疑惑と約束

 洗濯篭を調べ終わった後、東館の先輩の部屋に向かう。


 先輩には悪いが、ちょっと荷物を見させてもらおうと思ったのだ。あの先輩のことだ、他にも似たようなシャツがあるかもしれない。その後、時間があれば東村の荷物も調べてみよう。


 西館一階から中央館を通って、東館に入ったときだった。


「…………」


「あ……もり」


 二階から森川さんが下りてきた。声をかけようと思ったけど、彼女の様子に思わず言葉を吞みこんでしまった。悲壮感漂う表情、さらには瞳いっぱいにためた涙。それが一筋の悲しい道をつくり頬を伝う。


「……森川さん」


「…………」


 上ずった声は我ながらとても震えていて、男として情けない限り。


「その……」


 どうしたの? と訊こうとしてなんて愚かな質問だろうと気づいた。続けようにもこの場に相応しい言葉は何一つとして出てこない。


 一方、時間は残酷でとても正直だった。逡巡している間に、彼女は俺の横を通り過ぎる。凛とした制服から淡い香りがして、心が乱れる。ぐすんと鼻をすする音の後に背後から声が聞こえた。その声はまさしく、女神のそれだった。汚いウェアも綺麗にしてくれる我が陸上部の、第三の女神のお言葉。普段は部のみんなへ向けられる言葉は、この時だけ俺に向けられたのだ。それは託宣のようで。


「……………………あとでね」


 それだけ言って女神は去っていった。


 時刻は十四時。森川さんとの約束まで残り一時間。


 先輩の寝室である一‐六。岡本の姿はなかった。布団はやや乱雑に畳まれ、二人の荷物はすぐ隣に置かれている。


 すぐに先輩の荷物を調べてみる。ウェア、パンフレット、タオルや着替え、さらに某人気一位のプロテイン(しかも新発売のフルーツ味)など。クリームシャツみたいな奇抜なものは見当たらない。財布には少々の現金。他にはカード類や写真。


「……ん?」


 その写真。息を吞む。


    事実⑮ 先輩は森川さんとのツーショット写真を数枚所持していた。


 二人は仲睦まじくピースサインをしている。ただの先輩後輩と見なすには、あまりにも二人は


 外から雷の唸り声。たった今抱いた内なる怒りを代弁しているようで。


 その後、写真を戻して自室へ。


 深川が一人で筋トレをしていた。部屋は奴の汗の臭いでさながら満員電車のようだったので、少しだけ窓を開け換気した。そしてダンスの練習を少しして、時刻は十四時五十分頃になった。


「なに? また探偵?」


「ああ」


「そっか……お前はどこにも行かないよな?」


「はあ? どうした深川、そんな弱気なセリフ……らしくないじゃん」


「そりゃあお前、俺にだってナイーブな所くらいあるんだぜ……」


 そう言って深川は大きく息を吐いてうなだれた。


「先輩と同級の奴が死んで、おまけにこんな雨……。弱気になるなって方が無理だろ?」


「…………」


 そうだ、そうに決まっている。だから俺がはやくピリオドを打たなくてはならない。


 この悲劇を終わらせなくてはならない。

 

 自室を出て、西館一階に移動する。


 ここから階段で三階まで上がろうと思い、ポケットに入れておいたイヤホンをつける。少し気分転換しながら向かおう。時刻は十四時五十五分。


 大好きなバンドのプレイリストを再生する。


 しんとした空間に微かに響くギター。音量を上げる。そして囁くようなボーカルがそっと重なる。恐怖と弱気の隙間から入り込んで、心を優しく握りつぶす音。


 ゆっくりと階段を上る。一段、また一段と。


 ボーカルは変わらずそっと囁いている。周りの楽器はさざ波のように優しく揺れている。不甲斐ない自分を蔑んでいるように聴こえるのは、疲れているからだ。きっと。


『お前はこの事件を解決できない』


 うるさい。黙れ。


『探偵を気取ってないで、黙って救助を待てばいい。お前は所詮何もできない』


 二階に着いた。


 直後、周りの楽器が唸りだした。かき鳴らされるその音は、大波のようにボーカルを飲み込んでいく。攻撃的な音色は、三階への階段を上がろうとした脚を止めようとさらに躍動する。


『余計なことはするな。探偵なんてやめろ』


『お前に、全てを背負う覚悟がないのはわかっている』


 一歩ずつ三階に向かう。運命の赤い糸が薄く伸びて、ぷつんと切れる感覚。


 ボーカルが叫ぶ。


 内なる声が叫ぶ。


 俺がやらないのなら誰がこの悲劇を止める?


 確かな信念を胸に、三階に着いた。イヤホンをとる。


 西館三階廊下。雨の音以外、何も聞こえない。森川さんはもう来ているのだろうか。焦らすようにゆっくり歩いて、空き教室前に立つ。


「ふー」


 一呼吸つく。淡い期待を押し殺し、扉をノックして開ける――。

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