少女の恐怖

 あれから、何日たったんだろう。

 何回、眠れない夜を過ごしたか。


 隈だらけになってるであろう顔でまた日が昇るのを見て、私はため息をついた。ベッドから起き上がるも、降りる気にもなれない。


「また寝れなかったのか? 」


 そう言って現れたロロは、心底心配そうに私の回りを飛ぶ。そんな彼に、私は皮肉にも似たぼやきを返すしかなかった。


「逆になんであんたはそんなに普通なわけ。あんなのみたのに」


 襲撃があったあのとき、私にだけ見えた襲撃者の姿。ロロいわく、魔神と契約しているから、普通の人には見えないものが見えるんだって。


 でもあんなの……見たくなかった。あんな恐ろしいもの……あれは一体……


 ━━ッ!!


 思い出しただけで、身体中から冷や汗が吹き出してきて、勝手に体が震える。言葉にするのも恐ろしいあれは、まさに……


「あれは悪魔だ。まともな精神じゃ見ただけで発狂しちまう。無事だったのも、俺と契約してたからだ。」


 悪魔はたしか、人の願いを叶える変わりに対価を要求する種族。大抵の悪魔は契約をするとき人に化けたりして姿を隠すらしい。だから本当の姿を見ることはないらしいんだけど、私はそれを見てしまった。


 あんなの見たくなかった。見なくてすむなら、そうしたかった。そうすれば……私は気絶なんてしてなかった。


「おまえがいたところで、結果は変わってねぇよ。」


 私の心がわかるロロは、励ますでもなくそう呟いた。わかってることだけど、わざわざ言葉にされてただでさえ睡眠不足で苛立っていた私の神経を逆撫でする。


「うるさい!! わかってるわよ!!」


 強くベッドを叩くけど、毛布だから音もしない。私の叫びだけが響いたけど、ロロは呆れるでも怒るでもなく、いつも通りの対応だった。


「はいはい、わかってるならいいけどよぉ。そんなに怒鳴ったら入りづらいと思うぜ?」


「……なんのこと?」


 ロロの視線の先、扉へと目を向けた。するとタイミングよく、コンコン、とノック音がした。


「リーリアちゃん、サーニャです。」


「……どうぞ」


 気を使うようにゆっくりと扉を開き、サーニャが入ってきた。その手にはトレイが持たれ、湯気のたったティーカップが乗っていた。いい香りが鼻を擽り、少しだけ落ち着く。


「ハーブティーを持ってきましたです。……今日も眠れませんでしたか?」


「……うん」


 頷いて俯くと、サーニャはサイドテーブルにトレイをおいて、ベッドに座った。


「ごめん……みんな大変なのに」


「そんなことないです。みんないつも通りに……無理していつも通りに過ごしてますですよ。」


 サーニャは嘘をつけない。レイさんがあんなことになって、皆気が晴れることがない。特にお嬢様は、取り乱して一時期大変だった。


 サーニャを見る限り、お嬢様は今は落ち着いてるみたい。


 サイドテーブルのお茶を手に持つも、飲む気になれなくて水面に写る自分を見つめていた。


「リーリアちゃんもひどい顔をしてますです。はやくゆっくり休めるといいんですが……」


「ありがとうサーニャ。」


 ここ数日、ろくに眠れていない。寝ても悪夢に魘されて、恐怖で眠ることが嫌になる。重度の睡眠不足でお肌は荒れまくりだし、顔は最悪のコンディション。


 ばさばさの髪を解くようにサーニャが頭を撫でてくれた。


「きっとレイさんは目を覚ましますから。だから安心してください」


 ふと顔をあげると、落ち着いた顔で笑うサーニャの姿があった。まるで断言するみたいな言い方に、サーニャの考えを読もうとするけど、うまくいかない。


 思考トレース……人の考えに近い思考回路で、その人の考えを予測する私の特技。これのお陰でお嬢様の考えを先読みしたり共有したりすることができたけど、サーニャ相手だとどうしてもうまく発動しない。


 それはサーニャがすごく純粋で、裏表がないから。


 だから何を考えてるのか、真意が読めない。


「ちょっとでかけてきますです。ちゃんと帰ってきますですから、リーリアちゃんはゆっくり休んでくださいです」


 困惑した私をよそに、サーニャはいつもと変わらない笑顔を向けて、去っていった。


 何よ、ちゃんと帰ってくるって。当たり前のことを……。


「なんか、様子がおかしかった。」


「みてぇだなぁ」


 私の回りを飛び交うロロは、サーニャが消えた扉を見つめていた。


 なんだろう、すごく胸騒ぎがする。

 けどその正体がわからなくて、モヤモヤする。


「まぁ、あいつにはあいつのやることがあるんだろ。お前はまず自分を回復させやがれ」


 ロロはそういうとサイドテーブルに座った。私もハーブティーを飲んで落ち着くことにする。


 そうだ、まずは私が元気にならないと出来ることもできない。


 サーニャにはサーニャの、私には私のやるべきことが、きっとあるはずだから。


 でも、サーニャのやるべきことってなんだろう。


 いつもおっちょこちょいで料理が下手で、でもだれよりも優しいあの子は、今何をしようとしてるの……?


 ちょっとでかけてくるって、どこに?


 頭の中で思考が回転する。一つ一つのピースが、あと一つで繋がりそうなのに繋がらない。


 サーニャが、こんなときにいく場所って?

 いく宛はあるの……? だってあの子の帰る場所はここで……そもそも記憶喪失でいく宛なんて……


 ━━ッ!!


 あるピースが浮かび上がって、すべてのピースが繋ぎ合わさる。


 そう、サーニャはサーニャで、そしてラハバートなんだ。


「サーニャを止めないとッ!!」


「はぁ!? お、おい待てよ!!」


 ベッドから起き上がった私は急いで部屋を飛び出す。今なら、まだ間に合うかもしれない!


「サーニャはエリクサーを取りに行ったのよっ! レイさんを助けるためにっ」


 どんな病もキズも癒すとされる妙薬。サーニャは、いやラハバートはそれを求めて旅をしていた。そして場所は特定していたって、紅の戦場では書いていた。


 無茶よ、あの子はもう戦えないのにっ!!


「何で止めるんだよ。」


「……え?」


 ロロの言葉に、足を止める。上がった息でロロを見上げるとあいつは不思議そうに首をかしげていた。


「サーニャが無事にエリクサーを取りに行けたらレイも治るじゃねぇか。」


「で、でも……」


「それ以外にレイを治す方法、あるのか?」


 言われて言葉に詰まる。医者が匙を投げたレイさんを、治す術なんて他に思い付かない。


 でも、でも……すごく胸騒ぎがするの。

 このまま、サーニャが帰ってこないかもしれないんじゃないかって。


 こういう不安は、よく当たる。

 けれど、止めたらレイさんが……


「なぁ、リーリア。お前にはお前にしかできねぇことがあるんじゃねぇの? それで友達を助けてやればいいじゃねぇか。」


 落ち着いた声で諭されて、私は俯いてしまう。正論だ。今唯一の方法を、私の私情で止めるわけにはいかない。


 それでもサーニャを守りたい。私じゃ力になれない。でも……力になれるやつを知ってる。


 サーニャは知らなくて、私だけが知ってること。


「……ありがとうロロ。」


「いいってことよ。」


 ロロは私と記憶を共有している。たまに私が忘れてしまったことでも、ロロが教えてくれるんだ。ロロの記憶も共有できるらしいけど、興味ないから断ったんだっけ。


 私はまた走り出す。今度はリーリアを止める訳じゃない、助けるために。


 私にしかできないことを、やりにいくんだ。

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