エピローグ 巡り合わせ
ガタン、ゴトン
馬車が少しばかり揺れるなか、オレンジ色になった森を眺めるお嬢様は、先程から一言も発しておりません。普段でしたら、お茶会の感想や食べたお菓子がどこのだったとか、そういうお話をすると言うのに……。
やはり、ティーポットを割ったことにお怒りなのかもしれません。侍女の失態は主の失態、いい気分にはならないはずです。お叱りの言葉を受ける覚悟はできていると言うのに…何も言われないと却ってとても不安です。
「……ねぇ、レイ。」
不安を顔に出したつもりはなかったのですが、タイミングよく声をかけられたものですから、驚いてしまいました。深呼吸をひとついたします。落ち着かねばなりませんね。
「はい、お嬢様。」
「レイから見て、私はちゃんとした主でいられているかしら。」
景色を眺めるお嬢様は、どこか独り言のように告げられました。その目は、景色よりも遠くを見ているようで、何を映していらっしゃるのかわかりません。
「はい。お嬢様は立派な主でございます。急にどうされたのですか。」
「チュリアラに言われたのよ。どうすれば私みたいに、しっかりした主になれるのかって。別に私、しっかりしていないのに。」
「そんなことはございませんよ。」
零れた言葉に即答してしまいました。いつも自信に満ち溢れたお嬢様から、弱音のように吐き出されたそれを否定したかったからです。
お嬢様はしっかりなさっていますし、お仕えしている身として、これ以上なく良き主でいようとなさっておられますのはわかっておりますから。……たしかに物を投げたりだとか、わがままでしたりと、まだまだ子供らしいところはありますけれど。
「私がしっかりできてるのは、レイがいてくれたお陰だもの。……チュリアラにも、そういう人がいればいいのに。」
「……もったいないお言葉です。」
馬車は絶え間なく揺れている中、また沈黙が流れます。今日のお嬢様のお考えを、読むことができません。こういうときはリーリアが頼りなのですけれど、今日は屋敷にお留守番……もといお暇を出させていますから、街に買い物にいっているはずです。
こういうとき、どう声をかけてよいのか……正解を探している間に、またお嬢様の口が開きました。
「巡り合わせって、大事よね。チュリアラと話していて思ったの。貴女を見つけられてよかったって。……あ、噂をすれば。」
不意にお嬢様が、窓の外を指さされます。釣られて窓の外へと目を向けると、森の合間から、小さく町が見えています。
とてもとても、小さな町……そこは、私とお嬢様がはじめてお会いした場所でした。
「そういえば、“あの時”もレイは怪我してたわね。」
「……怪我、ですか?」
お嬢様との出会いは詳細に覚えております。ただただ生きることだけに執着し、下町の下賎な男に飼われた労働奴隷だったころ。
男に仕事ができないとものを投げつけられ路地裏に出されていた私を、お嬢様は見つけてくださりました。しかしその時は身なりは汚れておりましたが……怪我はしていなかったはず。
不思議と首をかしげていた私に、お嬢様はようやくこちらを見て笑いかけました。微笑むと言うよりも、込み上げて笑うような、そんな軽い笑みです。揺れる馬車の中、立ち上がって私の隣へと座られます。
「怪我してたわよ?スッゴク大きな傷を……此処に」
そっと手を添えられた場所は私の胸元です。そういわれると、たしかに思い当たる節はあります。ありますが……まさか感づかれておられたとは。驚愕してしまいました。
「レイの傷は、ずいぶんマシになったかしら。」
「……はい、お陰さまで。」
「そう、ならよかったわ。これからも傷の事なんて忘れるくらいには働いてもらうけど!!」
本来ご令嬢の侍女になることのできなかった身分の私を、わがままを通して置いてくださったお嬢様。これからも、お嬢様のために働きますとも。
『私の願いを叶えるために働きなさい!』
それがお嬢様と私の間に交わされた契約です。その日から、お嬢様のために働く毎日がかれこれ12年も続いております。忙しくて過去を振り返る余裕はなかったのですが、気づけばもうずいぶん長くお仕えしていることになります。
「それにしても……熱湯がかかったのに火傷してないなんて不思議ねぇ。かぶれたのでしょう?」
「はい、そのようです。不思議なこともありますね。」
あえてはぐらかすと、お嬢様の目は私の包帯が巻かれた左手へ向けられました。
「火傷しないなんて、氷姫みたいね。でもレイはそんな悪女じゃないけど。」
お嬢様はまるでからかうような言葉選びで、どう反応すればよいか少々困ります。
氷姫とは……この街で伝えられている話のひとつで、所謂メロドラマの部類にはいる物語です。20年前に実際に起こった出来事で、余りに過激な内容と被害にあった公爵家が実在することから、書籍がすべて燃やされてしまいました。
しかし刺激的な内容ほど、人の興味は引くもので。伝承のように今でも語り継がれているお話です。そのため多少物語の流れが人によって違うのですが、大本の話は同じです。
ある伯爵家の娘が侯爵家のご子息と恋に落ちるのですが、娘にはすでに公爵家の子息との婚約者がおりました。伯爵家のご子息と逢い引きを繰り返し、遂に二人は駆け落ちをいたします。しかし婚約者に見つかった娘はあろうことか婚約者を手にかけようとし、逃亡途中に邪魔になったご子息も殺そうとする……そんな悪女の物語。
氷姫と言われる由縁は娘が氷の魔法を使うからで、その特性から常に体温が冷たく火傷などをしない……という内容の話も聞きますから、お嬢様がいっているのはそれの事でしょう。
氷の魔法はとても稀で、物語の発端である20年前の公爵子息殺害未遂事件以降、氷属性を持つものは現れておりません。現れたところで氷姫の血族かと疑いをかけられてしまいますから、隠れているだけかもしれませんね。
「お嬢様は本当に、氷姫のお話がお好きですね。」
「当たり前よ!人によって内容はちょっと変わってるけど、私は好きよ!だって悪女なんて言われてるけど、氷姫は一番人間らしいもの!」
話をそらすために話題を変えるとお嬢様の目が輝きだしました。昔に寝かしつけのときに何度か話をしたことはありましたが、今でもお好きでいらっしゃることに少し驚きました。
お嬢様はあまりメロドラマはお好きではなかったですから。
「令嬢の結婚って恋とかそういうのないもの。好きな人と一緒に暮らしたいって普通だわ。……だからこそ、最後の落ちが腑に落ちないのよね。それがなければ完璧なのに!」
実話ですから物語としておかしな事があっても不思議ではありませんが、お嬢様は不服そうです。これはいつか、氷姫のお話の内容を変えるよう策を講じた方がよいでしょうか?……なんて冗談です。
「私だって、もし同じ立場だったら……」
「お嬢様、それ以上はいけませんよ。」
口にしてしまっては取り返しがつきませんので、そっとお口に指を当てて差し上げます。氷姫とお嬢様の立場は良く似ておられます。
お嬢様は王子との婚約が決まっている身。たまにお二人でお食事にいかれますが、義務的なものできっと楽しいものではないでしょう。ただでさえ、王子は多忙のため学園でもなかなかお会いできないようです。
女として普通に恋をしたい。そう願うことは悪いことではありません。しかし、いくら馬車の中とはいえ誰が聞いているかわかりません。
「……わかってるわよ。まぁ、私はそこまで悪女じゃないし?あ、そうだわ!着くまで暇だし、なにか面白い話をしてちょうだい!暇は嫌よ!」
「かしこまりました。」
最近は読書をする機会も増えましたし、お嬢様にお話しできるお話のストックはたくさんありますので。馬車がお屋敷に着くまでの間、久しぶりに読み聴かせをして差し上げました。
お屋敷についた頃にはすっかり空は暗くなっておりました。
「お帰りなさいです……あわわっ」
出迎えに来てくれていた侍女達が、なかなか馬車から降りてこないため中を覗いてみると……私の肩に持たれて眠っておられるお嬢様を見つけました。サーニャが慌てて小声になり、急いでブランケットを持ってきてくれました。
幸せそうに寝息をたてているお嬢様。
まだ夕食の時間には早いですから。少しだけお休みいただくことにいたします。
「お休みなさいませ、お嬢様」
馬車で眠るお嬢様。その寝息を聞きながら。あなたは今、どんな夢を見ているのでしょう?
どうか素敵な夢を見ていますように。
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