第5話 愛好家は心が通じ合うも、少女は冷める
愛好家は心が通じ合うも、少女は冷める
マルバスはそこに転がった上半身と、下半身がきれいに切り離されている死体を見下ろし、何の感情ももたず、すぐに掃除のことを考えていた。何しろ胴を真っ二つにしたため、血ばかりでなく内臓に溜まっていた未消化の食べ物、汚物までまき散らしているのだから。
白騎士、マルバスのもつスキルは、剣によって境界となっている部分をなで切りにするものだ。先にグラシャに襲い掛かった兵士の腕を斬ったときも、腕まくりしていた剣をもつ腕の、光が当たっている部分と、服に隠れている部分との境界を斬ってみせた。水に入っていた兵士は、そうでない部分とに斬り分けた。今はズボンを穿いている部分と、上半身を分けた。それはやや離れた位置からでも斬ることができ、どこか一ヶ所でも不連続であったり、ガタガタだったりすると発動しないのが弱点だが、剣を一閃するだけで、発動する。境界を斬り分ける能力だ。
彼はこれを〝境界の断裁〟と呼んでおり、ステイタス画面にある〝斬り分け〟とは呼ばない。
「さて……。私のスキルを知られたからには、レライエたちも殺すか……。私はフェミニストだが、恙なき我が身の安全があってこそ。たとえそれが女性であったとしても、必要とあらば殺すのみ……」
彼のスキルであれば、鎧を着ている騎士の方がやり易い。レライエとロノウェの二人を相手にするのは厄介だが、即座に発動できる彼の能力の方が上――。まだ殺されると思っていない二人を、瞬殺すればいい――。ドアを開けて部屋にもどろうとした刹那、背後からこれまで感じたことのないような威圧を感じて、ふたたび通路の方にふり返った。
そこには狭い通路を埋めるほどの、巨大な漆黒の鴉がおり、マルバスをその丸くて真っ黒な瞳で、じっと見下ろしている。
この世界では生物が突然変異を起こしており、どんな生物がいても可笑しくない。ただ地下にもぐった人々にとって、動物との接触はそれだけで脅威であった。自分の知らないもの、未知への恐怖がマルバスを襲い、慌てて剣を引き抜いてみたものの、どうすることもできない。
何しろ境界の断裁を仕掛けようにも、相手は黒一色で境界線がない。スキルに頼りすぎて、剣技の鍛錬を怠ってきたことで、この剣では巨大な鴉を仕留めることなど、到底できるはずもなかった。
「う、う~ん……」
自分の理解を超えた事象をうけとめきれず、マルバスは泡を吹いて、白目を剥いてひっくり返ってしまった。
巨大なカラスは二、三回マルバスを突いた後、その姿が消えた。
「痛いなぁ……」そこには胴体を真っ二つにされたはずのカイムがいた。まるで手品ででもあったかのように、傷跡もなく、血の跡すら消えてそこに立っている。何らかの彼のスキルのようだが、その内容はよく分からない。
カイムは泡を吹いて気絶しているマルバスを尻目に、ふたたび部屋に入った。そこにいたレライエとロノウェは、入ってきたのがカイムだったので、むしろ驚いたように見つめる。
ただロノウェはさっと剣をとりだし、自分の指に当てようとする。彼のスキルは自分の肉体を切り離すと、空間を超えて転移させられるものだ。指を切り離せば、それを相手の心臓に送りこむことで、殺すことができる。
カイムは「外で白騎士が倒れているが、まぁ、今は待て。こっちの話を聞くのも有意義だぜ」
「マルバス……様を倒した……だと?」ロノウェも絶句する。
「スキルを知っているんだ。その最大の武器を、逆手にとっただけさ」
このスキルに対する探究心、対応力、そうしたものを評価されて、今回の事件にもカイムは巻きこまれた。彼ならばもしくは……こういうことで、そうした疑念を浮かばせただけで十分だ。
「だから『真実は時に知らない方がいい』と言っておいただろ? オマエたちにはそれを利用したり、攻略したりする能はない。むしろ真実を知ったことで、今後もマルバスから命を狙われるだろう。相手のスキルを知る、とはそういうことだ。それが嫌なら、相手を殺すか、支配するしかない。だからこの世界は厄介なんだ」
「…………」レライエも沈黙する。
「そもそも、なんでこのタイミングでハゲンティがやって来た? しかも、歩兵連隊まで率いてきたのは、まるで部隊一つをつぶしに来たみたいじゃないか。だから、オマエたちは焦った。マルバスを攻略しないと、自分たちの立場が危うい……、その身が危ない……と」
二人とも図星をつかれたのか、言葉もない。ただ、レライエは愕然とするのが表情からでもよく分かるが、マスクを被ったロノウェは何を考えているか、分からない。
「風紀の乱れを問題視されているから、むしろそれを見せつけ、マルバスにスキルを使わせ、あわよくば攻略、最低でも脅迫、できるなら殺害しようと考えた。だから、兵士たちに無法をさせたんだ。いくら風紀が乱れているといっても、人間牧場にいる村人を兵士が傷つければ、大問題だ。それを承知でさせた。そしてオレにそのスキルを解明させようとした」
レライエも唇を噛む。それが事実だと、その表情が告げていた。
ロノウェは、静かに自分の指を切り離した。ここまで知られたからには、この男を消そう……。ただ、それだけだった。
ただその瞬間、カイムはまるで虫でも払うかのように手を大きく振ると、そこに血まみれの三本の指が転がった。
「バ、バカな……」
ロノウェも、自らのスキルをいとも簡単にあしらわれて驚愕するけれど、その顔は緑色のマスクで覆われ、うかがい知ることもできない。
「言っただろ。スキルを知っていれば対応が可能だ。オマエのスキルなんて、とっくに解明している」
ロノウェに向き直っていった。
「切り離された肉体が、空間を超えて出現する……といったところで、座標指定ではなく、部位を指定することで、その近傍に送りこむので精一杯のはずだ。そこまで分かったら、後は簡単だ」
「もしかして……キサマもアグリティか! 何をした⁈」
「どこかの漫画やアニメでもあるまいし、わざわざ自分の能力を、自分から説明してどうする? そんな居丈高で、したり顔をしたチートな主人公像、オレのキャラにはそぐわないし……。オマエのスキルを拒絶しなかったり、怯えて見せたり、ずっと演技してきたのさ。それも、いざというときに備えてのこと。いい加減、オマエのドヤ顔……かどうかは知らないが、高圧的な態度にうんざりしていたところだ」
ロノウェはただ呆然としているのか、言葉も返さない。ただふり返って、レライエに向かって言った。
「レ、レライエお嬢様! 奴を殺して下さい!」
そう声をかけられ、呆けていたレライエもハッと気づき、剣を構える。だが、そんな彼女のことをあしらうよう、カイムは手を振った。
「止めておけって。シメオン家の者がもつスキルは知っているけれど、オレには通用しないよ。アンタのことは気に入っていたんだ、貴族にしては話が分かるって。失望させないでくれ」
失望する……といわれると、人はその行為をしにくくなるものだ。これはホーソン効果と呼ばれ、期待を裏切りたくない、と思わせるものだ。
「ア、アナタはどうするつもりかしら?」レライエはそう尋ねてくる。
「貴族のゴタゴタなんて興味もない。勝手にやってくれ。ただ、こっちも少々まずいことになっているから、解決策を一つ、提示してやる」
カイムはそういうと、不思議そうにするレライエとロノウェに向けて、口の端をニヤッと怪しく歪めてみせた。
そこは、恐らくこの軍が常駐する場ところでも、もっともよい部屋であり、そこにカイムがやってくる。ノックもせずにいきなりドアを開け放つと、づかづかと部屋へ踏み入った。
「相変わらずデリカシーがない奴だ」
部屋の中にいた人物は、くることが分かっていたかのように、そう声をかける。車椅子に乗り、女性に押されてでてきたのは、閣下と呼ばれていた男だ。
「そっちも相変わらず、テカリシーがすごいな。いよいよ、名は体を表して来たな、ハゲンティ」
「剥げているわけじゃない。毛根の元気が少々ないだけだ」
「元気だすどころか、もうお亡くなりになっているから。皮膚の下で安らかに永眠なされているから、毛根」
「毛根に丁寧語をつかうな! いずれお前も同じようになるんだぞ。私よりハゲろ、ハゲ散らかしてしまえ!」
「そうなったら毛は剃っているよ。やぁ、オリアス、久しぶり」
カイムは車椅子を押している、金髪の女性に声をかけた。整った顔立ちには表情も乏しく、小さく頭を下げて応じただけだ
「オリアスの美しい声音は、自分以外には聞かせないって? 相変わらず、その徹底ぶりが気持ち悪い」
「何を言う。それが愛好家というものであろう。オリアスは私一人のもの。私一人が愛でて、彼女を独占して何が悪い」
そう、オリアスと名づけられた彼女は、グラシャと同じアンドロイドだ。
「SpL9801VM型は、稀代の名機として知られ、古今東西、これほどの躯体再現性をもった機種は、未だにないではないか。私はオリアスとともに生き、オリアスも私のために生きている」
「……はいはい。でも、こんなクソ爺に『名機』とか言われると、別のものを想像しそうだな……」
「本当に、目上の者を敬おうという気がない奴だ……。同じSpL9801VMの愛好家でなかったら、タダではおかないところだ」
「オレは所持しているわけでも、愛好家でもないよ。旧式の肩のパーツを欲しがる奴がいる、王都から偉いさんが来た、と聞いて、すぐにピンと来たよ」
「残念なことに、SpL9801VMはロット数が少なかったこともあって、専用のパーツが入手困難だ。一から作らせようかとも考えたが、あの味をだすことは出来ない。汎用のパーツでは、余計にがっかりするだろう……。そう思い至ったとき、お前のことを……否、お前の生死など正直どうでもよかったが、同じSpL9801VM型の彼女のことを思い出した」
「最新のパーツをエサにすれば、同意すると?」
「言葉は悪いが、彼女なら出力アップを喜ぶはず……だろう? だが、私はちがう。あの優しく、包みこむように私を抱き上げてくれる感触を失うことはどうしても耐え難かった。私には旧式の、あのパーツが必要だったんだよ
「オマエも擬似躯体……擬躯に乗り換えればいいだろう? そのためのアンドロイド技術じゃないか」
「脳幹を移植する技術はない。ニューロンフィルムに書き換えられた私は、今までの私なのかね? 私を模倣してはいても、私ではないだろう。ならば、老いさらばえるまで、オリアスとともに生きるまで」
「こんな街まで、視察と称してやってくるわ、その本音が大事なアンドロイドの肩のパーツを、こっそりと交換するためなんて、そんなアクティブな老人、全然老いさらばえていないだろ。むしろ老い、栄えているじゃないか。さらば……っているのは、髪だけだろ」
「オサラバしてないわ! それは別れの言葉じゃなく、ふたたび会うまでの約束って歌もあっただろ。また元気に会えるわ!」
「再会できるかどうかは知らないが、オマエがそんな自己都合でこの街にやって来たおかげで、色々なことが起こっているんだが……」
「どういうことだ?」
カイムはこれまでのこと、歩兵連隊隊長のマルバスと、騎兵隊長であるレライエとの一件をかいつまんで説明した。
「ふ~む……。私も、この街の兵士の素行が悪い、と耳にして、渡りに船とそれを利用したが、そんなことになっていたか……」
「決して褒められたレベルじゃないが、王都から兵を率いてやってくるほど、ここの治安は悪くなかったぞ。それが王都にも伝わったなんて、こっちが驚きだよ」
「裏がある……ということか」
「それを調べるのはオレじゃない。ただ、これを仕掛けた奴は、少なくとも王都から誰かを呼び寄せたかったことは間違いない。むしろアンタまでやって来たのは、想定外だったんじゃないか? その結果、色々と計算が狂った。それで、兵士にも犠牲がでている。誰かが動かないといけないレベルだろ?」
「それを私に?」
「視察した報告ぐらいはするんだろ? なら、アンタの仕事じゃないか。今、白騎士は白目を剥いて倒れ、レライエ騎兵隊隊長と、ロノウェ副隊長は自室で留まっているよ。後は、アンタたちで何とかしてくれ。髪はなくとも、ケツぐらいは自分で拭けるだろ」
「その髪と、紙をかけるな! 貴族の問題に、これ以上民間人を立ち入らせるわけにはいかんが……。しかしお前は、相変わらずトラブルに鼻が利くな。そのせいで方々を追いだされているだろうに」
「トラブルに鼻が利くなら、とっくにここからも逃げているよ……。むしろアンタと同じで、鼻を拭く髪もない」
「その髪でもないわ! それで、お前はこれからどうするつもりだ? この街に残っていると、具合も悪かろう」
「さて……。行先を考えるにしても、相談する相手もできたからな」
「なるほどな……。お前のようなデリカシーのない、変態男、悪評はすぐ風邪の便りにのる……か。簡単に死ぬなよ。彼女にもよろしく伝えてくれ。助かったと……」
「お前もな、クソ爺。じゃあ、オリアスも元気で」
そういって、手を挙げてカイムもでていった。
「この街をでていくことになった」カイムがそう告げると、グラシャは「すでに旅支度は整えてありますよ。ルミナさんも、ユノさんも一緒に行くそうです」
「お前たちがくる必要はないんだが……」
「ここは人間牧場なんですよね? だったら、私たちもここを出ていきます。展望が開けるまでは、一緒に行きます」
「なるほど……。なら王都に行こう。木を隠すなら森へ、人を隠すなら人ゴミへ」
「王都……。首都なんですか?」
「夢や希望をもっていると裏切られた、といって騒ぐから先に行っておくが、あそこはただの〝王がいる場所〟だ」
カイムはつづけて「それに、簡単に行ける場所じゃないぞ。何しろ、地下鉄はつかえないし、地上を歩いていくしかない。寒さと、化け物に襲われる旅路だ。オレとグラシャは慣れているが、足手まといになるなよ」
「また、そうやってすぐに悪ぶって……」
グラシャのツッコミで、その場は笑いに変わったけれど、ユノはそっと目を逸らすばかりで笑顔もなく、不安そうな表情を浮かべていた。
もう少し食糧を調達しよう、といってカイムとグラシャが出ていった後、二人きりになったルミナに、ユノから声をかけた。
「ねぇ、本当に行くの?」
「じょうがないじゃん。ここに残っても、助けてくれる人もいない。よく分からない世界で、まずは王都に行って、それから考えましょう」
「ルミナはいいの? あんな男と一緒にいて……」
「まだ胸を触られたことを気にしているの? もう忘れましょ。グラシャさんの言葉通り、あいつは童貞だから、女性を襲うようなことはしないって。まずは自分たちの生活を安定させないと……」
「スカートも覗かれたし……。性的玩具をもっているとか、私には信じられない」
ユノはぐっと唇を噛んだ。きっとユノにも、今はあの男に頼るしかない……ということは分かっているはずだ。でも、心が納得しない、赦せない。出会いがもう少しよかったら、ここまでこじれていないはずだった。
「ユノ……ごめんね。私のせいで、ユノをこんなところに連れてきちゃって……」
「いいの、でも……」
二人とも、ここにきて初めて泣いた。流転する自分たちの運命に、まだ翻弄されるのが悔しくて……。
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