第6話 太子の謎と軽皇子

 邪馬台国問題と離れてしまうかが、古事記では、皇太子、太子は3人しか登場しません。日本書紀では、必ず天皇(大王)は即位すると、皇后をたて、皇太子を定めていますが。それに反して、古事記では、天皇が生前に皇太子を定めているのは、3例しかないありません。応神天皇、宇治の若郎そして、木梨軽の皇子である。この内2人は皇位についていません。唯一就いた、応神天皇の場合、父仲哀天皇の急死後、母の神功皇后は出産を遅らせて、三韓征伐を行った後に、誕生したという異常な経緯での人です。誰が皇太子に任命したのか?しかし、彼は太子、皇太子とされ、その後即位しています。。

 宇治の若郎子の場合、どうしても弟が皇位を継ぐのに納得できず、父応神天皇亡き後に、反乱を起こした兄を返り討ちにし、後の仁徳天皇である次兄と献上物を譲り合っているとしか思えないのに、即位していないことになっています。父から、天皇の位を継がせると指名されているにもかかわらずにです。日本書紀には、理由らしきことが記されているが、古事記以上に不可思議である。

 木梨軽皇子は、美しい同母妹との近親相姦による失脚、そして、追放先でその妹、軽大郎女との自害である。

 故松本清張氏は、

「神話である。」

「軽はカラにつながる。」

と意味不明な解説をしていましたが、実際、彼についての記載を削除している研究者も多い。しかし、

・江戸時代に到るまで、神武天皇以降は人の歴史であり、神話ではないと考えていた。つまり、世界各地に神話、昔話の類いで、近親相姦物語は数多くあるが、人の歴史でと記してあるものはないのである、この物語以外に。しかも、支配者の公的な歴史に記されてあるのである。

・しかも、木梨軽皇子は神罰で死ぬのではない。愛する妹さえいれば、何もいらないと歌って、自害しているのである。愛の賛歌である非恋物語なのである。このような物語は、世界の何処を捜してもないのではないか。

・古事記下巻の中では、短い話ではないだけでなく、古事記全巻の歌の1割以上がこの物語にある、一大歌物語なのである。つまり、古事記の中での比重がかなり大きいのである。

・彼は、現在実在を疑う者が誰もいない仁徳天皇の孫なのです。

 世界史的にも、稀な物語なのなのです。それが、僅かに太子とされる3人の物語の一つなのです。

 しかも、このような経緯の皇子の名は、使用するのが不吉とされてしかるべきなのに、その後、何人も軽皇子が生まれている。これはどういうことなのでしょうか。

 ところで、まさに木梨の軽皇子の物語は、現在の妹物の元祖だと、思ってしまうのは、不敬過ぎるでしょうか。

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