第2話 彼女の不思議

「元気ないなぁ、どうしたん?」


 休み時間。

 彼女は何故川を見ているのか、どこから来たのか、何歳なのか、彼氏はいるのか、などと考えていると、前に座っていたクラスメイトがこちらを振り返り、そう尋ねてきた。

 

 いつもは騒いでいるのに、今日だけ静かなのがおかしかったのだろうか。


「夏バテかー?」


「いや、大丈夫。エアコンついとるし、水もちゃんと飲んどるから」


 中学校と違って、高校はエアコンがある分楽で良い。

 その内その中学校にもエアコンが設置されるらしいが。


「ならええけど。......てか予習してへんのやけど。ノート見せてくれやん?」


「ごめん。僕もしてへん」


 結局、ノートは近くにいたクラスメイトに借りた。




****



「いつもここにおるけど、暑くないん?」


 何回目かの僕と彼女の朝の逢瀬。

 などという気分を味わう。


 日差しを遮るものがない橋の上で。

 彼女はいつもここから川を見ている。


「全然。......課題はちゃんとやったの? 今日は小テストがあるんでしょう?」


「そんなん直前にパパッとやったら7〜8割は取れるから問題ないし」


「前もそう言って再試にかかったでしょ?」


 彼女とは軽口を言い合えるまで仲良くなっていた。


 彼女の濡羽色の髪がキラキラと光を反射し、まるで川の水が流れるようにゆらゆらと揺れ動く。

 整った顔立ちと僕より高い背が相まって、彼女は年齢を推測できない正体不明の雰囲気を醸し出していた。

 僕の心の大半は、そんなミステリアスな彼女の存在で占められていた。



「......もうすぐ夏休みだね」


 彼女がそう口にする。

 僕は、そうやね、と相づちを打って、彼女と並んで川を眺めた。


 日光がジリジリと照りつけ、肌が焼かれるのを感じる。


 彼女とこうして一緒にいると充実感で心が満たされ、あぁ、これが幸せなのか、と実感し、噛み締めることができた。

 この関係が一生続けば良い、と思う反面、もう少し先に進ませたい気持ちがない訳ではなかった。



 川は相変わらずの貧弱な水量と大量のゴミの問題を抱えている。

 梅雨で一時、水量が溢れんばかりだった川の様子が嘘のように、すぐに元の状態に戻ってしまった。


「じゃあ、時間やから行くわ。......そろそろ、川に何があるのか知りたいんやけどなぁ?」


 僕は橋に停めていた自転車を手に持ち、彼女の顔を見つめる。


 彼女は、ふとした瞬間に見せる、あの儚げな表情を顔に浮かべ、優しく微笑んだ。


「私に気付いたあなたなら、きっとわかるはずだよ」


 彼女は決して、自分のことは話さない。



****






「......はぁ」



「どうしたん? 何か困っとんの?」


 僕が盛大な溜息を吐いて机に突っ伏していたところ、前の席のクラスメイトが心配して声をかけてきた。


「......お前恋人おったっけ?」


「何なん急に。......まぁ、好きな人ならおるけど」


 突然の質問に、クラスメイトは怪訝な顔をしながらも答えてくれた。


「じゃあさ、両思いになるために何かしとる?」


「いや、そこまで本気じゃないから。さり気なく話しかけるくらい。掃除のゴミ捨て代わりに行ったり、遠くから見たりするだけ......って、もしかして」


「この学校じゃないから」


 ニヤニヤするクラスメイトをほっぽって、僕は再び机に突っ伏した。

 調子が狂うからやめてほしいと切実に思う。


 僕が彼女にできることは何だろう。


 そう考え出すと、真っ先に思い浮かんだのは、あのゴミだらけの川を掃除することだった。




****



 海のゴミの8割は、街から来ていると言われる。


 ポイ捨てなどにより街に捨てられたゴミが雨とともに排水溝へと流れ、川を伝って海へと流れ出るからだ。

 そうして街から流れたものが、海洋のゴミの8割を占める。


 インドネシアの海岸では、6キロ近いプラスチックゴミを体内に溜め込んだマッコウクジラが打ち上げられたそうだ。



 僕が川を綺麗にするためには、川のゴミを拾うこともそうだが、道端のゴミも拾う必要があるだろう。


 だけど。

 それは、僕一人でできることではない。



 僕は、課題も満足にできないダメダメで、歴史に名を残す偉業を成し遂げることもないだろうけど。


 彼女の心からの笑顔が見たい。


 そのために出来ることなら何だってやる。




****




 と決意してから数ヶ月が経った。

 夏休みも終わり、少し肌寒くなってきた時期。


 僕が、前の席のクラスメイトと一緒にお昼ご飯を食べていた時のことだった。



「高校生議会?」


「そう。生徒会案件でね。市議会に参加して高校生の視点から意見を言うっていうイベント? みたいなの」


 前の席のクラスメイトは、驚くことに生徒会役員だ。


「へー、いつあんの?」


「一月やからまだまだ先やね」


 今は秋なので、かなり先の話だった。


「ふーん。生徒会に入っとらな参加できやんの?」


「いや、そんなこと無いと思うけどなぁ。たまたま生徒会に話がきたってだけで」


 なら、これはチャンスではないのか、と僕は考えた。

 川の清掃だって、市全体で取り組まないと一向に解決しないだろう。

 市議会で問題を提示することにより、川、そして海のゴミ問題まで改善できるかもしれない。



「じゃあ僕も参加したい」


 気付けば、僕はそう口に出していた。


「え? あ、うん。ええんちゃう? 生徒会顧問に聞いてみるわ」



 数日後、僕は高校生議会に参加することが決まった。




****




「最近楽しそうね」


 古びた橋の上で。

 彼女が首を傾げて僕の顔を見ていた。


「え? そうかな」

 

 気付かない内に表情に出ていたのかもしれない。

 頬を両手で挟んで顔を確認する。


「何か良いことでもあったの?」


「内緒〜。でもそうやなぁ。来年にはわかると思うよ」


 彼女を心から笑わせてみせる。

 僕はそう決意をして、彼女に笑いかけた。

 彼女は、くすりと微笑んだ。


「楽しみにしておくわ」


 そして、すぐにいつもの悲しそうな表情に戻った。


 彼女の濡羽色の長い髪が、風に揺れてキラキラと輝いた。

 それはまるで、光が水面で踊っているかのよう。


 しかし反対に、彼女の目は泥水のように暗く濁り、えもいわれぬ不穏な雰囲気を漂わせていた。


 僕はそんな彼女の憂いを晴らしたかった。

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