失墜
我が陸上部の神にして恩師。堂場仁顧問。何故、その手を教え子の血で染めたのか。
これが天空の主の采配ならば、あなたは私たちに何をお望みか。
「教官室にあるチョコ味のプロテインだと知られたら、犯人はたった一人に絞られてしまいますから。先輩が最後に目撃された十日二十一時四十五分以降、顧問は先輩を教官室に呼び出して殺害した。この時、恐らく部屋の空調が高めに設定されていた。今日の朝、教官室に入ったとき感じましたが少し暑いくらいでした。
先輩は着ていたパーカーを脱いだのだと思います。そして抵抗するなどしてプロテインがシャツに付着。当該シミをなかったことにするためシャツを入れ替えた。入れ替えたクリームシャツを処分しなかったのは、もの自体を処分しなくてもマネさんが洗濯すれば事足りるしその方が自然だから。そして死体をプールに遺棄した。あの時ですよね? 零時頃」
あの時、廊下から校庭を歩く顧問を目撃した。
「後の話で見回りをしていたと言っていましたがそれは嘘です。あの時、顧問の姿は闇に溶けていてほとんど見えなかった。
つまり懐中電灯の類を所持せず見回りをしていたことになる。これは明らかにおかしいです。しかも顧問は校庭を歩いていた。何故校舎内を移動しなかったのですか? 歩く音を聞かれたくなかったんじゃないですか? それに教官室からプールに行くのなら校庭を歩いた方が早いですもんね」
「……ふっ、出鱈目を」
「でたらめなんかじゃありません。堂場顧問」と俺。既に見る影もない顧問に断罪の槍を突き刺すのはささやかな配慮。本当は今すぐぶっとばしたいから。「あなたは平田先輩をその手で殺したのです。違うというのであればクリームシャツに付着していた当該シミから甘い香りがすると何故知っていたのか、理由を答えてください」
沈黙がこれ以上ない返答となった。陸上の何たるかを教示した、時に厳しくもいつだって真摯に向き合ってくれた陸上神、堂場顧問は今、無様に失墜した。
誰も言葉をもたない。失墜した神にかける言葉など皆無。堂場顧問は俯いたまま微動だにしない。その姿を冷めた目で見つめる。
「はあ……」と大きなため息。寺坂顧問だ。「顧問である前に、人でしょうが!」
「はい……仰る通り」
「だったら何故……!」
「わた……わたしは、その理由は」
そこで黙り込む顧問。額には汗が滲む。
どんな言い訳をしたところで軽蔑以外の視線を向けるつもりはない。そんな中、俺以上に冷ややかな視線を向けたのは――。
「……………………」
我が陸上部の第一の女神、くに――。
「…………!!」
その刹那。堂場顧問は大きく体を震わせた。まるで天敵に出くわしたみたいな反応の速さ、それは脊髄反射のよう。
「理由……」と第一の女神。やさしさに包まれたひどく冷たい声。「言わないんですか?」
「あっ、いや……う、うううぅぅ」
「あと堂場顧問」
これはささやかな手向け。
そして自らの推理の修正。先程のミスは消えないが間違いは正すことができる。
「先程顧問は事前に二種類のシャツの存在を知らないと入れ替えトリックは行えないと言いました。僕もそう思いましたが撤回します。事前に知らなくても行えるんですよ」
表情が死に、聞いているかも定かではないが続ける。
「犯人は殺害時にクリームシャツを目撃したはずですから、事前に知らなくてもその時知ることが出来るんですよ。シャツが二種類あると。つまり事前に知らなくても犯人になら入れ替えトリックは可能です。ドリームシャツの存在は開会式のとき尾形さんがその事について話したのをきっかけに全員が知っていた筈ですから、その中の犯人になら当該トリックは可能です。事前にクリームシャツの存在を知っていようがいまいが。よって事前にクリームシャツの存在を知っていた深川、岡本だけが犯人候補という顧問の推理は棄却可能です」
そこにどんな理由があれ、事実は変わらない。
俺は顧問が真っ当な理由を口にしようが同情なんてしない。
この様子だと理由を言い終える頃には朝日が顔をだすだろう。ここは探偵として先を進めることにする。
「では、続いて――」
俺が最も推理を拒んだ事件。殺されてしまった事実もさることながら、一番嫌悪することはこの中にそれを行った人物がいるということ。
「陸上部マネージャー森川さん殺害事件について」
懺悔するなら今だぞ?
しかしそいつは何食わぬ顔で俺の話を聞いていた。
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