無情な審判
「いえ、しかし――」
「伊野神」
「は、はい」
堂場顧問は遠慮なんて露知らず教え子を告発する内容を吐露していく。
「事前に二種類のシャツがあると知らない人間がもう一つのシャツと入れ替えようなんて思うか?」
「あっ、そうか……」
そもそも入れ替えのトリックは別のよく似たシャツの存在を知っていないと成立しないではないか。ドリームシャツしか知らない人間には不可能というか、まずその考え自体が浮かばないだろう。入れ替えのトリックを肯定してしまうと、クリームシャツの存在を事前に知っていた深川と岡本に疑惑の目がいくのは当然だ。
己の推理の間違えに気づいたのは会話の主導権を奪われた後だった。
「そっか……つまり」と上巣さん。徐々に外野がどよめきだす。「入れ替えようと思ったのならその人物はドリームシャツとは別のクリームシャツの存在を知っていた人ってことね」
「ほんとにみんな知らないのかよ? チラッとでも見た奴いるんじゃないのか?」
「いや、いないと思う。俺が寝室で先輩を見た時、パーカーを着ていたから」
プリントは確か『ONE FOR ALL』だったか。この下に着たシャツはシャワー後一緒だった深川と岡本しか見ていないことになる。
「入れ替えたのなら……」
場は堂場顧問の言葉に支配される。悪事を働いた教え子を諭す熱血教師のように、腰に手を当て言い放つ。
「クリームシャツの存在を知っていたことになる。スペル一文字くらいならバレないと思ったのだろうが入れ替えたことで墓穴を掘ったな。深川、岡本! なんでなんだ? なあ?」
「…………」
二人は口を閉ざす。あんなに食ってかかっていた深川も、自信満々な岡本も、顧問の言葉に歯向かおうとしない。何か反論を考えているのだろうか。泣きそうになる二人から目を遠ざけたいがためにメモ帳を見る。このままでは最悪二人とも犯人にされてしまう。それは間違いだ。ならば――。
「――結論を先に述べます」
俺のなけなしの声は誰の耳にも届かないかもしれない。
事実、探偵としてあるまじきミスをした。
それがなんだ。結論は変わらない。俺が裁きを下すんだ。教え子を犯人呼ばわりしたクソ野郎を断罪せんがために。
「平田先輩殺害事件の犯人は――堂場先生! あなたですっ!」
「…………なっ!」
「先生! 俺はあなたを信じていました」
「堂場先生まさか」と寺坂顧問。「教え子をその手で?」
「ご冗談を寺坂先生、彼の戯言ですよ。ちょっと間違えたからってムキになっているだけです。伊野神、いまなら撤回を許す。間違いを認めるのはこれから先必要なことだぞ? しかもお前先生を犯人呼ばわりなど、失礼にもほどがある」
「いえ顧問。僕はあなたを告発します。あんなに夢を語っていた平田先輩のこの先の人生を奪い去ったあなたを!」
「おい、どういうことだ! そこまで言うなら言ってみろっ! 俺が平田を殺しただと?」
「はい。その証拠があります。
事実⑬ 洗濯篭には『I HAVE A CREAM』シャツが残されていた。
事実⑭ 残されたシャツには 茶色のシミがついていた。
当該クリームシャツは洗濯篭に入れられていて、そこには茶色のシミがついていました」
メモ帳の通りに発言するが、事実⑭の空白が気になる。確かもう少し詳細を記していた気がするけれど、
「シミだと?」
堂場顧問の低く冷徹な声に急かされ、構わず議論を進めることにする。
「そうです。そして、これこそ堂場顧問が平田先輩を殺害した動かぬ証拠です」
「ふっ、何をバカなことを。伊野神、いい加減にしなさい」
「このシミをつけたのが顧問、あなたであり、これを隠そうとシャツを入れ替えた。このシミは先輩を殺害した時についたものですよね?」
「いい加減にしないか伊野神。なんで俺が平田を」
「堂場先生、はっきりと答えて下さいませんか」
寺坂顧問が静かに言う。怒りを湛えた千手観音が冷ややかな目を堂場顧問に向ける。
「…………」
場が傾きだした。このまま押し切れるか。
「……知りませんよそんな茶色のシミ。第一それはなんだ?」
「恐らくコーヒーだと思います」
「……そうか、コーヒーか。残念だがコーヒーなら俺じゃないぞ。俺はブラックしか飲まないからな」
「確かに顧問はブラックしか飲まないようですね。その事実は認めざるを得ません。
事実⑲ 顧問二人ならびに尾形さんはコーヒーをブラックで飲む。
お三方がここでミーティングをされた後、ゴミ箱の紙コップを確認しました。飲んで確かめたわけではないですが、色、香りからブラックだと思います」
「そうだろう! 俺はそんな甘いコーヒー飲まないからな。ブラックしか飲まない俺が、その茶色のシミをつけられる訳がない。わかったか、クリームシャツの存在を事前に知っていないと今回の犯行は不可能なんだ。深川、岡本、話してみなさい。俺はお前らの顧問だ。お前らの悩みを訊く義務が――」
「顧問、やはりあなたが犯人だ」
痛いくらいの視線が眉間を貫く。目をパチパチさせながらメモ帳を見る。
『事実⑭ 残されたシャツには仄かに甘い香りがする茶色のシミがついていた』。
今見ると事実⑭にはそう記されている。先程は空白になっていた部分にハッキリと、仄かに甘い香りがすると俺の字で書かれている。
「僕はクリームシャツに茶色のシミがついていると言いましたが、茶色のシミから甘い香りがするなんて、一言も言っていませんよ?」
空白の部分をあえて言わなかったのが功を奏したことになるけれど、一体どういうことだろう。度重なる事件に推理、いよいよ頭がおかしくなったのだろうか。
しかしやっと掴んだその尻尾、みすみす離すわけにはいかない。
「あなたはどうしてもシミを甘いコーヒーにしたかった。そうすることでブラック派を主張すれば容疑者圏内から外れると思ったのでしょう。それもそうですよね。だってこの仄かに甘い香りがする茶色のシミの正体が――」
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