延長線上のまだ見ぬ君へ――部長探偵伊野神けいの受難――

向陽日向

プロローグ

青春の終わりは魂の躍動とともに

 ヒトは愚かだ。どんなにもがいた所で全知全能の神にはなれない。


 大小の差こそあれ、必ずどこかに欠陥が残る。


 照明が照らす校庭、大きなスポットライトに照らされた大地は悲しみに暮れている。


 時刻は真夜中。これは試練。


 天海島てんかいとう杯三段跳び決勝最後の跳躍。


 参加選手一名。名は『陸上部長兼探偵』伊野神けい。


 三段跳びの助走レーン。自らのスタート位置から天を仰ぐ。


 見つめるは真っ黒な空の先、遥か彼方に君臨する天空の主。


 俺たちヒトは何故、無駄な足掻きを繰り返すのだろう?


 騙し騙され、殺し殺され、それでも一縷の望みを捨てきれないのは幼くて初心な心ゆえか。


 あなたは欠点がなく。


 あなたは失敗もせず。


 あなたは全てにおいてぬかりなく。


「だから、俺はあなたが嫌いだ」


 失敗がないということは、成功がないということで。


 悲しみがないということは、喜びがないということで。


 死がないということは、生もないということだから。


「この跳躍を、先にあなたのもとに招かれた友人たちに捧げます」


 これはけじめ。そして懺悔の三段跳び。

 俺はみんなを守れなかったから。


 天空の主は今、泣いているのだろうか?


 いや違う。これは雨。気まぐれの雨。あなたは涙など流さないから。


「お願いしまああぁぁすっ!」


 ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ。一定のリズム。


 脳裏に浮かぶ県大会予選。当時、踏切板から砂場まで十二メートル。


 ホップ・ステップ・ジャンプで十二メートル跳ばないと記録にならない。当時の自己ベスト十一メートル後半。砂場にすら入れない恐怖。


 今の自己ベストならその心配はない。いつも通り跳べば大丈夫だ。


 ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ。


 それなのに、手拍子がたまらなく怖い。自分で要求したくせに。


「よしっ!」


 赤色のショートスパッツを強く撫でる。思いが伝わるように。


 そして気まぐれに降り出した雨の中、いつも通りの一歩を踏み出す。


 お気に入りのスパイク(定価八千円。跳躍用ではない安いやつ)が助走レーンのゴムをしっかり捉えるのを感じる。皮膚を切り裂く風の感触もいつも通り。


 ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっぱちっぱちっぱちっぱちっ。


 どんどんスピードに乗る。外野のリズムが速くなる。


 スタート直後は前傾姿勢。そこから徐々に上体を起こしていく。ポイントは腰を曲げないこと。ここで曲がっているようならば、ホップの衝撃に耐えられず腰が砕けてアウト。猫背には厳しい課題だが、その分、練習の成果を信じることができる。


 視線は真っ直ぐ前へ。踏切板はどうやって見るかというと、周辺視野だ。


 ベテラン(気取りだけど)になれば、自分が何歩目で踏み切るか把握するもの。俺は二十一歩目、左足で踏み切る。


「…………っ!」跳躍開始。二十一歩目、左足。踏切板ジャスト!


 ホップ。踏切板を踏んだ反発力でジャンプ。すぐに左足を前へ出す。


 ステップ。ホップの衝撃! なんとか耐える。再度左足で踏み切る。少しでも前へ。


 そして。


「……いっけえええええええええ!」


 ジャンプ。右足でゴムを蹴る。その勢いで膝蹴りをするようにして左足を出す。


 砂場まであと少し! もう少し……。一瞬、流れ星がきらりと。


 宙を舞う感覚。救えなかった仲間たちのもとへ――。


 すぐに脱力。そして両足を目一杯前へ!


 この思い。


 届いたかわからないけど。


 気づいたら砂場で大の字になっていた。


「……この感じ……やっぱ慣れねえ」


 太ももに水を含んだ砂がまとわりつく。胸を悪戯につつく冷たさだ。


「ふう……」


 亡き友人たちに捧ぐ天海島杯三段跳び決勝最後の跳躍。悔いはない。


 照明のせいで空は真っ暗。分厚い雲のもと、俺たちはまだこの島に囚われている。これ以上、何を望むというのか?


 雨がぽつりぽつり。こんなに長く寝そべっていたらマネさんのトンボを食らうだろう。おお神よ我にスポドリを。さすれば汚い部長のウェアを授けん…………って。


「………………あ、そっか」


 マネさん……いないんだっけ。


 いや違う。俺が……俺が……守れな――。


「もう、誰も連れて行かないでください」


 天空の主に向かって、最後のささやかなお願いをした。雨脚がちょっと強くなった気がするけど、耳を傾けていると信じて。

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