第7話 なんでもかんでも渡来人

 古代史を論ずる中で、渡来人についての考証は大きな比重を占めています。渡来人系豪族の蘇我氏、和仁氏、秦氏等々多くの人にその重要性が指摘されます。

 しかし、視点を変えて、渡来人系でない古代豪族はどれか、と質問したら、はたと口が閉ざされるのではないでしょうか。物部氏でさえ、渡来人系であるという論があり、それを真っ向から否定した人はいません。極論を言うと、自分が評価する存在は、皆渡来人系にしている感があります。

 まあ、平安時代初期だったか、奈良時代にまとめられた貴族の家系に関する官製本ですら、1 /3が渡来人系なのですから。更に、それも、新しい時代であり、さらに遡れば、さらに増えると言われるものです。まあ、次々に大陸から色々な民族が渡って来ているのですし、弥生人は大陸から来た人々ですから、渡来人系ばかりになっても当然であると同時に、誰が渡来人系だと論じることは意味がないのではないでしょうか。

 また、「渡来人が伝えた技術」ということで、現在の技術援助と同一視して、「朝鮮半島に感謝しないといけない」「朝鮮半島に感謝しろ」式の考えが生まれてしまいました。Aという村にB氏とC氏がいて、B氏一族が日本に渡っても子孫が繁栄した後の時代的にCの子孫が、

「我々を本家として敬え」

と言っているのと同様です。しかも、朝鮮三国史ですら、「新羅には三王家があったが、そのうち二家は追われて日本に移り住んだ」という記述があります。百済、高句麗からの遺民も、新羅を恨んでいたでしょう。

 ことさらそれを言い立てることは不毛ですが、古代朝鮮語で地名や歌を解釈するのと同様に、渡来人系をことさら言い立てるのも不毛だと思います。言葉をおもんじた日本に古事記等が早く成立したので古代日本語がかなり明らかになっていますが、それとは事情の異なり、古代朝鮮語は不明であり、古代朝鮮語とされるのは、現在の韓国各地の方言の語呂合わせに過ぎません。

 また、数百年、千年たってのも、

「渡来人系だから」

革新的だった式の主張、最近は少なくなりましたが、根強く残っています。その胡散臭は、中世日本の流浪民を渡来人系としながら、それとの関わりが強いと度々指摘される有名人が、渡来人系の子孫とされないことです。え、誰か?って。それは、太閤様、豊臣秀吉です。韓国等から文句を言われそうだから、渡来人系だと言わない。そんな渡来人系の論説はもう終わりにしてもいいのではないでしょうか。

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