RVRの世界

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RVRの世界

 鬱蒼うっそうと生い茂る草を掻き分けて、ゴーグルに表示されたマップ上の遺跡を目指す。本日の舞台は南国の密林でチームメンバーは4人。ある程度の間隔を空け、付かず離れず進む。この密林には敵がいるけど、物音を立てずには進めないから、全滅を避ける為に散開している。私は最右翼の担当だ。

 足場が悪い。体力がないから軽装が理想だけど、リーダーのアドバイス通りに普段のコンバットブーツではなく、ジャングルブーツに装備変更しておいて良かった。所々泥濘ぬかるんだ草藪くさやぶを進むのに防水性の高い靴でなければ泥水が染みて不快極まりない状態になるところだった。

 今日の目標は遺跡の地下にあるセーブポイントにメンバーの誰か一人が到達すること。遺跡まであと約100メートル。


 このまま遺跡まで行けるかもという油断のせいか、右前方の草叢くさむらからガサガサと音が聞こえて虎のような獣が飛び出してきた。銃撃したいけど至近距離すぎて間に合わない。諦めて銃を盾に防御の姿勢を取る。隣のメンバーが援護に入ろうとするが、二対一でも勝てそうにない。


「みんな、先に!」


 勝てない敵に遭遇したら一番近いメンバーが犠牲になり足止めをする。その間に他のメンバーは目標を目指す手筈だ。途中離脱でも目標達成に貢献できれば減点にはならない。

 獣は勢いよく私に飛びかかり、私を押し倒して爪と牙で攻撃する。一瞬で視界が暗転し、意識が断絶した。



 キンッと何度経験しても慣れない一瞬の耳鳴りと頭痛。

 荒い息と全身を伝う冷や汗を認識し、不快感が増す。手元のボタンを押して目の前の扉を開ける。ヘッドセットを外し、棺桶のような形の装置からドラキュラみたいに這い出る。

 『リアル・ヴァーチャル・リアリティ・システム』、通称『RVRシステム』は内部の人間に五感全てを兼ね備えた仮想現実を提供する装置。

 さっきはそのシステム内でサバイバル試験を行なっていた。痛覚は制御されていても大型肉食獣に襲われる恐怖は本物だ。室内モニターを立ち上げて戦況を確認しながらも一足先にシャワーを浴びる。シャワーが終わる頃には無事リーダーがセーブポイントまで辿り着いた。後はレポートを提出して試験終了。

 机に内蔵されたパソコン端末を起動。新着メールに祖母からの誕生日祝いのメールが届いていた。チャット機能で祖母を呼び出す。


「あら、ナオミ。メール見てくれた?17歳の誕生日おめでとう」

「うん。ありがとう」

「直接プレゼントを渡してあげたいんだけどねぇ。ダメらしいから、差し入れできるのからナオミが好きなクッキーを贈っておいたよ」

「まだ届いてないけど、おばあちゃんを思い出しながら食べるね」

「嬉しいねぇ。私が死ぬ前に一度でいいからナオミに会いたいけど、難しいのかねぇ」

「そんなこと言わないで、長生きしてね。私の家族はもうおばあちゃんしかいないんだから」

「そうだよねぇ。がんばるよ」


 その後は私が受けた授業の話とおばあちゃんの住む高齢者専用マンションの食事について一頻り《ひとしきり》愚痴を聞いた後、通話を切った。


「ふぅ……」


 通話を切ったら、無意識に一つため息が漏れた。

 両親の写真は手元にあるけど、記憶はない。唯一残った親類である祖母とも一度も直接会ったことはない。学校の授業もRVR上でしか受けたことはないし、友達にも先生にもこの部屋に食事や備品を届けてくれる人にも、RVRシステムの外で直接会ったことはない。

 物心ついた時から、私はこの『私の部屋』から出たことはないのだ。でもそれは、私が外の脅威から守られるべき貴重な『子ども』だから……



 西暦2020年、ある伝染病が世界を席巻せっけんし人々を襲った。ワクチンの開発は急ピッチで進められたけど、人類の医療技術とウィルスの進化のイタチごっこは長期化し、5年で世界人口は半減した。

 ワクチン開発を待つ間、人同士の接触を極力避けて過ごす世界規模の隔離措置が取られた。

 隔離措置以前から、同居する男女は妊娠中、出産時に十分な医療が受けられないし、産んだ子供を安心して育てられない為、家族計画を見送っていた。いわんや同居前の結婚・妊娠適齢期の未婚の男女をやである。男女が出会えなければ、子どもなど生まれるはずもない。


 結果、今生きている人は半減、新しく産まれてくる人も激減。


 人類存亡の危機である。


 この未曾有みぞうの危機を受け、人類は隔離政策の一環として貴重な未来の担い手である子ども達を保護し、安全・確実に成長させる為、集団で隔離することにした。

 それが今、私が2歳の時からいる『学校』であり、『私の部屋』は学生寮の一室だ。



 約束の時間になったから、RVR装置の中に再び横たわり、ヘッドセットを装着してシステムを起動。画面上で自習を選択し、RVRシステム内にログインした。

 一瞬で見慣れた学校の仮想現実世界に立っている感覚になる。廊下ですれ違う友達に挨拶しながら、図書館を目指す。

 図書館に入ると、目隠し用の縦板が付いた机が二組ずつ向かい合い並んでいる自習スペースに進む。

 最奥の窓際席に窓を開けて黒髪を風になびかせる彼がいた。さっきまでサバイバル試験でリーダーを務め、泥まみれで無事に目標達成した人と同一人物とは思えない涼やかさが少しズルいと思う。

 奥から二列目、彼の向かい側の席に腰を下ろす。座ると互いの姿は全く見えない。ただ衣擦きぬずれやキーボードを打つ音、本のページをめくる時のひそやかな音が感じ取れるだけ。


 『密会』はいつもこうして始まる。


「そうそう。誕生日プレゼント代わりに、いいことを教えてあげるよ」


 彼はページを捲りながら、唐突にそう切り出した。私は自習しているフリをする為に携帯型PCを立ち上げながら応える。


「本当の誕生日じゃないって知ってる癖に、なんの嫌味よ」

「青だってさ」

「何が青なの」

「君の虹彩の色を識別すると青になるそうだ」

「なんで分かったのよ。見たわけじゃ、ないんでしょ」

「見たのかもしれないよ。眠り姫の寝顔を」

「あなたが実際に見たなら伝聞調で話さないでしょう。寝てるなら瞳は見えないはずだし」

「バレたか」


 肩をすくめたような気配と共に淡々とページを捲りながら、彼は答えた。


「昨日やっと医療部のパーソナルデータを覗き見できてね。そこに書いてあった」

「自分のも、見たのよね」

「ああ」

「それで、どうだったの」

「僕は至って平凡な茶髪に茶色の目だったよ。君はここと同じ黒髪」

「はぐらかさないで。いつだったの」

「あと、約半年」


 私は思わずキーボードを打つ手を止めてしまった。


「半年、そんなに早く……」

「連中、意外と面倒臭がりだね。人工子宮から取り出された日をそのままRVR上での誕生日にしたらしい」

「そんな適当な」

「同じ方が管理しやすいからかな。だから今日が君の誕生日と言って良さそうだ。17歳おめでとう」

「このタイミングでは一番おめでたくない記念日ね」



 物心ついてからこの部屋を出ることなく育ち、先生と称する映像から繰り返し刷り込まれた私の『世界』。


 全部じゃないけど、粗方あらかた嘘っぱち。


 今は2040年じゃないし、ここは学校でも学生寮でもない。

 ナオミという名前も嘘。実際は『試験体F055』が、私の識別番号。

 おばあちゃんもAIにそれらしい映像を付けただけ。今日試験を受けたメンバー二人も、廊下で挨拶した友達もAI。

 でも、私と彼はRVRシステムの外にも存在する『実在の人間』だ。


 私は『私の部屋』から出たことがないんじゃない。産まれた時からこの棺桶のようなRVRシステムの中に閉じ込められている。


 先生達が教える世界よりも現実は格段に深刻だった。伝染病は一度罹患りかんすると自覚症状が治まっても、数年後に血栓により脳や心臓が止まるという厄介な病気だった。ワクチン製造を急ぐものの度重なる動物実験の失敗と留まることを知らない人口減少に焦った人類は、苦肉の策として人体実験を選択し、その実験の為に『試験体』を製造したと推測している。

 私達は婚姻関係にない無作為で選ばれた男女の卵子と精子を掛け合わせて生まれた『生命体』で、人権はないのだそうだ。


 こういった知識を私は彼から教わり、彼は今はいない彼の先輩から教わったらしい。その先輩もその前の先輩から口伝で連綿れんめんと伝えられてきたという。

 その中でも彼と彼の先輩が連中から入手した情報はそれまで累積るいせきしたものより格段に多い。彼の先輩はRVRの管理システムへのクラッキングに成功し、先輩が設置したバックドアから彼もシステムに侵入。先輩のノウハウを吸収し独自のアレンジを加えた彼は、今もRVRの管理システムから少しずつ情報を引き出し『外の世界』の現状を収集している。

 しかし、どの先輩も18歳の誕生日の翌日以降は、RVRシステム内にログインして来なくなったという。

 その先は、まだ未確定。


 RVRシステムの管理者を私達は『連中』と呼び、私達が気づいていることは連中には絶対に知られてはならない。この密会も彼がジャミングをかけ『少し離れたところで別々に読書と自習をする生徒達』に見えるようカモフラージュしている。

 私と彼が初めて会ったのもこの自習室。ジャミングの範囲内に入るとAIは立体映像を保てないから、私は彼に『発見』された。


「私達以外の仲間は、いるの」

「ファイルは僕達以外のものが八種類。詳細はまだ確認できてない。何せ他部署よりはセキュリティが厳しいからね」

「分かってる。無茶してバレたら一巻の終わりだし、慎重に進めなくちゃ」

「慎重に且つ迅速に、だね」



 ここは、RVRの世界。

 どんなにリアルに見えても、ほぼ全てが虚構の世界。


 でも、いつか必ず起きてやる。

 自分の両足で立って、冷たい雨や強い日差しを肌で感じて、両肺で埃や病原体に満ちた空気を吸い込み、今日初めて青いと知った両目で世界を見る。

 彼と、仲間と共に生きる。


 その世界が、今以上の絶望に満ちていたとしても。

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