川を見つめる彼女と僕

天道くう

第1話 彼女との出会い

 ミンミンミンミン。


 せみの鳴き声が煩く感じて、ああ、もう夏になったんだな、と思う。


 僕は今、自転車を漕ぎながら学校へと向かっていた。

 今はアスファルトで舗装されているが、江戸時代の面影のある古い道。

 過去に大名行列が通ったと云われている、歴史ある道だ。


 いつもと変わらない道。

 ぼーっと物思いにふける僕を、数台の車と自転車が追い抜かしていく。


「ねえねえ、今日の放課後マクドいこーよ」


「いや、前から言っとるけどマックやから」


 後輩の一年生が、そんな話をしながら楽しそうに遠ざかっていく。


 夏期休暇が近付いてきた今、僕たち高校生は浮き足立っていた。

 と言っても、一ヶ月は先の話だが。


「......マクドやろ」


 僕はそう呟きながら、ふと、古びた橋の下に目をやった。

 毎日この橋を通っている。

 石造りの、年季の入った小さな橋だ。

 いつも通りだ。

 その下の川の水が緩やかに流れているのも、朝の登校の時間が静かなのも、いつも通りだった。


 顔を前に戻すと、空中を通る高架道路や、それのずっと奥に見える山、そして、その麓にある住宅街が視界に入った。

 僕の住んでいる県は割りかし都会だけど、山を全く見ない東京と比べると、やはり田舎なのだと実感する。



 ふと、視界の隅に、橋から川を見ている一人の女性が映った。


 とても綺麗で、ほっそりとした女性だった。

 濡羽色の髪を背中に流し、同じ黄色人種とは思えないほど白く、透き通った肌をしている女性。

 


「......ぁ」



 すれ違ったのは一瞬で、気が付いた時には、僕は女性の後ろを通り過ぎ、橋を渡りきっていた。

 女性は僕に気が付いていなかった。








 それから、僕は毎日彼女を見た。

 もちろん、場所はあの橋で。

 朝、登校する時に必ず。


 まるで、昔からずっとあそこにいたかのように、彼女は毎日、川を見ている。


 僕は毎日、川を見る彼女を見ている。


 どうして今まで気づかなかったのだろうか。


 彼女はとても綺麗で、僕は、彼女を見ながら登下校をするのが毎日の日課になっていた。





****




 ある日。

 僕はいつもより早めに家を出た。


 無心で自転車を漕ぐ。

 前は電車通学に憧れはしたが、通学のために朝六時過ぎに家を出ている人を思うと、家が学校に近くて良かったと思う。


 ただ、汗でシャツが張り付くのが気持ち悪かった。


 過去に大名行列が通った道を進み、坂を登ると、あの古びた橋が見えてきた。

 そこには、いつものように彼女が、川を見つめて立っていた。


 僕は自転車の速度を落とし、地面に足をつく。


 そして、自転車を引きながら、ゆっくりと彼女に近付いた。


 近くで見る彼女の横顔は、本当に綺麗だった。

 彼女が浮かべている表情はどこか儚げで、少し目を離せば消えてしまいそうな、そんな予感がした。



「あのぅ」


 僕は思い切って、彼女に声をかける。

 バクバクと心臓が鼓動する。


 だが、彼女は川を見つめたまま、こちらを見ようともしなかった。

 僕の声だけが虚しく、静かに響いた。


「あ、あの......!」


 今度はさっきよりも少しだけ大きな声で言う。

 しかし、やはり彼女は僕に気が付かない。

 ひょっとして、彼女は僕の声が聞こえてないのだろうか。

 なかなか気付かない彼女に少しイラッとする。

 

「あの!」


 僕は、彼女のすぐ隣に立ち、思い切り声を張り上げて己を主張した。


「え?」


 やっと、彼女がこちらに気付く。


「......私に話しかけてたんだ」


 彼女は目を少し見開きながら、僕の方を向いていた。

 驚く彼女はとても人間臭く、いつも見かける神秘的な様子とはだいぶ雰囲気が違っていた。


「あ、そう、です」


 不意打ちの会話に少し焦る。

 少しムキになったこともあり、恥ずかしさで彼女の顔をまともに見られなかった。


「どうしたの?」


 彼女の声は優しく、聞いていて不思議と落ち着く。

 光を反射してキラキラと輝く濡羽色の髪が、風に吹かれてさらさらと流れていた。



「......あの、いつも、川を見てますよね? 何かあるんですか?」


 思い切って彼女の顔を見てそう言うと、彼女はふ、と微笑んだ。

 その表情はどこか悲しそうで、それがとても印象に残った。

 何故か、僕の胸まで苦しくなった。


「川を見ているの」


 彼女は綺麗な顔で、言葉を発した。


「あなたも見てみる?」


「......はい」


 自転車を橋の横に停め、彼女の横に並ぶ。

 そして、彼女と一緒に川を眺めた。


 弱々しく水の流れる川。

 砂が堆積して水の流れが淀んだ場所には、ポリ袋やペットボトルなどのゴミが溜まっていた。

 土手の辺りは雑草がボーボーと生え、ペットボトルや空き缶、個装フィルムなどのゴミが目立つ。



「......こんなの見て、何が楽しいんですか?」


 純粋な疑問だった。

 この川は美しくもなんともないし、魚が泳いでいるような様子も見受けられない。

 彼女が見る価値のある川には思えなかった。


「楽しくないよ」


 彼女が隣でそう呟いたのが聞こえた。




「学校遅れるでー」


 チャリンチャリン、と自転車のベルを鳴らして、同級生が通り過ぎていった。


「あ、時間! やべ」


 腕に着けた時計を確認すると、もう朝のホームルームまで10分を切っていた。

 全力で漕げばなんとか間に合う程度。


「僕、もう行きますね!」


 別れの言葉もそこそこに、慌てて自転車に乗り、全体重をペダルにかけて速度を上げる。


「いってらっしゃい」


 彼女のその声は、僕が橋を渡り切った時に聞こえた。

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