛想のないおばさんに、愛想なく透明のパックを渡し購入の意思を伝える。おばさんは、無言でそれに応えてくれた。
新作のパンを購入した僕は、中庭のベンチに腰掛けて、透明のパックを膝の上に置いた。パックの上部には『手作りサンドウィッチ』と書いたシールが貼られている。
――はて?
サンドウィッチとは、なんだろうか?
食べ物であるという知識はあるのだけれど、それがどのような形をしていて、どのような食べ物なのかを僕は知らなかった。
基本的に僕の食事は山菜や木の実なんかが主流なので、正直なところ人間社会の食べ物に関してはあまり見識が広くはないのだ。パンもこれまで手軽さゆえに食べてはいたけれど、食べた種類はそんなに多くはない。
僕は恐る恐る透明なパックの蓋を開け、サンドウィッチであろう物を覆っている紙をのけた。
その紙の中からでてきたのは、白いパンで肉やら野菜やらを挟んだ物体だった。
計三個。並んで配置されている。
一つを手に取った。これには、ハムとレタスが挟まれている。
戻して、その横を手に取る。これにはいちごジャム。
戻し、そして更に横のを取る。これには、マヨネーズと卵を混ぜたものが挟まれている。
なるほど。パンで何かを挟んだ食べ物を、サンドウィッチというのだ、と理解した。
では、実食。まずは、ハムとレタス。ふむ、悪くない。
次いで、いちごジャム。ほう、甘味がなんとも心地よい。
最後に――卵。
「――――っ!?」
衝撃が走った。僕は辺りを見回す。
違う。幸福をもたらすべき相手に出会ったわけではなさそうだ。では一体、何が起こったというのだろうか。
僕はもう一度、卵が挟まれたサンドウィッチを口に運んだ。そしてまた、身体中に衝撃が走る。
どうやら僕は、この卵が挟まれたサンドウィッチの美味しさに衝撃を受けているようだった。こんな食べ物があっていいのか、と心底そう思わされた。
こんなもの、取り合いの果てに戦争でも起きてしまうのではないのか。何故皆、平然としているのだろう。
僕は未来の事態を憂慮しながらも、飛び上がるようにして立ち上がる。そして、購買に向けて走り出した。
少刻後、購買にたどり着いた僕は、息を切らしながらおばさんに言った。
「サンドウィッチを、あるだけ全部くれ」
おばさんは言った。
愛想なく、言った。
売り切れ――と。
僕は肩を落として、頼りない足取りで教室へと戻って行った。
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