第15話 交錯する夏の線 6

 店内は涼しい。天井を見上げてみると、そこにはゴーッと騒がしい音を立てながら、広い範囲に涼しい風が送風されていた。あたしはその冷房機の音と涼しさに注意を向けていたためか、店内で流れている曲がグリーンデイのバスケットケースだということに気づくのは席に着いてからのことだった。

「メニューが決まりましたら、呼び鈴を」

 この店のマスターだろうか、清潔感のある髭を蓄えた人が、机の上にメニューを並べては、丁寧にお辞儀をして、またキッチンホールへと向かっていった。それを確認すると、あたしはあたりをキョロキョロと見渡した。絢爛な壁紙、その上に張られたローリングストーンズのポスター。他にも、レコードやCDが綺麗に並べられた棚や、見たことのない豪華なコンポも見られる。また、ステージもあることから夜はライブハウスにでもなるのかもしれない。

「灰ちゃんは何を頼む?」

 あたしはそんな光景に興奮しつつ、足をパタパタしながらも、灰ちゃんが見やすいようにメニューを広げる。

「アイスティーの無糖でいいよ」

 灰ちゃんはメニューを見てはすぐにそう言った。相変わらずに灰ちゃんは決めるのが早い。人生自体を早押しクイズだと思っているのかもしれない。

 ちなみに、あたしは優柔不断だ。しょうもないこと一つ一つも決めるのにすごく時間がかかる。今回のオープンキャンパスなんて選ぶのに一週間と少しはかかった。けど、こんなのはまだ全然ましなほう。あたしのレコード選びやCD選びなんかなれば、一日中かけて、結局決めきれないなんて常沙汰だ。だから、あたしは結構、人に流されてきたところが多い。だって、そのほうが早いし、効率がいいってことが分かっているからだ。そう、物事の判断と言うのは基本的には大抵のことは時間が待ってくれないのだ。

だから、合わせて、流されて。いつのまにか、あたしは高校生になっていた。

 でも、高校生になってからは、他人に流されるのがどうしてか嫌になって、自分らしくないような気がして、またどこかマイノリティになりたい気がして、あたしは人生で初めて反抗期に入った。無論、他人に対してその態度は見せない。あくまで、自分自身の慣性に対しての反抗を行なったのだ。けど、当然、中々うまくはいかない。だって、あたしの反抗期を終わらせる条件は自分の素性を認めくれる人を探さなくてはいけないからだ。特に、優柔不断だけではないあたしの素性を認めてくれる人なんてそうはいるわけがないのだ。あたしからすれば、そう言った人を見つけられる確率は世界に三人ほどいると言われている自分に似た顔の人を探すぐらい難しいと思っている。つまり、何十億分の一。無理である。もし見つかるなら、とうにあたしは数度の交通事故にあって、数回は大金持ちになっているはずだ。

 あたしはムーっと唸りながら、メニューを睨む。ちょうど小腹も空いているからパン

ケーキやバーガーも迷うし、セットよっては飲み物が変わるから迷いどころだ。

 どうしよかなぁ。なんてしばらくメニューに呟きながら、あたしは二つの魅力的な文字列に指を差していると、他の誰かの指がメニューの上に現れた。いや、別に他の誰かでもない、灰ちゃんの指だ。

「やっぱり、僕は無糖の紅茶をやめて、このセットにしようかな」

 灰ちゃんが指を差したのはあたしが迷っているセットのうちの一つだった。

「で、色原がよかったらなんだけど、色原もなんかのセットを頼んでさ、僕のと半分

にしない?」

「えっ、いいの?」

 あたしは思わず、灰ちゃんに問いかける。

「うん、色原が良ければ」

 灰ちゃんはこくりと頷く。

「じゃあ、そうする! あたし、このセット頼むね!」

 どうしてかあたしは無性に嬉しくなり、灰ちゃんの指の隣にあるメニューに指を差し

ては甲高い声でそう言った。灰ちゃんはそんなあたしの姿を見て、「そのメニューもおいしそうだね」と言った。


「では、バーガーセットとパンケーキセットですね」

 マスター(じゃないかもしれない)はあたしたちの注文を聞いてはおしゃれなメモと

ボールペンで伝票をとり、その後に「これを」と言って、一枚の紙を机に置いた。

 あたしと灰ちゃんは揃うように覗いてみると、それは曲のリクエスト用紙だった。

「まだこの時間帯には多くの客が見られませんので、リクエストでもあれば」

 マスター(疑惑)がそう言うと、にっこりと微笑み、「決まりましたら、私に言ってください。マイナーすぎるものは応えれないかもしれませんが」と言い残して、キッチンホールへと消えていった。

 あたしはそんな見慣れないやりとりを前にして、つい「すごいね!」と声に出してしまう。そんなあたしの姿を見て、灰ちゃんも首を下に振っては、「うん、すごい」と声にした。

 さて、注文の品が来るまで、曲の選定を行いたいのだが、どうやらここでもあたしの優柔不断っぷりが発動してしまい、結局は灰ちゃんが決めてくれた。灰ちゃんが選んだのは夏に無難なザ・ビーチボーイズだ。センスがいい。

 マスター(不明)がその紙を受け取ると、「どうも変わった若者ですね」と、どこか嬉しそうな顔をしては棚に並べられたレコードに手を取り、早速曲をかけてくれた。流れ始めた曲は『サーフィン・U.S.A』だ。

「灰ちゃん、ありがとね」

 あたしは出来る限りに感謝を伝えようと質のいい笑顔を作る。

 ただ、灰ちゃんはなんのことかなとでも、言いたげに知らぬふりをしている。いつものことだ。だから、あたしは「もーうっ」なんて少しだけ怒ったふりをして、いつものようにやりとりを行う。

 そう言えば、あの時。

 あたしは灰ちゃんと話をしながらも、つい思い返してしまう。

 灰ちゃんはどうしてあんなことを言ったんだろう。あの言葉は灰ちゃんにがいいそうにもないセリフだった。それはどこか焦りを感じるような、何かを追い求めているような。いつもの灰ちゃんらしくないことだ。

 けど、おそらくあたしが今思っているのは灰ちゃんの言葉に対しての不可思議な疑念ではなく、あたし自身の愚かさだと思う。

 どうして、あたしはあの時、もう少し深く掘り下げなかったんだろう。どうして、あたしは何ごともなかったように、鈍感を装って流したんだろう。

 いや、どうしても何もない。答えは既にわかりきっている。本当はわかってるんだ。

 きっと、触れてしまえば、深く触れてしまえば、そこに亀裂が入っていきそうだから。そして、その割れ目からやがては大きく距離が開き、またあたしは一人になってしまうような気がしたから。

 このことは今日に限ることではない。ほんとは、灰ちゃんと会ってから、あたしは気持ちを伝えたいことも多々あった。でも、この避暑地のような心地よい、関係が崩れることがあたしは怖かった。

 だって、灰ちゃんはあたしにとって、とても気の合う人だから。ずっと見つかるはずがないと思っていた空想上のような人だから。

 故に、あたしは待つことしかできない。

 ただただ、傍観するしかないのだ。そんな卑しいことしかできないのだ。

 なのに、灰ちゃんはそんなあたしの素性を知らないで、一人で悩んでいるんだと思う。きっと向こう側の世界で何かと戦っているのだと思う。

 そのことが無性に自分に対して腹立たしくて悔しく感じる。この無力感と受動性。

 それでも灰ちゃんはあたしの話を聞いては相槌して、時折には微笑んでくれるのだ。

「はぁー、色原のお姉ちゃんがね……」

 そんなどこか穴の抜けたような会話を繰り広げていると、いつのまにか最初の曲なんかはとうに終わっていて、『サーフジャム』が流れていた。

 それをあたしが確認すると同時に、机の上には注文の品が置かれていった。

「そろそろ、リクエストの曲が終わりますが、次はどうしましょう?」

 マスター(多分)は盆にのった最後のアイスコーヒーをあたしの前に置き終えると、にこやかに聞いた。

 あたしはまた灰ちゃんに決定を委ねようとその顔を覗いたが、すぐさまにやめて、「ローリングストーンズのエモーショナルレスキューで」と玄関口近くに張られていたポスターを思い出して言う。

 これが功を奏したのかは知らないが、おそらくマスター(曖昧)は大のローリングストーンズの好きなのため、眉を上げては嬉しさを隠さずに「終われば直ちに」と棚へと向かっていった。

 さぁて。あたしはそう声に出し、できる限りに大袈裟に並べられたセットにリアクションをする。

「すごいね! なんか豪華と言うか、アメリカン!」

 アメリカンサイズがどの基準を持っていうのかはわからないが、とりあえずかなりのボリューミーなハンバーガーと厚いパンケーキを見て、あたしはなんとなくアメリカンだと思った。

「確かにそうだね。アメリカンだ」

 灰ちゃんはあたしに合わせる様に、そう言っては頷いた。

「それにしてもすごいよねぇ、特にこのハンバーガーなんかは肉とチーズが何枚挟まれてるの?」

 あたしは横から覗き、数えてみる。肉とチーズはそれぞれ総じて四枚。とんでもないことである。だからか、ナイフとフォークがプレートに添えられている。

「ソースもパンズに収まりきってないしね」

 灰ちゃんもバーガーを横から覗き、その中を視察した。確かにほんとだ、オニオンソースやケチャップが収まりきらず、プレートに滴り、溜まりを作っている。

 しかし、見た目はどうであれ、バーガー特有の匂いと避暑地で出される冷えたコーヒーを前に、あたしの食欲と言うものは収まりそうにない。とにかく、今はお腹が減って仕方がないのだ。

「えっと、それじゃ、食べよっか?」

「そうだね。食べよう」

 そういうことで、あたしたちは手を合わせ、始めに自分の前に出されたプレートに手を付けた。

 あたしはまず灰ちゃんと等分にできる様に、バーガーを半分に切る。バーガーには支柱がないために、まっすぐにうまく切ることができない。そのせいで、中の分量がアンバランスになってしまった。

「わわ、ごめん、灰ちゃん。中身がアンバランスになっちゃった」

「全然気にしなくていいよ」

 灰ちゃんはそう言って微笑むと、パンケーキを小皿に移し替え、「二種類のソースがあるみたいだけど、どうする?」と聞いた。

 あたしはパンケーキのプレートに載せられた二つの白い容器に目を向ける。そこには丁寧にマジックペンでココナッツソースとメープルソースと書かれた容器があった。見たところ、一枚のパンケーキに一つのソースを使うみたいだ。

「灰ちゃんはどのソース使う?」

「僕はどのソースでもいいよ。だから、先に色原の好みがあれば」

 えっと、なら申し訳ないけど、先に選ばせてもらおうかな。と、どのソースにするかを考えようとしたけど、また長くなりそうだから、塩梅なメープルを選んだ。

「自分でかける?」

「あっ、灰ちゃんがかけてくれたら」

「了解」

 灰ちゃんはそう言うと、メープルソースをかけて、あたしに小皿を渡してくれた。だから、あたしも不器用に小皿に切ったバーガーを載せて、灰ちゃんに渡した。

「じゃあ、いただきまーす」

 あたしは一度、灰ちゃんの顔を確認してから、まずはパンケーキを食べた。

「うん! 甘くて、おいしい!」

 子供のような感想を述べて、あたしはつい笑みを浮かべる。うん、やっぱり避暑地に合うのは甘いものだよね。後、冷えたアイスコーヒー。

 けど、甘いものだけだと、なんだか口が飽きてくるから、こういう時にバーガーという悪魔的な食べ物はより本命発揮するんだよねぇ。 

 あたしはお腹が減っていたためか、乙女の羞恥心など一切に気にせずに、パンケーキ、バーガーとハイペースで交互に手を出した。だからそのせいか、あたしは灰ちゃんの手がいつのまにかあたしの顔の近くにあることに気づかなかった。

「口元にソースついてるよ」

 灰ちゃんは机に置かれたナプキンであたしの頬辺りを拭う。

 そんな行動の一環にあたしは思わず、「ふえっ」なんて出したことのない声を出して、初めて自分が夢中で食事をしていたことにどこか恥じらいを感じた。

 また、その時にちょうどレコードの曲が終えて、次のリクエストに変えようとしたのか、マスター(あやふや)がレコードを持ってこちらを微笑ましそうに眺めていたので、それがより一層、あたしの顔を赤くした。うぅ、恥ずかしいぃ。

 けど、あたしは別段に抵抗せずに、ただ成すままに灰ちゃんに口元を拭ってもらった。なんか、赤ちゃんになったみたいだ……。

「白い服で来てるんだから、気を付けなよ」

 灰ちゃんは拭い終えるとそう言っては優しく微笑んだ。あたしはその顔を見てはいつものような口調で答えることは出来ずに、少し吃りながらも俯いては「つ、次から気を付けます」と言った。うぅ、最悪だ、これは学長が悪い。

「それにしても、ほんとにいいお店だね。よくこんなお店を知ってるよね」

 灰ちゃんはあたしが今、かなりの恥に苛まれていることを感じ取ってくれたのか、話を変える様に口を開いてくれた。

「う、うん。ポップスターっていう、音楽雑誌に載っていたお店で、内装とかがすごいおしゃれだったから。行ってみたいなーって思ってて」

「なるほど」

 灰ちゃんは何度か頷く。

 あたしは灰ちゃんの反応を確認すると、今度こそは遠慮気味に、小さくバーガーを切って口に運んでいく。そんな風に、ちびちびと咀嚼したものをアイスコーヒーに流してこんでいると、店内に年配な客が数名入ってきた。どうやら彼らはこの店の常連のようで、マスター(不確定)とは仲が良いのか楽しそうに話しており、手に持ったレコードを見せてはなにやら語っている。あたしはそんな常連の姿を見て、数年後、数十年後、灰ちゃんとあたしは今みたいにこう対面になって座っているのだろうかと考えた。また仮に、座っていたとしても、その時にはもう互いの蟠りのようなものは排されているのだろかと考えた。

 でも、どちらの方も懸命に考えてもなお、答えが出ないように感じた。

 店内ではセッティングされたレコードから、ローリングストーンズの『ダンス』が鳴り響く。それはどこかクラブで流れていそうなミュージック。また、その音に乗せるかのように常連客の青春時代の淡い声や店外の環境音も合わさる。けど、その中に一つ、不慣れな電子音が含まれていた。

 灰ちゃんの電話からだ。

「ごめん、ちょっと電話に出る」

「あっ、うん」

 あたしは無意識下にそう言う。灰ちゃんはあたしのその言葉を確認すると、できる限り音量の小さな手洗い場へ向かった。なんとなく、あたしは灰ちゃんのその後姿を見て、灰ちゃんはどこかへ行って、二度と帰ってこないんじゃないかって思った。


 灰ちゃんが戻ってきたのは、ちょうど今流れている曲が終わった頃合いだった。灰ちゃんの顔色にはどこか謝罪の意を含んだような、今にでも「ほんとにごめん」とでも言いたげな顔をしていた。ただ実際に、それは本当であったようで、灰ちゃんは席に座っては「ほんとにごめん」と言って頭を下げ、その後に「どうしても行かないといけなくて」と言い加えた。

 あたしはそんな灰ちゃんの姿を見て、泣きたくなった。どうして、あたしには灰ちゃんの手助けができないんだろう。

 あたしは行かないでって、言おうとした。そして、そう言った後に、灰ちゃんの薄桃色の手を握りしめようと思った。

 でも、そうすればきっとこのままずーっと時間が流れて、結局あたしと灰ちゃんの間のしこりのようなものは除去できずにいるのだろうと思う。

 そう、あたしには何もできないんだ。

 そんなことはわかってる。

 わかってるのに、そんなことはとうにわかっているのに。

「全然気にしないで!」

 と、あたしは苦し紛れに、今できる限りの最大限の笑顔でそう言った。

「ほんとにごめん。また、行こう」

 灰ちゃんはそう言い残すと、財布から二枚の野口を取り出し、机に置いて、そのまま店から出て行った。

 余分だよ……。

 あたしは言おうとした。

 けど、また会ったときに返せばいいんだ。


 店内では今、『サマーロマンス』が鳴り響いている。

 サマーロマンス。今のあたしには似合わない。

 あたしはバーガーを大きく切って、口に運ぶ。そして、アイスコーヒーで流し込んだ。

 その味は何とも言えない味で、また泣きたくなった。

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