甘いお菓子と読書をしましょう
騒々しい朝1
シングルベッドを三つほど並べた程度の狭い部屋。
煉瓦作りの屋敷であるため茶色い煉瓦に覆われた、ベッドと机、姿見にタンスしかない質素な作りのこの部屋が私ことレイの部屋でございます。
今は朝の6時、身支度を整えます時間となりました。窓からは立派な庭が朝日に照らされて美しい緑を眺めることができ、今日の始まりを祝福してくださいます。
肩を越えた程度にのびた黒髪を三編みにまとめ、白シニオンカバーで留め、侍女服に身を包みます。
黒地のドレスにも似た形状のワンピースに白いエプロンが映える、デザインも使い勝手も洗練された逸品です。私は給仕係をしている訳ではないためエプロンはスカートのみですが、白と黒のカラーバランスがこれはこれで美しい。
見た目は本当に、黒ばかりの格好ですので、反対に青い瞳が余計に目立ってしまいますが、仕方がありません。
薄い唇に紅を引き、チークをつけ血色をよくし、しかし主より決して目立たぬよう化粧をし…
さぁ今日も仕事を始めましょうかと気を引き締めた瞬間。背後より慌ただしく走る音が聞こえました。
それはどんどん近づいていき、やがては扉を勢いよく開きます。
「大変ですレイさん!!」
慌てて入ってきた女性は、侍女服を捲し上げながら息を荒げ、まるで転がるように入ってきました。
彼女の名前はサーニャ。茶色い内巻き…えっと、ボブ、と最近の整髪職人がおっしゃっていた髪型を乱して、息を整えております。
彼女は侍女の中で一番新人のためか、こうしていつも、なにかと慌てふためいてしまうのです。
「少し落ち着きなさいサーニャ。さぁ深呼吸して?」
私が肩を擦るとサーニャは荒げた呼吸のまま大きく息を吸い込み、吐き出しました。それで落ち着いたのか、まだ少し苦しそうに呼吸を整えながら
「大変なんです…お嬢様が…旦那様に…直談判……」
言葉の途中で噎せてしまったサーニャの背をさすりながら、思わず小さなため息がこぼれてしまいました。
いつもお寝坊なお嬢様がこんな時間に自ら…いえ恐らく、いつも起床時間を把握している私に黙って、サーニャに頼んで起こしてもらったのでしょうが。こうして私を介さず早起きする場合は、なにか良からぬことが、私が止めようとする何かを起こすときです。
サーニャは途切れ途切れの情報しか渡していませんが、旦那様に直談判、という言葉で大体の察しがつきました。
「私が行って宥めてきますから、サーニャは旦那様のお見送りを。」
「わ、わかりました…っ」
侍女服の奥にしまった懐中時計を確認しながら指示をだし、彼女を置いて本館…お嬢様の寝室へと歩き始めるのでした。
なんだかとても、嫌な予感がします。
私の部屋…いえ、侍女の部屋は別館に用意されています。街でも有名な侯爵家の屋敷ですから、別館と言えど目を見張る美しさがございます。
茶色と赤を基調とした落ち着いて優しい色合いの建物には、オレンジ色の屋根がそっと寄り添っております。
周りは季節の花に囲まれ、どこか絵本にでも出てきそうな、そんな印象を与える別館とは対照的に、本館はまさに豪邸という言葉がお似合いの、きらびやかなお屋敷です。
小さな花たちが出迎える庭を越え、今はまだ咲いていないバラのアーチを抜けた先には、自室より見えていた立派な庭が出迎えてくれます。
別館とは比べ物にならない大きな庭にはお茶会専用のティーコーナーや噴水が並び、日々お客様を出迎えます。
その庭を通りすぎ、ようやく本館にたどりつきました。別館と違い本館はきらびやかで、目を見張るほどのお屋敷です。そのため広い庭が小さく見えてしまうほど。
正面玄関からではなく、裏口に備え付けられた使用人専用入り口より中へ入ります。この時間はまだほとんどの侍女や執事が眠っているか、給仕係が朝食の支度をしているため、本館には人が疎らです。
廊下は赤く美しいタイルが敷かれ、きらびやかな天井に下がったシャンデリアには埃ひとつありません。
コツリコツリと足音を響かせながら、洗練された正面玄関までたどり着きました。玄関から正面にそびえる階段を上れば、お嬢様のお部屋にたどり着けます。
お嬢様の部屋は三階だというのに、階段からはすでにお嬢様の声が降り注いでおりました。
これはずいぶん、荒れていらっしゃる。いったい、何があったのか。
走りはしませんが、しかし出来る限り早く階段を上がりました。三階までたどり着けば、お嬢様のお声は手に取るようにわかります。
「いやよ!いーやー!!こうなったらお父様に直談判させて絶対に変えさせてやるんだから!!」
一番奥のお嬢様のお部屋、開かれた扉の前はずいぶん荒れておりました。
割れたマグカップが散乱し、少し開いた扉からは、ひっきりなしにお嬢様の美しい声が漏れだしています。
…今日はまだ陶器しか犠牲になっていなくてよかった、などと不謹慎にも安心してしまう中、白く大きな扉をノックいたします。
「おはようございますエリザベルお嬢様、レイでございます。本日はいかがなさいましたか。」
扉から覗く光景に眉ひとつ動かすことなく、毎日欠かさず行う45度のお辞儀をしてから、お嬢様の部屋へ。
お嬢様はというと、寝起きの整っていない長い赤色の髪をそのままに、クシを侍女に投げつけようとして他の侍女に身柄を押さえられている格好でした。
私が来たことで落ち着いたのかクシをピンク色のベッドに投げ付けて怒りをお納めくださります。
「レイ!いったいどんな教育しているの!?私がお父様のところにいくのを止めようとするなんて!!」
「申し訳ございませんお嬢様。」
私がいくら頭を下げようがお嬢様の怒りが静まらないことは百も承知。これはただの形式でございます。
侍女はなにも悪くなく、むしろ何かあれば止めるよう指示していたのは私なのですから。
イエローの美しい瞳で刺すように私を睨みつけておりますので、部屋の空気は冷凍庫のように冷たくなっていきます。
そのせいで先にお嬢様の部屋にいた侍女3人の顔が、みるみる内に青ざめていきました。
…が、私には全く関係ないこと。お部屋がどうなろうが、お嬢様に罵られようが、私はお嬢さまがより良く暮らせるよう勤めるだけのこと。
それが侍女頭の勤めです。
それでは、お嬢様に気持ちのよい朝を迎えていただくため、まずはお嬢様のお気持ちを鎮めるところから始めましょう。
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