時刻は十九時。ここは一‐一。練習後、シャワーを浴びた俺たちは夕食を食べている。


 メニューはトンカツ弁当だ。裏返しにした蓋にばらんを置き、トンカツにソースをかける。大人三人の姿はない。バレー部も全員揃って――と思ったが一人足りない。


「朝倉、東村は?」


「……ん?」朝倉は真っ白な顔で黙々と箸を動かしていた。「……なに?」


「お前、大丈夫か? 顔真っ白だぞ」


「あ……うん、大丈夫だよ」


 練習がきつかったのだろうか。まるで軍隊の特訓のようだと以前聞いたことがある。


「東村は脚痛めて保健室で休んでる。今日、しごかれていたからな」


 横からそう言ったのは新城。風呂上りで若干湿ったオールバックが冴える。


「え……うそ」と反応したのは上巣さん。「綺羅くん……そんなにひどいの?」


 上巣さんはひどく慌てた様子。それに東村を下の名前で呼んだ。途端に新城の表情が険しくなる。触れてはいけない事情がありそうだ。


「確かに……」と辻マネ。黒髪が綺麗に下されている。「千手観音炸裂だったもんね」


 千手観音? 疑問を口にすると辻マネが解説してくれた。


『千手観音』は寺坂顧問の異名。


 その猛烈なしごきは、まるで千の手がボールを打ってくるかの如く、らしい。


 バレーボールにおけるしごきは全スポーツの中で一番理不尽だと思う。


 基本的に顧問が投げたボールは上げにいかなくてはならない。少しでも気を抜こうものなら、ボールが顔面を容赦なく射抜いてくる。それは外野でボール拾いをしている下級生も例外ではない。右へ左へ容赦なく上げに行かされ、いつしか呼吸すらきつくなる。思い出しただけで寒気がしてきた。


「千手観音の怒りは祈っても止んでくれないからな」


 こんな洒落たセリフを言ったのは新城。


「知子ちゃんは平気だった?」


「はい……なんとか。突然の指名でびっくりしましたけど」


 佐々木さんにも容赦なしみたいだ。第一印象はどうやら化けの皮らしい。


「でも東村センパイよりきつくなかったと思います。センパイ大丈夫かな」


「ならさ……」と新城。「朝倉、めし持って行ってやれよ」


「……う、うん。わかった」


 朝倉は箸を置くと教卓の上に置いてあったトンカツ弁当を持って教室を出て行った。時刻は一九時五分。


「にしても……」と深川。「良かったな。陸上にしごきがなくて」


「いや、あるわ! 今日の流し繋ぎがしごきじゃないなら、あれは一体何だ?」


 平田先輩の猛抗議に深川は澄ました顔で一言。


「アップっす!」


「嘘つけ! お前だって吐きそうだっただろ!」


 先輩のパーカーには『ONE FOR ALL』。ウケ狙いらしいが誰もツッコみなし。メッセージものに対する愛だけは人一倍あるらしい。


「実はトイレで吐きました!」


「ずごーん!」


 教室は笑いで満ちる。このコンビは放っておくしかない。俺は朝倉の弁当箱の上できっちり揃えられた割り箸を見ていた。トンカツにはソースがかけられ、ソース入れには半分くらいのソース。こだわりなのかもしれない。


 朝倉はすぐに戻ってきた。


 ちなみに保健室は中央館一階、二階への階段横にある。


 その後、弁当を平らげ雑談。ホムフェスのこと、ダンスのことなど。バレー部もダンス練はほとんど動画を見るだけで終わったらしい。追い込みは明日からだ。


 時刻は十九時二十分。朝倉が保健室で休む東村が食べた弁当の空箱を持ってきた。


「なんだ、食欲あるなら全然大丈夫だな」


 空になった弁当箱を見て平田先輩が言った。ご飯もトンカツもきれいに平らげたらしく、割り箸だけが役目を終えたとばかりに残されている。


「弁当、すげえきれいに食べたなあいつ」


 新城がそう言って朝倉から弁当箱を取りあげ、ごみ袋に入れた。


 時刻は十九時三十分。夕食を終え、俺たちは教室を出た。


 びゅぅぅぅぅぅぅぅぅ。


 風が窓を揺らす。廊下は不気味な静けさに包まれていた。


 時刻は二十時四十五分。ここは俺と深川の寝室である一‐二。ダンスビデオを見ながら明日の準備をしていた時だった。


「バレー部の東村がどこにもいないらしい」


 血相を変えて教室に入ってきた堂場顧問はそう言った。


「えっ」思わず声を吞む俺。「彼なら保健室で休んでいるんじゃ?」


「ああ。だが、同じバレー部の上巣が保健室に行ったところいなかったらしい」


 確か夕食が終わったのが十九時三十分。その前に朝倉が保健室に弁当を届けている。その時にはまだ保健室にいたと思うから、その後にいなくなったということか。


 そのことを顧問に言うと訝しむようにうーんと低く唸る。


「一人でか? それなら疑うわけではないが、嘘をついている可能性もある」


「それはないと思いますよ」背後から深川。イヤホンを耳から外して一歩前に出る。「あいつ、空の弁当箱持ってきましたから。ご飯粒一つ残ってませんでした」


「そうか……」顧問は納得していない様子。「とりあえず、今日はもう遅いから探したりするなよ。もし見かけたら速やかに報告するように。それと、悪いが他の部員に伝達頼む」


 そう言って、堂場顧問は去っていった。


「あいつ……どこいったんだろうな」と深川。「行く場所なんてないよな?」

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