デコレーション

「魔法の粉…って、ただの小麦粉じゃないっ!」


 ジャム瓶の中に詰まった白い粉を見て、お嬢様は私を睨み付けております。確かに、見た目はただの小麦粉と変わりませんので、当然の反応です。


「いいえお嬢様。それは小麦粉ではありません。それに卵と牛乳、バターを加えれば簡単にマフィンを作ることができます。最悪、バターはなくても構いません。」


「なにいってるのよっ、砂糖も膨らまし粉もなしでできるわけないじゃないっ。しかもそんな混ぜるだけでできるなら苦労しないわよっ!」


 盛大に文句をいいながらも、お嬢様は牛乳と卵を粉へ加えて混ぜ始めました。出来上がった液状の生地は、先程お嬢様が作られたものとさして変わりはありません。


「計量が少ない分確かに早く作れたけど…ちゃんと形になっても美味しくなければ意味がないからね!」


 オーブンでマフィンが焼ける様子を眺めながら口を尖らせておりました。膨らまし粉を入れていないので膨らまないと思っていらっしゃるご様子。


「お嬢様、マフィンが焼けるまでトッピングを選んだらどうです?」


 中々オーブンから離れようとしないお嬢様を見かねてシルファが複数のトレーを持ってきました。トレーの上には、小さなチョコレートやアイシングで作られた星やハートといった可愛らしくカラフルなチップや、簡単に絵がかけるよう小さな絞り袋で作ったチョコペン、色のついたクリームなどが用意されていました。


「せっかくお嬢様が作ったんだし、世界にひとつだけのオリジナルにした方が面白いかなぁっと思いまして。」


「あら、いいじゃない!!」


 途端に目を輝かせたお嬢様はトレーに飛び付きました。ただ焼いただけのマフィンより可愛く作れ、自分の好きなように飾り付けられるというのは乙女心をくすぐるのでしょう。


 サーニャだって昨日は飾りつけを楽しくやっておりました。出来上がったマフィンの数が少なく、結局うまくいったのは先程お嬢様が見つけられたあのマフィンひとつだけでしたが。


 そうこうしているうちにマフィンが焼き上がりオーブンから顔を出しました。冷ますためテーブルに置かれるとお嬢様はすかさず確認しに参ります。


「さ、さっきと全然変わらない…っ。なんでよ! 卵と牛乳しか入れてないのよっ!?」


 焼きたてをお一つ食べられたお嬢様はさらに目を丸く致しました。味も悪くはないご様子です。その事にも驚いているのでしょう。だって、お嬢様は砂糖を入れていらっしゃらないですから。


「それはお嬢様。こちらの魔法の粉には、予めすべて入っているからです。」


 空になったジャム瓶を手に取り、指を指します。確かに見た目は小麦粉でしたし、主成分の殆どは小麦粉ですが、それだけではなかったのです。


 昨日サーニャは計量が難しく、さらに洗い物が増えたり粉が舞って厨房が汚れることを指摘してくれました。もちろんお菓子を作るのですから汚れるのは当たり前ですが、洗い物が増えて億劫になる、という可能性もやはりありました。


 そして計量ミスは、お菓子作りにとっては致命的です。少しの誤差で味はもちろん、膨らみ方などの見た目すら影響をもたらします。


 実際サーニャが焼き上げるまで何とかできたマフィンも、中々膨らまなかったものとありましたから。


 不器用な人でも簡単に、それも失敗なく計量ができる方法はないか。それなら最初から計量しておけばよいのだと考えたのです。


 シルファに聞いたところマフィンの原材料の大半は粉でしたので、小麦粉以外も予め計量して一つにまとめておけば、計量の手間も洗い物も減らすことができます。


 混ぜる順番が変わればうまく作れないのでは、とサーニャに聞かれましたが、一つのボールにすべての材料を入れて混ぜる技法がお菓子作りにはありますので、問題ありません。食感の違いは多少生まれますが、プロでもない人間がそういったことを気にすることは稀でしょう。


 昨日試作でサーニャに魔法の粉を使わせたところ、マフィンを短時間で作ることに成功しました。彼女くらい料理が下手な人が作れたのです、大抵の人なら作れるはず。


 そう、料理をほとんどしたことのないお嬢様でも。お嬢様…というよりご令嬢の方々は一度くらい、お茶会で自作のお菓子を出したいと挑戦されている可能性はありますから、全くの未経験者は少ないはずです。誰でも作れる、といっても過言ではないでしょう。


「全部入ってるからあとは混ぜるだけってわけね。中々便利じゃない!」


 きれいに焼き上がったマフィンを手に取りながらお嬢様の目は輝いておりました。プレーンの素朴な色のマフィンをどう飾り付けようか、今はその事で頭が一杯なのでしょう。


 クリームを絞ろうか、チョコペンで絵を描こうか、それとも星をちりばめようか…。独り言を呟きながら飾り付けに没頭しているお嬢様は、まるでおもちゃをもらって喜ぶ子供のよう。


 楽しんでいただけて本当によかった。サーニャもシルファも、嬉しそうに笑っております。


「そうだわっ!明日のお茶会で私のマフィンをアジュレに食べてもらいましょう! ふふ、いい自慢になるわ!」


 人に見てもらう、というだけで作品のクオリティは格段に上がります。ただでさえ令嬢のお菓子作りは社交界ではステータスの一つとしてあげられておりますので、生半可なものを出せば後で笑い者になってしまいます。


 しかしだからこそクオリティの高いものを出せば尊敬の眼差しを受けることは必然的です。


「それじゃ飾りつけの材料をもっとたくさん用意しますね。あ、ウサギや猫の耳とかつけたら可愛いですよ?」


 お菓子の飾りつけはシルファの分野ですから、すかさずアドバイスと共に、飾りつけの材料を用意しに作業を始めました。チョコペンやアイシングの星などはすべて彼の自作です。サーニャのお菓子作りに付き合う傍らで作っていたようです。


「猫!いいわね!あとウサギの耳も作りなさいっ、うちの家紋なんだから!」


 ルクシュアラ家の紋章は月とウサギ。ウサギは子孫繁栄や復活に関連した動物のため、ルクシュアラ家の繁栄と未来永劫途絶えぬようにと紋章に込められたものです。私を含めた使用人の服には必ず刺繍されております。


「かしこまりました。じゃぁ、色々作っておきますね。…どうせならアジュレ嬢と一緒に飾りつけをしたらどうです? 」


 飾りの材料は多めに作るので、と付け加えた彼にお嬢様はにやりと笑います。


「そうね、そうしましょう!アジュレとどっちが可愛くデコレーションできるか勝負できるし! そうと決まればお茶会のセッティングをしなおさないと! 」


 意気揚々とマフィンの上にオレンジ色のクリームを絞るお嬢様に見えぬよう、シルファが私へ目配せをして来ました。


 彼にうまくお嬢様を誘導するよう頼んでおいたのです。明日の茶会では重要協力者のアジュレ嬢とコンタクトをとれる唯一の機会。明日を逃せば作戦の継続は不可能に近い。


 アジュレ嬢は貿易商人として名高いセスターヌ伯爵家のご長女。幼い頃からお父上の貿易を間近で見ていた彼女は、目利きとしても評価が非常に高い。利益となるものは真っ先に嗅ぎ付け、あらゆる手を使いセスターヌ家の資産に変えてしまう、利益至上主義のお方です。


 齢16ながらその手腕は見事で、まだ流行の兆しのなかったぶっくかふぇに目をつけ、貴族専用の本喫茶を先駆けて手掛けた人物です。


 そんな彼女ですが、学園ではお嬢様と同じクラス。そして委員長を務めているため、クラスでの発言力も非常に大きい。


 お嬢様の願いを叶えるためには、アジュレ嬢の協力は必要不可欠。


 明日の茶会は、なんとしても成功させなければなりません。事の責任は重大です。


「ねぇ、レイ!見なさい!可愛くできているでしょう!」


 そんな私の考えなど知るよしもなく、お嬢様は無邪気にデコレーションをしたマフィンを見せてくださります。やや歪なクリームの絞り方ですが、初めてにしてお上手です。


「えぇ、とっても可愛らしいですよ、お嬢様。」


「ふふ、明日アジュレに見せるから、もっともっと可愛くしないとね!」


 他愛ないそのお姿に、ふっと肩の力が抜けました。


 いけませんね、私ばかり気負っていては。成功するものもしなくなってしまいます。私は私で、できることをやればよいのですから。


 明日への少しの不安を胸に、本日はお嬢様のマフィン作りに一日お付き合いすることとなりました。

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