第17話 交錯する夏の線 8
いつもは早くて利便的な電車も今日は、これほど不都合な乗り物はないと感じた。窓に映る景色も、広告も、ダイヤも、すべてが冗長的なものに感じてしまう。
けど、目的の駅に発着した時点で、そんないらだちに近い感情も薄れ、僕は真夏の日差しの下を全力で疾走した。
全力疾走をし続け、お腹も肺も、足腰も限界を迎えた時にようやく坂井中央病院の姿が見えた。僕は滴る汗をシャツの裾で拭いながら、自動ドアを抜け、北棟を目指す。今日は、看護師も患者も目には入らなかった。
連絡廊下を抜け、203号室の前に着くと、僕は久々に初めて来たときと同じように、深呼吸を数回してからノックをした。
中からは、いつもの声が聞こえる。だから、僕はいつもの表情を取り繕って、ドアをスライドさせた。
ドアを開けると、中には暁がいた。いや、暁がいるのは当然だ。
けど、その暁はいつものような病的な彼女ではなく、僕の記憶にある限りの暁ではなくて、真っ白のワンピースを着て、真っ白の帽子を被っていた。まるで、ウェディングドレスのようだと思う。
「やっ、灰ヶ崎君、今日も来てくれてありがとね」
暁はベッドの上で手をひらひらさせ、微笑んだ。その後に、僕の隣辺りに指を差して、「悪いけど、そこの車いすを引いてもらっていいかな?」と僕に聞いた。
「いいけど……」
僕はあまり事情が把握できないままに、右側にぽつんと置かれた車いすを暁の前に移動させた。すると、暁はよいしょという掛け声とともに、ベッドから車いすに移動した。暁の体重は軽いためか、車いすは軋みの音を一切出さない。
「じゃっ、灰ヶ崎君。早速、行こ!」
暁は指を窓側に差して、元気よくそう言った。おそらく、外に行こうという意味合いだろう。
「どこに行くの?」
「お墓参りに」
「お墓参り?」
「うん」
誰の? そう問いかけようと思ったけれど、それは僕が知るべきところではない。
「外に出ても大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。許可はもらったから」
「そっか」
なら、僕が聞くところはもうない。
「じゃ、行こっか?」
「うん、お願い」
暁は楽しげに微笑む。僕はその顔を確認すると、車椅子を押し、真っ白な部屋から出て行った。
外は小型のバスが停止しており、そこからは腰を曲げた老婆たちがぞろぞろと降りに出てきた。また、その後ろには軽自動車が止まり、中からは赤ん坊を抱えた若い女の人が降りる。ただ、そこは一般車両は停止を禁止しているためか、また後ろからやってきたバスにクラクションを鳴らされ、颯爽にその車は立ち去っていった。
「屋上以外で外に出るのは久々だなぁ」
正面口を出て、やがて病院の管轄外へと出ると、暁は座ったまま背を伸ばし、日差しを眩しそうに眺めながら言った。
「外は暑いから良いことなしだよ」
「ははは、確かにね」
暁はいつものように声に出して笑う。
「で、墓まではどう行くのかな?」
「墓はね、ここの坂道をずっとまだ上っていくの」
暁は細い指を坂の上り先へと向けた。僕もその方向へと目を向けるが、ここの病院へ何度も来ているから、その先の坂がどれだけ酷たるものかは大凡に予想はついている。
「この坂道を?」
一応、間違いはないか暁に聞く。この坂の先はそれといって、何かがあるわけではない。おそらく、霊園などの施設はなかったはずだ。
にも関わらず、暁は微笑んでは、指を差したまま。
「うん、この坂道を」
そう言った。
なら、間違いはないのだろう。
僕は「わかった」とだけ言い、車椅子を押して、左方の茂った樹林林のような道を進んでいくことにした。
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