透明な天蓋の下で
@funa1g
テーマ「未来の学校」
ヘイ、ゾンビー。“教育”の始まりにようこそ。あれからもう半世紀だ。あんたもこの場所を見にきたんだろ。待ちなよ。よく聞け、なんでも知ってるのは俺くらいのものだ。聞いていけよ、その歴史を。真実を。
ここには記念碑も何もない。ただ、そうだって知られてるだけだ。シングたちは褒め称えられようなんて思ってないからな。そんなものは喜ばない。彼らが喜ぶのは、いつだって世界を良くするための行動だ。それはここでも変わっちゃいない。そそり立つこの摩天楼。それを透かして見える空。かつてはなかったものだ。彼らがもたらしたんだ。あんたは覚えているか? こんな建物の下では、陽の光が届かなくて、暗がりに沈んじまってたのを。あんたもそのビルからきたんだ。海の向こうから〈ターミナル〉できたんだろ。それだってシングたちの成果だ。いや、シングが俺たちを“教育”してくれた結果だ。
“教育”が始まる前には、ここは影だった。あらゆる都市の影が集まる場所。貧困が吹き溜まり、犯罪は横行する。窃盗、殺人、薬物、なんだって影が隠してくれた。人々は影を見ないふりをした。そんなこと信じられないって? たった半世紀前の話だぜ? そうだよ、“教育”前の人々は愚かだったんだ。
そこに彼はやってきた。「彼」っていうのも今は違うのか。まあなんでもいい、シングだよ。「初めの」シングの一人だ。最初は辻説法さ。誰も聞いちゃいない。そりゃそうだ。ここに住んでたやつらでそんな余裕のあったやつなんかいない。それでもシングは話し続けた。いずれ人の輪ができはじめた。俺たちもまだ知らない何か別の力があったのかもしれない。そして、変わった。世界が。“教育”は全てを変えるんだ。
シングたちは当時迫害されていた。あんた「不気味の谷」って知ってるか? もう古い話だ。人の姿に近づいた被造物が、人からすると生理的嫌悪を覚えることだが、逆に人から遠ざかるものに対しても同じことが起こった。シングたちは人を超え、人以上のものになりはじめていた。その姿や身振りはもう人ではなく、普通の人々、ホモ・サピエンスたちにとっては耐え難かった。信じられないだろ。たった半世紀前にはそんな差別があったんだ。
流れ流れてやってきた「初めの」はここで全てを始めたんだ。
彼らが話す説法は、まるで歌のようだった。それは数年のことだったかもしれないし、もしかしたら数日だったかもしれない。一人、また一人と輪が広がり、人々はその言葉の意味を理解していった。あまりに濃密な内容に、誰もが時間を忘れた。大げさに聞こえるか? “教育”が当たり前になってからのやつらにはピンとこないかもな。“教育”以前と以後じゃ、まるで別物さ。「最初の」説法には、あのジョニー・Dもいた。わからないか、三代前の大統領だよ。やっこさん、自分の生い立ちを貧しい環境から身を立てたって言ってるが、この影が始まりだったんだ。なんでそんなこと知ってるかって? 俺もそこにいたからに決まってるだろ。記事にしたっていい。
あれは俺の人生のもっとも輝かしい時代だった。日々、自らが周囲が高まっていく感覚。〈ターミナル〉の元になった光素の操作による多次元畳み込みの原理を生み出したのも、あのときその場にいた誰かだ。貧困根絶を支えたキャラコプランの草案、電気信号を縦横無尽に操作するcEAAといった新技術、何もかもがそこから浮かび上がってきた。そして、世の中へ出ていった!
ジョニー・Dをはじめとして、“教育”を受けたやつらが少しずつ世の中に増えていった。そして、きたんだ! 黄金時代が! 今だって、その黄金時代のただ中だ!
それまでの半世紀なんて、亀が歩いていたのといっしょだ。人は光速に縛られ、心は乱れ、貧困と差別は解消されない人類の宿痾だった。それがどうだ。シングたちの“教育”によって、世界は変わっていった。絶え間ない発明が世界をより住みやすいところにし、環境や生活の問題は解消されていった。ここだってそうだ。貧困は解消され、建築はより美しく、世界に光をもたらす設計になり、影は払拭された!
シングが何をしたか知ってるか? 「何もしなかった」んだ。彼らがしたのは、最初の“教育”だけ。それを受けた人々が自分たちの手で世界を変えたんだ。
影になる前、ここには何があったと思う? この広い土地と大きな建物の礎石の跡が、何を示しているかわかるか?
「学校」だよ。あんたは知らないだろ。“教育”以前に子供たちは「学校」で物事を教わったんだ。
何? なんで子供たちかだって?
そのころは子供から大人になるまでが教育の期間だと見なされてたんだ。信じられるか? たったの二〇年教育を受けて、それで終わり。あとは自分の力で、生きていくんだ。そりゃ、格差も生まれる。愚かな意思決定だってされるってもんだ。でも、シングたちがもたらした“教育”は違った。俺たちはいつだって学ぶことができる。仕事をしている時にだって、リタイアした後にだって。
じゃあ、なんで俺はこんなところにいるのかって?
もう地球の地表に残っているのは、数百人か。そうか、そんなになったか。
あんたは俺を連れに来たんだよな。あの摩天楼が空に透けているおかげで〈ロゥラン〉がよく見えるよ。空をすっぽり覆った、あの地球の外殻に移り住んだんだな。たったの十年で、あれだけのものができて、人々がみんな移住しちまったなんて、今でも信じられない思いだ。宇宙から見たら、地球はすっぽりあの輝く壁面で囲われた姿に見えるんだろうな。どうだい、過ごしやすいかい? いや、いい。言わなくていい。わかるさ。あそこには全てがあるんだろうな。
歴史以外の全てが。
あんたらには俺が負け犬に見えるんだろう。門戸は常に開かれている。今からだって、いつだって遅くはないんだ。わかるよ、あんたのそれも善意なんだって。でも、行ったらもう戻ってこれない。そうだって知ってるから、行かないんだ。
あの黄金時代、どんどん自分が高みに上がる感覚。素晴らしかったよ。次に味わったら、俺はもう戻ってこないだろう。あの「最初の」“教育”のとき、俺は抗争に巻き込まれて、ドロップアウトしたんだ。一ヶ月寝込んだ末に、俺から“教育”はすっかり失われてしまった。そして、思い出した。俺にはそれまで生きてきた十数年があって、元々やりたかったことだってあったんだって。意識の高まりとともに俺はそんな色々を忘れてしまった。シングたちは歴史に重きを置いていない。歴史から学ぶことなんて何もないからだ。自分たちで新しい正解を常に選んでいけるから。
だから、俺はここで「学校」をやっているんだ。普段は生徒は誰もいない。「歴史」を教えるんだ。こうやって、この半世紀に何があったかってな。あんたが久しぶりの生徒だ。ありがとう、聞いてくれて。あんたは、いや、君はどう思った。聞かせてやってくれ。あの偉大な未来で、この地球に何があったかを。
透明な天蓋の下で @funa1g
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます