マリオネット②

 国枝さんは悪戯な笑みを浮かべた。


「そんな、嘘だって言ってくれよ?」


 深川の不届き者が何たる暴言を漏らすか。黙って聞けよ、国枝さんが今から懺悔しようとしているんだから。それしかできないじゃないか。


「ううん、いいの深川クン。ぜんぶ、ほんとうだから」


 女神は下僕をいなすようにつぶやいた。


「西館に私の悲鳴を聞かせたくなかったのはね――」


「待ってくださいっ!」


 今度は誰かと思えば佐々木さん。目にはうっすら涙。震える手を胸の前で揃えて話す凛々しいその姿は戦乙女のようで。


 これが最後の抵抗と女神に『推理』という槍を突きつける。


「国枝センパイがプールで悲鳴を上げた場合、西館への扉が閉まっていたとしても屋外から声が届くと思います。大雨で聞こえ辛かったとは思いますが、全く聞こえないとは考えにくいです。従って西館への扉を閉めておいたからといって先輩が悲鳴を故意に聞かせたくなかったとは言い切れませんっっ!」


「…………」


 その一撃はあまりにも優しい。ただ認めたくないだけ、そんな彼女の切実さが痛いほど伝わってきた。天空の主はこんなにも優しさに溢れた後輩の持論を俺に叩き壊させようとしているのか……。偉大なる本格探偵小説神よ、あなた方はそれで幸せなのでしょうか?


「佐々木さん……」


「……?」


 俺はあなた方が大嫌いです。


「君の推理はそもそも前提が間違っている」


「……え?」


 ヒトの道を外れてまで神になりたいとプログラムされているのであれば。

「国枝さんが悲鳴を上げた場所は――」


 俺は欠陥だらけのヒトでありつづけたい。


「プール、じゃないんだ。故に事実②は間違い。ここに真実を挙げる」


「真実⑥ 国枝さんが悲鳴を上げたのは中央館の一階である」


「中央館一階!?」


 乱れ飛ぶ反論の声。


「それなら東館にも聞こえないじゃないか」「頑張れば西館にも聞こえんじゃね?」


「ていうかまだやんのこれ?」など。


「もちろん根拠がある」


 ようやく沈静化。


「先程あげた事実⑥から⑧だ。


 事実⑥、これは当時三階を調べていた深川の証言。

 事実⑦、同じく三階を調べていた岡本の証言。

 事実⑧、同じく二階を調べていた佐々木さんの証言。


 ここから言えることは、それぞれの場所でという点。もしプールで悲鳴を上げたならそれぞれの場所で同じように聞こえる筈なんだ」


「それならっ!」


 再び佐々木さんが優しさに満ちた槍を構える。ロンギヌスあるいはグングニルでも女神の信念は貫けない。その覚悟を貫くことなどできやしない。


「中央館一階で上げた悲鳴も各場所で同じように聞こえる筈じゃないですか!」


「その通り。不可解なのは同じ場所で上げた悲鳴なのに場所によって聞こえ方が違う点。距離の関係で時間が違うのはわかる。


 打ち上げ花火の音が距離によって聞こえるまでの時間が変わるのと同じ。ただしどちらも同じように、どおおおおん、と聞こえる筈。何故なら、打ち上げ花火は同じ場所で花咲くから。今回、それぞれの場所で聞こえ方が違うということは前提である『同じ場所で上げた悲鳴』が偽であると言わざるをえない」


「それなら中央館で悲鳴を上げて、東館でも悲鳴を上げたんですか?」


「いや、それだと聞こえ方は一緒になる筈だ。しかも悲鳴は一回のみ。それは聞いた人が一番わかっていると思うけど」


「あ、そうか。ならつまり……」


 傷つき、その小さき手から槍がこぼれても。


 彼女は果敢に拾い上げ向かってくる。先輩として、探偵もどきとして、真っ向から切り捨てるその非情さは探偵の責務のせい。がんじがらめの呪縛だ。


「ここでヒントを出すと、事実⑤から中央館一階の東館への扉は開いていた。さらに悲鳴を上げた国枝さんはプールにいた。そして――彼女はマネさんではなく中距離選手」


「……っ、まさか!」


「わかった? 悲鳴がそれぞれの場所で聞こえ方が違った理由、それは国枝さんが悲鳴を上げながらから。こうしたことで中央館では悲鳴が徐々に小さくなって聞こえなくなり、東館でははじめ大きく聞こえ徐々に遠ざかった。結果、それぞれの場所で聞こえ方が違った。どう? 国枝さん」


「かんぺき。探偵さん」


 肯定なんて俺だって望んじゃいないけど、やはり答えはそうなのですか女神よ。


「でも、あの時東館二階にいたのは私と上巣センパイでした。センパイは普通に聞こえたって言ってましたが何故同じフロアにいたのに聞こえ方が違ったんでしょう?」


「それはきっと上巣さんが東館二階の一番南にある進路指導室にいたから。下からの悲鳴は階段に近いほどよく聞こえるから、上巣さんには音の強弱がわからなかったのだと思う」


「そう、だったんですね」


 力なく落とした槍を拾う気はもうないようだ。


 女神の告白を『推理』という槍をもって阻止しようとした後輩は息を潜めるようにしてステージから降りた。


 そしてついに、この時がやってきてしまった。


「さて……」


 本格探偵小説神に捧ぐ『さて……』。この一言で世界をつくったと言うのであれば、俺はこの一言をもって反旗を翻そう。探偵は今すぐヒトの心を思い出すべきだ。


「国枝さんの悲鳴の謎が明らかになったところで、さっきの質問の答えを……」


「うん。あの日の朝、失踪した二人を探すことになって伊野神クン、深川クン、岡本クンの三人が分担して三階を調べることになったのは覚えているよね? その時、西館に向かう伊野神クンを見て西館三階にさつきを向かわせたの。そして悲鳴を上げた。西館に響かせないようにしたのはそうすることで他の館にいたみんなに悲鳴直後、伊野神クンとさつきがって印象付けたかったから。


 その後、沙耶に東村クンが二股をかけていることを伝えたの。そしてさつきを殺させた。まさか沙耶が岡本クンに頼むとは思わなかったな。でもいいカンジにしてくれたおかげで伊野神クンに疑いの目が集まったから、別にいいけど。


 結論を言うとね、伊野神クンと密会してたさつきを殺すことで疑いの目を向けさせたかった……


 それだけ……その一言がいつまでも尾を引くような気がして。


「……平田先輩事件と東村事件に関しても君が黒幕なんだよね?」


「うん。そうだよ探偵さん。あれ? 自信ないの?」


「多少ならあるよ。まず平田先輩事件に関しては先輩の財布にあった森川さんと親しげに写った写真から、二人が恋人関係にあったことが予想できる。でも今はその関係じゃない」


「根拠は?」


「先輩が『さっちゃん』って呼んだのを本人が激しく嫌がっていたから」


 構わず続ける。


「森川さんは先輩のことが疎ましくて仕方なかった。だから君は堂場顧問に先輩を殺させた。それをネタに悲鳴を上げる前、森川さんを西館三階に向かわせたんじゃないの? 彼女としては従う他なかった」


「さすが♪」


「何故堂場顧問に殺させたの?」


「ききたい?」


「ぜひ」


「先生はね」と女神。「初日の夜、私に言い寄ってきたの」


「……っ!」


 構わず続ける女神の魔性さよ。禁断の思いを暴露された堕落顧問はさらに地獄の底へと堕落していった。その身を地獄の業火で焼かれてもその罪は消えないだろう。


「だから先生は私の下僕。言うことなら何でも聞くって。って言ったらすんなり引き受けてくれたの」


 ばしゃっ! という水しぶきの音がした。見ると空になった紙コップを寺坂顧問が思い切り潰していた。中身はない。そして堕落顧問の顔が薄黒色の液体で濡れていた。


「恥を知れっ! なんという暴挙か! 教え子に言い寄り、教え子を殺すなど! あなたは教育者として失格だっ!」


 先程はこれから何をするのかが重要だと言っていた口は、罪滅ぼしすら許さんと言わんばかりの悪罵にまみれていて。弁解の余地など皆無。大きなため息をついた寺坂顧問は手にした紙コップを乱雑にゴミ箱に放り投げる。バレー部の面々は委縮しながらその姿を見つめている。


 補足として女神の口から洩れた言葉をまとめておくと、初日のミーティング後、二十時三十分過ぎにおいて顧問からアフターケアの名目で二十二時に教官室にくるように言われたらしい。次に俺が一‐六に入る直前、二十一時二十分頃、何やら先輩と国枝さんが話していたというが(岡本の証言)二十二時三十分に顧問が呼んでいたと伝えたとのこと。その後、二十二時に顧問と会い先輩の殺害を指示、のこのこやってきた先輩は殺され、死体はプールに遺棄された。

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