第8話 純白の少女との邂逅は、漆黒の中で

   純白の少女との邂逅は、漆黒の中で


「今晩はパーティーなんだよね……」屋敷の主、マラコーダからプレゼントされたドレスを前にして、ユノは小さくため息をつく。まだ箱からとりだして、ベッドに広げただけで、手にとる気にもなれなかった。

「ユノはあまり乗り気じゃない?」

「パーティーなんか、出たことないもの。ダンスもできないし……」

 一緒の部屋にいるルミナは、すでにそのドレスを体に当てて、パーティーというのをちょっと楽しみにしていた。

「まさか、子供の私たちにダンスを申し込んでくる人もいないでしょ」

「このドレスも、何だか体の線が出て嫌だな……」

 確かにそれは、ハリウッド女優がレッドカーペットを歩くときのように、露出も多くてスパンコールなどもあしらわれた、煌びやかな一品といえる。ユノはチューブトップの、背中が大きく開いた白いドレスであり、ルミナは大胆に肩をみせた、腰の辺りにまで入ったスリットが、脚を強調する形となっており、まるで測ったように二人の体にぴったりで、ボディーラインを隠しようもない。

 ただ、ユノは駄々をこねているようにしか見えず、それはやっと得られた安寧とのバーターとして、義務を果たさねば……と考えるルミナとは違っていた。

「一般市民というセレブな人たちにとって、パーティーをするのが一般的なら、それに従いましょう。これから私たちも、そういう生活に慣れないと……」

「私たち、ここで暮らしていかないといけないの?」

 ユノの呟きに、慌てたのはルミナだ。

「何を言っているの? あんな化け物たちがいる、放射線が飛び交う外の世界で暮らしたいの? それとも権利もはく奪された、作業員の階層に行きたいの? ここならまともな食事もできる。お風呂にも入れる。きれいな洋服も着られる。一先ず、ここの暮らしなら、私たちだって過不足ないはずでしょ。それとも、カイムさんたちと根無し草みたいな生活をしたいの?」

「あの人は嫌! でも、何かおかしくない? 海の道って何? そこから来たら、無条件にこうした暮らしに甘んじていられるの?」

 ユノはあまり自分をださない子……ルミナはそう認識していた。若干潔癖なところがあって、エッチなことが嫌い……という面はあるけれど、何かを決めるときにも自分の意見を言わず、主張もせず、周りの決めたことに従うようなところがあった。ただ、今は何か不自然なこと、もやもやした、漠然とした不安のようなものを感じているのかもしれない。

「今はまだ、私たちに何かを判断することができるほど、この世界の常識が分かっていない。流れに身を任すしか……」

 ルミナもそう説得するのが精いっぱいだった。


 タンクに飛びこんだカイムは、ゆっくりとした水の流れに身を委ね、下流へと流されていく。七、八階層には上級貴族が暮らしているけれど、そこから直接、第九階層に下りることはできなかった。迂回路でもあるのかと、しばらく探ったけれど、そうしたものも確認できない。ただ一ヶ所、水路だけは第九階層につながっていることを知って、かつて一度ここに潜ったこともある。そのときは袋をかぶって行けるところまで行ってみたけれど、途中で断念した。かなりの距離があり、とてもではないが、袋に入っている酸素ぐらいでは足りないと判断したからだ。

 小さな缶を手にしているのは、そこに空気を入れて、途中で酸素を補充しようとしているから。ただこれが浮袋になって水面近くにいるけれど、内部にはほとんど空気がない。息継ぎはできないのだ。

 恐らくここには、水を循環するシステムがある。二つのタンクがあって、両方がつながっていると水面が釣り合う、サイフォン効果をつかって流れをつくっているのだろう。その一方の水をこぼせば、水面が同じになるようにバランスがとれるので、流れができる。動力をつかわずに地下深くまで水を送りこめるのだから、それをしないはずもなかった。

 以前、水路については頭に叩きこんである。どうすれば第九階層にたどりつけるのか、それを考え、複雑な水路をすすんでいく。

 やがて、この水路に飛びこんだのと同じような、バルブのついた扉が見えてきた。そこで一旦、缶を開けて息継ぎをすると、バルブを開く。ガラスの向こう側に水が溜まってくるのが見える。それがいっぱいになれば、圧力が同じになって開けられる。その小さな部屋に入ってドアを閉め、排水用のバルブを開けると、そこから水が抜けていき、やがて外へと通じるドアが開けられる状態となった。

 これは恐らく、水路の清掃、または点検をするために備えられたシステムだ。そして恐らくその当時は、この第九階層まで来ることを想定していたのだろう。だから地下深くのここに、出口を設けていたのだ。

 重い扉を開くと、そこは真っ暗闇だった。時おりチカチカ、小さな色とりどりのLEDライトが点灯する。暗くても感じる圧迫感は、そこに何らかの構造物が並んでいることを示していた。

「やっぱり……」

 カイムも小さな声でつぶやく。想像していた通り、これだけの水を必要とするシステム、それは統合制御機関――。巨大なサーバーセンターであり、暗くて全体は見えないけれど、巨大なサーバーがいくつも並ぶ、広大な空間がそこにあるのだろう。部屋全体が仄かに暖かいけれど、それを水冷で運用している。だからこれほどの水をつかっている。

 これが〝王〟の正体――。中には量子コンピュータもあり、高速での計算も可能とする。恐らく、それを補完するスーパーコンピュータもふくめて、ここは王都のあらゆる決定を下すところなのだ。ただ、そう考えると不自然なこともあった。そうだとしても、ここをクローズする必要はないからだ。誰も行き来できなくすれば、不都合なこともあろう。

 そしてもう一つ、ここにはアンドロイドがいる。すでにアンドロイドが工場で働いて、自分たちの仲間を生みだしている。つまり永久機関として、機械が世界を回していくことができるのだ。

 未来の世界が機械によって支配され……といった作品も多いけれど、そこに人間は不要だ。もしここが、この巨大なサーバーセンターによるAIで、すべてを判断しているのなら、この街に人は暮らしていないはずなのだ。

 人間を発電装置に……、なんて作品もあったけれど、ここではアンドロイドの仕組みのところで説明したように、クエン酸回路を独自にもって、発電しながらアンドロイドは動く。生きた人間を発電装置にするような非効率を、あえて判断するとも思えなかった。

 そのとき、ぶるっと体が震える。部屋の中は暖かくとも、雪解け水で冷えた体を拭かないと、風邪をひきそうだ。パンツ一丁ということもあり、何か布のようなものを探して、辺りを見回す。

 真っ暗なので、火のスキルをつかって指先に灯し、その明かりを頼りにすすむ。すると、背後からいきなり声をかけられた。

「人……久しぶり」

 慌ててふり返ると、そこには人のような姿が浮かぶ。ただ、それが人でないことは一目瞭然だった。何しろ、まるで光がとどかない世界で生きる、白アリのように全身が真っ白な少女だったからだ。


 アンドロイドの、純白の少女――。カメラとなった眼球のところだけが、奥行きがあるので少し暗く見えるけれど、全身が真っ白だ。ただし、髪の毛はそれに似せた造形であり、よく見るとヘルメットのようにも見える。顔も表情筋を動かすようにはできておらず、全裸ではあるけれど、胸の辺りがやや膨らんではいるけれど、まるで着せ替え人形のそれだ。また関節部もモーター駆動で、剥きだしのまま。つまり、アンドロイドとしてはかなり初期型、音声出力もデジタルの合成音を口にあるスピーカから流すだけで、口が動くことはない。

「私は、ムルムル……」

 恐らく、人と出逢ったときの定型文として、自己紹介するようプログラミングされているのだろう。マン―マシンインターフェイスをもつことからも、ここが最初からクローズする計画でなかったと推測させた。

「ここの管理者?」

「その言葉は正しくない。私はメンテナンス担当。管理はしない」

 なるほど、いくらここが完結したシステムだとしても、故障することはある。定期的に交換する必要もあるだろう。そのとき、彼女が稼働して作業をする。そのために存在するのだ。

「でも、部品はどうするんだい?」

「ここでつくる。3Dプリンター、微細加工用の機械、設備は整っている。素材は古いものを再生する」

「ムルムル、といったか。君が壊れたらどうするの? メンテナンス用の機器もそうだけど、それが壊れたら終わりでは?」

「私たちにはバックアップがある。一度に複数が壊れない限り、問題ない」

 ムルムルが現れた方を照らすと、充電器に接続されたムルムルが複数台、壁に立てかけられるように設置されていた。

 なるほど、人が立ち入れないようにしていても、永久機関として回っていけるように最初から設計されているのだ。恐らくそれを達成できるように、素材をふくめてストックもされているはずだ。

「クローズしても動く、まさに永久機関……」

「いいえ。莫大な電力、冷却材としての水、ここはそうしたものの供給をうけないと動きません。逆に、それさえ受けていれば動き続けることができます。そういう宿命があるのです」

 ムルムルのように、明らかにアンドロイドの容姿をもつ彼女から「宿命」なんて言われると、少し戸惑ってしまう。しかし彼女はその自覚をもって、ここで永久機関の一部として動いているのだ。

「でも、やっぱりここを閉ざす意味が分からない。人が行き来できるようにしておいても、何の不都合もないはずだ」

「知りません。でも、不都合も感じません」

 彼女は閉じこめられた側であり、その意図を伝えられているとは思えない。しかし彼女が初期型のアンドロイドであるように、ここが稼働してすぐ、人の往来を禁じるために閉じたはずだ。

「王とされるこのシステムと、やりとりできるのかい?」

「ここにサーバーから出力する機能はない。モニタはあるけれど、エラーコードのみで、それが表示されると、私たちが修復する」

「王の考えること、出力をうけとっているのは、聖十二貴族か……」

 カイムも首を傾げるけれど、この世界で物事を決定しているのは、聖十二貴族しかいない。どうして彼らだけが聖別され、世襲によってその権利を代々約束されているのか? それも王からの指示をうける特権をもつのなら、説明もつく。ただ、本当にそれだけが権力の源泉かは、カイムにも判断はつかなかった。

 ただ一つ、はっきりと分かったことは、ここに来ても何も分からない、ということだ。ここには王と対話するシステムがないので、何もすることがない。第九階層の状況を知った、というだけだ。確かに、誰もここに来る必要もないけれど、であるからこそ逆に、閉ざした理由も不明な部分が強まった。ただ、その答えはここでは得られそうもない。

 あまり実りは多くなかった……。ただ、目の前にいるムルムルと会えたことは、唯一のよかった点だ。

「ムルムルはここにいるのが辛くないか?」

「辛い? その感情は分からない。大変か、ということなら、大変ではない。これが私たちの役割。私たちはシステムの一部」

 彼女はまだ感情というシステムを反映できていないころの、アンドロイドだ。まだニューロンフィルムも多層、多元化しておらず、複雑な人の感情を表現することは不可能だ。今のアンドロイドは、感覚器官にそれぞれ多層のニューロンフィルムを備えており、その一つ一つで判断されたものを、統合機関としての多層ニューロンフィルムに送り、行動であったり、反応であったりを決める。これが多層多元回路として人の能を模擬し、最新のアンドロイドは人とより近くなった。

 グラシャやオリアス、それにキメリエスなどがまるで人として振る舞えるのも、この多層多元化されたシステムの効果だ。ムルムルのような初期型だと、感覚器官すらほとんど入力されておらず、恐らく相手の反応にも定型的に回答するだけの、簡単なシステムであるはずだ。

 ここではこれ以上の情報が得られないので、もどることにした。ふたたびタンクの小部屋のドアの前に来て、ムルムルに向けて手をふると、彼女は少し戸惑ったようにする。マン―マシンインターフェイスはもつものの、もうだいぶコミュケーション手段については消失しているのかもしれない。

「お別れ、という意味だよ。君も同じように手を振ってくれればいい」

 ムルムルは表情筋がないので分かりにくいけれど、戸惑ったように手を振った。カイムが指先に灯していた火を消すと、ふたたびそこはLEDの小さな光が点滅するだけの、漆黒の世界にもどってしまう。もう二度と彼女と会うことはないだろう、そんな彼女のことを思いながらドアを閉め、バルブを開けると、そこに水が入ってきて充たされていく。

 実は、もどりの方が大変だ。来るときは流れに従ってくるので泳ぐ必要もなかったが、今度は流れに逆らって遡上しないといけない。

 カイムは流れに身を躍らせると、まったく泳げないことに気づく。水は1m四方の体積があると、重さが1tもあるのだ。例えゆっくりとした流れでも、それだけの重さを逆らって進むのは困難だった

 カイムは腰に巻いたベルトからナイフを抜くと、躊躇いもなくそれで喉を刺し貫いた。すると、彼の体はそこから消え、代わって大きな魚が現れると、勢いよく流れに逆らって上っていった。


 タンクの前でうろうろしているのは、グラシャだ。碧くて長い髪をもち、絶世の美女でもあるのだが、憂いをふくんだ表情を浮かべ、落ち着かない様子でいるのは、これはこれで中々にみられる光景でもあった。

 こうして複雑な表情ができるのも、彼女がかなり進化したアンドロイドであり、表情筋までふくめてデザインされているからだ。

 点検口の扉がひらく音がして、グラシャも慌てて駆け寄ると、そこから全身がずぶ濡れで、荒い息遣いのカイムがでてきた。

 グラシャは声をかける間もなく、体当たりするようにカイムに抱きつき、その首にぶら下がるようにした。

「おいおい、濡れるぞ……」

「いいんです。よかった……。本当によかった……」

 グラシャは不安だったのだろう。まるでそのぬくもりを感じようとでもするかのように、中々離れない。

 でも、カイムもへとへとで、思わずそこに座りこんでしまう。グラシャも一緒にすわりこむ。しばらく二人とも無言のまま、そこで抱き合ってすわった。

 しばらくして落ち着いてから、壁にもたれかかりながら、グラシャに第九階層でみたことを説明する。

「やっぱり、カイム様が推測した通りでしたね」

「もう少し人の気配がするかとも思ったけれど、皆無だったのは予想外だった」

「……ギャグですか?」

「そんな冷たい目で見るな。カイムがいるけど皆無……というちょっとしたおふざけだよ」

 そう言いながら、グラシャの表情が豊富なことに、少しホッとしていた。ムルムルのように無表情でいられると、どうしても不安になるものだ。

 そして安心すると同時に、カイムはそのまま疲労もあって、崩れるように眠りこんでしまう。グラシャはそんなカイムの頭を抱えると、自分の太ももの上に乗せた。優しく、愛おしそうにその頭を撫でながら、グラシャも小さな声で「お疲れ様でした」と呟くのだった。

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