地に堕ちた女神様

 時刻は十五時。森川さんとの約束の時間。


 がらんどうな空き教室。


 その中央に置かれた机とイス。吊り下げタイプの照明は目の前のそれらを余すことなく、一切の妥協なく照らし出す。


 細い紐が巻き付けられたブロックレンガが吊るされていて、紐は照明カバーに結ばれている。表面はごつごつしていて、かなり尖っている。


 その尖った部分に真っ赤な血。誰か怪我したのだろうか。保健室にガーゼや消毒液があったような。はやく、とりに、いかなくては。


 床の上に誰かがうつ伏せで倒れている。すぐ横に、某アニメのキャラがつけている赤縁メガネが落ちていて。赤縁メガネといえば我が陸上部第三の――。


「……………………………………………………………………………………え」


 森川さんが頭から血を流して倒れている。

 森川さんが頭から血を流して倒れている。

 森川さんが頭から血を流して倒れている。


 何度も。なんども。ナンドモ。何度も目を疑った。だけど森川さんにしか見えない。


 投げ出された手足は人形のそれのように無機質。


 真っ白な太ももに飛び散った真っ赤な血。


「も……も、もり……もり」


 声が出ない。血の臭いが喉に詰まったような感覚。震えが止まらない。今にも膝から崩れ落ちそうだ。乱れた髪のせいで、表情は見えない。


 あの綺麗な笑顔。女神の微笑み。思い出の中の彼女がぐにゃりと歪む……。


 森川さんが笑う。


 ブーブー言いながらみんなのウェアを集めて回る部の母。彼女は女神だった。マネさんの仕事を全うしてくれた森川さん。絶妙の濃さでつくるスポドリは祝杯だった。


「どうして……俺をここに呼んだの? 何を、話そうとしたの?」


 その答えはもう、一生わからない。淡い期待はより大きな悲劇によって打ち砕かれた。我が陸上部第三の女神の死という、到底受け入れられない現実によって。


 楽しい思い出が目の前の無造作な死体によって黒く、暗く、暴力的に塗りつぶされていくというのに、俺という最低最悪な部長探偵はただなすがままに佇むことしかできなかった。


「……どういうことだよ?」


 空き教室で呆然と突っ立っていた俺を岡本が発見し全員に伝えたらしい。森川さんの死体が全員の眼前に曝される。今の発言は深川だろうか。今にも起き上がりそうな森川さん。けれども動かない。もう決して。


「なんで、なんで……もりかわさ――」


「さつき! ねえさつきいいいいいいいぃぃぃ! ううぅぅっ!」


 廊下側に立っていた国枝さんが森川さんの死体に駆け寄る。俺の肩にぶつかるが全く気に留めなかった。反動で少しよろけて岡本にぶつかり、後輩は掃除用具入れに背中をぶつけた。


「おっと、わるい」


「いえ、平気です」


 後輩はそのまま、まるで門番のように背筋をまっすぐ伸ばして直立した。廊下側をみると寺坂顧問と尾形さんが生気を抜かれた表情で立っていた。国枝さんは森川さんの背中を強くさするけど反応がない。それでも動かなくなったおもちゃを必死で直そうとする女の子みたいに、構わずゆすり続ける。やがて見かねた堂場顧問が優しく駆け寄る。


「国枝……もう、やめなさい。ゆっくり休ませてあげよう。な?」


 次の瞬間、ぴしゃりという甲高い音が教室に響いた。国枝さんが、その小さい手で顧問の頬を叩いたのだ。


「ゆっくり? ゆっくり休んで? 何を言っているんですか?」


「いや、だからな……その」


 教え子に叩かれ、よほど衝撃だったのかしどろもどろになる顧問。その様子を、窓側に立っていた佐々木さんが唖然とした表情で見つめる。その隣に立つ上巣さんはどこか達観した表情。


「……ふふ」


 


「あ、朝倉……」と俺。必死で見なかった振りをする。「この事件、犯人誰だと思う?」


 隣に立つ朝倉は困った表情で続ける。


「え? 伊野神にもわからないなら、そんなのわかるわけないだろ」


「そうか。でもさ――」こうは考えられないか、と俺。「三つの殺人事件。俺たちの中に犯人はいない。この島には第三者が潜んでいて、そいつが犯人なんだ」


「うーん、その人物は始めからいたってこと?」


「ああ、そうだ! そうだよ! 初めから計画された殺人だったんだ」


 この島に潜む第三者。そいつが先輩を、東村を、森川さんを。


「伊野神」と冷ややかな声で言ったのは黒板側に立っていた深川。「ちょっと、訊いてもいいか?」


「なに?」


「お前さ、今朝国枝さんが悲鳴を上げたとき、この西館三階の廊下で森川さんと会っていたよな?」


「うん…………。そうだけど、それがなにか?」


「その森川さんが、こうして殺された。あと……」


 いつの間にか深川は探偵の如く、場を仕切りはじめ、徐にレンガが吊るされている照明の近くまで歩き出す。


「これ、時間差で落ちるようにしておいたんだろ」


「…………はあ?」


 だろって、俺、知らな――。


「その間お前は違う場所にいた。そうだろ?」


「…………なに、どういうこと? 何が言いたい?」


 こいつ……まさか。


「お前は仕掛けで森川さんが死んでいるか確かめに来たんじゃないのか? そして狙い通りになっていたから、第一発見者を装った。違うか?」


「違うね。何言ってんだよ。深川」


「森川さんを殺したのは……伊野神、お前なんじゃないのか?」

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