一日目

いざ、天海島へ!

 原因ははっきりしている。寝不足と船酔い。特に前者の影響が大きい。


 もう何度目か、俺は海の生物たちに吐瀉物をプレゼントする。これも海の生物たちを守る活動と思えば、何だかもっと吐きたくなってきた気がする。


 今日の日付は八月十日。


 場所は海の上の船の上。オン・ザ・シップ・オン・ザ・シー。


 どこへ向かっているのかというと、我らが私立杵憩舞きねいこまい学園高等学校天海島校舎。


 私立杵憩舞学園高校。学校名の由来は、もともと『杵憩祭きねいこさい』という餅つきをして無病息災を祈る祭りがあり、それの発展に伴って徐々に移住者が増え、ある時学校をつくろうという話が持ち上がり『杵憩学園』がつくられたのが発端とされる。その後『ホムフェス』(後述)でダンスを踊るのが伝統行事になったのをきっかけに『杵憩舞学園』になったらしい。


 後援団体の財力による最先端の技術が集結していて、カフェテリアや本格レストランが生徒を日々肥やしている。食糧難になったらうちの学校の生徒は乾パンなんて食えないと意地を張り飢え死にするだろう。日本中に姉妹校をもつことから設立者は相当な大富豪に違いない。


 今回向かう天海島校舎もその内の一つなのだが、唯一学校としては機能していない姉妹校だ。その昔は他の姉妹校同様にたくさんの生徒が門をくぐっていたのだが島民の島離れが深刻化、それに伴った生徒数減少のため廃校を余儀なくされた。それでもお金はたくさんある我が学校、管理会社(学校の息がかかった民間企業)が日々手入れを怠らない。現在では林間学校やイベントなどで利用されることが多い。島の名物である天海山は登山シーズンにはツアーが開催されこの時だけ多くの観光客で賑わう(ここまでパンフ参照)。


 そんな天海島校舎に向かう理由――それはダンス練習のため。


 ちなみに俺は陸上部長。名前は伊野神いのかみけい。種目は幅跳び・三段跳び。自己ベストは幅跳び六メートル三十二。三段跳び十二メートル八十六。ダンス歴零秒。そんな俺が何故ダンスをすることになったのかというと――。


「おえぇぇ。船はもう乗らないぞ……ぜったいに」


 ゆっくりと上下する視界。


 吹きつける生ぬるい風。


 あざ笑う海鳥。


 ブオーというモーター音が脳を揺らす。先が見えない慈善活動。本当に船は苦手だ。


「ふうー、うっぷ」


 ダンスをする理由、それは体育祭のため。


 来月行われる目玉イベントの一つ、体育祭――正式名称『真夏の焔祭ほむらさい』通称ホムフェス。その出し物の一つに毎年運動部がダンスを披露するステージがあり、今年の担当に我が陸上部とバレーボール部が選ばれたのだ。


 参加人数は六人ずつ。その陸上部代表として俺を含む六人。バレー部選抜六人。顧問二人と運転手一人合わせた十五人が今、船に揺れられている。これから二泊三日、みっちりかっちりダンス練と部活なのだ。


「おう部長! グロッキーだな。そんなんじゃ女の子にモテないぞ?」


 横からそんな陽気な声。


 我が陸上部のエース深川ふかわたけるが自慢の前髪をひらひらひらひら風になびかせている。


 種目は短距離。彼曰く自慢の前髪は空気抵抗を受け流し……云々。いちおエース。


「深川か。悪い……今回のダンスは任せた……。俺は海のもず、もこず」


「はっは、言えてねぇし! 運動部のくせに船酔いとは……後輩に笑われるぞ」


 満面の笑みが太陽のようだと思ってしまったのは、俺の目の一生の不覚だろう。指定である群青色のネクタイはどこへやら、ワインレッドのストライプネクタイがそこにいて。


「うるさい! 普通は脳が混乱して多少気分が悪くなるもの。こんな状況で爽やかに笑っているお前がいけ――」


 俺は少し離れた所に固まっている我が陸上部のメンツを見る。


 まず、元部長の平田ひらた順平じゅんぺい先輩。


 種目は短距離。元ホストランナー。以前付き合っていた彼女に前髪を切られ現在育毛中らしい。深川とのバトンパスは似た者同士ゆえ芸術の域だ。


 黒のポロシャツに『MAKE ME SAD』と英文が一文。意味は『悲しいの』といったところか。心中お察し申し上げる次第だが半分以上この先輩が悪いので同情はできない。女の子に声かけ過ぎるとこうなるといういい例だ。


 その横、一際体格が大きい岡本じゅんぺい重造じゅうぞう


 野球部と同じ坊主頭。一年生にしてインハイ記録を更新した男。得物は砲丸。白いTシャツから覗く二の腕には玉のような汗が。顔色は良好。


 次は国枝くにえだ真希まき


 種目は八〇〇メートル(別名トラックの格闘技。所以はコース取りの激しさから)。


 ショートヘアが風に揺られサラサラとなびく。我が陸上部第一の女神。ちなみに第三の女神はマネさんの森川さん。第二の女神はお留守番中。水色のクラスTシャツから覗く腕は真っ白で。そのお脚も真っ白で、黒のハイソックスとのコントラストが素敵。もちろん慈善活動の痕跡ゼロ。


 そしてマネージャー(敬愛を込めてマネさんと呼んでいる)の、森川もりかわさつき。


 前述した我が陸上部第三の女神。セミロングの黒髪が清楚なお嬢様のよう。赤縁メガネが某有名アニメの女の子にそっくりでファンクラブが地下にあるとかないとか。白のポロシャツにタオルを首からかけた姿は、まさにクイーン・オブ・マネージャー。一度も嘔吐なんてしたことないだろう。


「…………………………」


「ほらな? お前だけだぞ――」


「うううううううううううおえええええええええええええええええええ!」


「…………!?」


 と、横から怪物の咆哮が。


 そこにいたのは……。


「…………堂場先生」


 堂場仁どうばじん先生。顧問。元一一〇メートルハードルのインハイ選手。通り名はハードル・クラッシャー。口癖は『ハードルは壊すものだ!』。


 俺は顧問と一緒に、慈善活動をつづけた。


 時刻は午前十時半。船に揺られること約二時間。


「それにしても……」と国枝さん。「おっきい島」


 進行方向に大きな島が見えてきた。濃密な緑が雄大に広がっている。涼しげな木漏れ日を想像して、幾分か気分も良くなった。口の中が酸っぱいのは相変わらずだが、もう少しで到着なので踏ん張りどころだ。


「やっと着いたか……長い旅路だったな」と俺。「せめて最後の船旅を味わうとしよう」


「えー部長! あと一時間かかりますよ」と岡本。「しかも、帰りも乗りますから。船」


 奮い立たせた気持ちをへし折る新入生の一言。地球だけでなく、先輩を持ち上げることも考えてほしいところ。


「岡本君なら……」と赤縁メガネのクイーン。「ここから砲丸投げたら届く?」

「はっははははは、はっは」爆笑したのは元部長平田先輩。「やってみるか岡本ぉ?」


「嫌です! 確実に海の底まで砲丸沈んじゃいますよ」さすが一年、ツッコみが真面目だ。


「平田先輩ならここから水面ダッシュで上陸っすよね?」と深川。バカ同士の掛け合いが始まった。


「はっ、何なら水面でバトンパスやってみっか? 掛け声だしてさ」


「先輩がその気なら!」


「よおーし、バトン持ってこいや!」


「忠告しておきますけど……そのバトン、今年の予算委員会で生徒会を納得させて購入したものなので、無くしたら許しません。高いんですから。それでもお使いなら持ってきますけど?」


 森川マネさんが言うように、公認のバトンは高価である。我が陸上部は安いバトンを長年愛用してきたが、公式戦を考えて買い替えることにした。予算関係も任せている森川さんが厳しくなるのは当然。


「さっちゃん」


「…………それ止めてもらえますか? 平田先輩」


「あっ! ほらほら! 見えてきたよ島!」


 その時。


 船室に続く扉が開いて、男女がぞろぞろと出てきた。その先頭に立っていたポニーテールの女の子が島を指さして。


「あっ、真希ー」とポニーテールの女の子。国枝さんと同じ水色のクラスTシャツ。「もう少しで着きそうだね!」


 声をかけられた国枝さんは微笑みながら彼女に駆け寄って。


「バレー部のみんなは何してたの?」


「ん? うちら?」と彼女。「船室でトランプやってた」


 そうして。


 我が陸上部と。


「あ、いちお紹介するね。バレー部でーす!」


 バレーボール部は船上で出会った。


 これから生活を共にし、ダンスという一つの芸術を創り上げる良き仲間、そして良きライバルとして。

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