憤怒

 右手をあえて滑らせティーポットを割り、その過程で毒湯を浴びてしまいましたが、仕方がありません。すぐさま手袋を外したものの、手は真っ赤になっておりました。


「レイッ、ちょっと……何してるの!?」


 普段私がティーポットを割ることなどないため、お嬢様はかなり動揺しております。それどころか、赤くなった手を見て少し慌てておられました。


「大変、火傷をされておられますわ。誰か氷をっ」


「いえ、自分で冷やしに参ります。」


 チュリアラ嬢が侍女に指示しようとしたため遮り、深く頭を下げました。お二人を守るためとはいえご令嬢の持ち物を壊すということは、侍女としてあってはならないことです。


「申し訳ございません、チュリアラ様。」


「いいんです、早く冷やしに行かれてください。手が真っ赤ですわっ」


「レイ、命令よっ! 手当てしにいきなさいっ!」


 割れたティーポットよりも私の身を案じてくださるお二方。とても心配そうにしておりますが、お嬢様は少々お怒りぎみです。


 それは私が失態を犯したからではなく…恐らくその様子を見て鼻で笑っていた侍女が見えたからでしょう。今にも食って掛かりそうなお嬢様に、笑いかけます。大丈夫です、というように目を見て笑いかけます。


「かしこまりました。お心遣いありがとうございます。」


 厨房で冷やしたい、と伝えたため場所のみ教えてもらい、歩きだします。走りたい気持ちをおさえ、湯を浴びた左手をぎゅっと、掴みます。


 ひりひりと肌がかぶれていく痛みが腕から全身に伝わります。そうでもしないと、我を忘れそうです。冷静に、誰にも悟られぬように。冷たい殺意を押し込めて、ようやく厨房へたどり着きました。


 裏口から中へはいると、数人の給仕係がこちらへ目を向けました。知らない侍女が来たものですから、皆首をかしげております。会釈だけして水道……へは向かわず、ある場所へ向かいます。


 コンロが並ぶその場所は普段でしたら、料理人がフライパンや鍋を握っていることでしょう。しかしそこにいたのは、先程の侍女長です。嬉しそうににやにや笑いながら、ぶつぶつなにかを呟いております。


 お湯を沸かしに来ていると言うのに、ポットの準備すらされていません。それが必要ないと、わかっているからでしょう。本来あの女の思惑通りに進めば、お茶会どころではなくなりますから。


 女は私に気づいてはいません。自分の妄想に浸っているからです。ちょうどよいですね。本当に……。


 ーーガンッ!!ーー


 侍女の髪を鷲掴みにし、そのにやけた顔をコンロに打ち付けました。突然の事に女はもちろん、回りの給仕係も状況を理解できておりません。


「ぎゃぁっ!な、なにするのよっ!!」


 手加減なく頭をぶつけましたから、女の額から血が流れております。厨房を血で汚してはいけないのですが、チュリアラ嬢へ対する使用人達の扱いの酷さから、そうした配慮をする気も起きません。


「あまり騒がない方がいいですよ。誤ってコンロに火がついてしまったら、大変ですから」


 女は必死に立ち上がろうとしておりましたが、人間頭を押さえられているとなかなか立ち上がることはできません。


 そうしてじたばたしている間にコンロの着火口に手が当たれば……そうなってしまえばよいですが、流石にそこまでしてしまうと他人からの印象が非常に悪くなります。後々の事を考えると、それは避けておいた方がよいのです。


「わ、私はなにもしてないわよっ、言われた通りに仕事してるだけよ!何で私がこんな目にっ」


 脅しが聞いたようで、女は暴れなくなりましたが代わりに聞くに堪えない醜い言い訳が飛んできました。恐らく、自分の策が成功し、私が逆上して乗り込んできた、とでも思っているのでしょう。


 まさか私に策を見破られ、阻止された等と言う思考は全くないご様子。とんだお花畑な脳みそをお持ちのようです。虫酸が走ります。まがいなりにも同じ侍女長として上に立つ身と言うのに、この女はその自覚さえない。


「何もしていない?そうですね、直接手は下していらっしゃいませんね。」


 込み上げてくる怒りに我を忘れそうで、冷静に努めているつもりですのに、声が震えます。でも、どうしようもないのです。どす黒い感情が、すぐにでも私を乗っ取ってしまいそうでなりません。


「そ、そうよ! ハーブを選んだのはお嬢様達じゃないっ、私たちは言われた通りにしてるだけ! 怒るのは筋違いよ!」


 殺意で冷たくなった私の瞳に、女の顔がみるみる青くなっていきます。しかし、虚勢だけは今だにはり続けている。醜いものです。


 確かにこの女の言う通り、ハーブを選んだのはお嬢様達。しかし、そこにはこの女達の策略がありました。少し考えればわかることです……あの花壇には花が少なすぎる。


 ハーブとなるのはなにも草木だけではありません。花もハーブティーとして飲まれることも多いのです。季節的にも、カモミールが花を咲かせていてもおかしくはない。


「全て飲むことの出来る植物」というテーマで花壇を作っているのなら、色味のよい花を植えないはずがありません。お客様を招くティースペースの花壇なのですから、尚更です。


 では、なぜ?

 花壇の花をお嬢様が飲まれようとしていた、あの小さな黄色い花のみにするためです。あの花は……クサノオという、薬として飲まれていたものです。煎じて飲まれていましたから、飲める、という事にはかわりありません。


 ローズマリーも恐らく早くに花を摘み取ってしまっていたのでしょう。あまりハーブに詳しくないお二人でしたので、そうなればどれを飲むか選ぶとき、見た目で選ばれるのは当然の事。


 もしもクサノオが選ばれなくても、何種類か飲み比べしたらどうか等の助言で、引き当てるように仕向けたでしょうが、女は花が好きなもの。お二人が選ばれる確率は高かったはずです。


 あくまでお嬢様達に選ばせるのが、今回の策略のもっとも重要なこと。決して侍女が介入しないことで、全ての責任をチュリアラ嬢へ押し付けるためです。


 この女達は、飲める草の中で薬となるものを探して見つけたのでしょう。薬となる植物は根や茎を使うことが多く、葉を飲むものは少ないのです。その点クサノオは葉や茎を薬として飲んでいた過去があります。


 妙薬は口に苦し…薬をハーブティーと偽って飲ませ、不味いものを客に飲ませたとチュリアラ嬢の評判を落とすのが狙いだったのでしょう。


 この者達は単にチュリアラ嬢を貶めるために、クサノオを使ったのです。それも薬は苦いもの、不味いものという先入観から。


 これがどれ程安易なことだったかも、知らずに。


「貴方達の幼稚な策など、私には通用しません。他人を陥れ、蔑む事しか考えていない愚か者ども…恐れおおくも、貴方達は…お嬢様を殺そうとしたっ!!」


 殺意に燃え上がった私の声が、ただ厨房に木霊しました。


 そう……クサノオは強い毒性を持っている植物なのですから。

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