第14話 交錯する夏の線 5
キャンパス内は祭りでもあるかのように、常に騒音がする。多くのスタッフがキャンパスに入る一般客を見ては、机に置かれた分厚い冊子と共に大学のロゴが入った手提げバッグを渡し、どこかからは明るいバラードをバックにした案内のアナウンスをしている。また、人混みもすごく、ここに来る僕たちと年の近い学生たちはまるで遊園地に来たかのように、または他国の街並みを見るかのように、物珍しそうに立派な建物に指を差したりして歩いている。
僕は、全くなんて幼稚なんだ。と、彼らに少し大人ぶる態度でも見せてやろうかとも思ったが、どうも僕の隣に歩く色原が目を輝かしては「あの建物すごいね!」とか、「うわっ、おしゃれなベンチだぁ」とか言っては僕の手を引っ張るのですぐさまそのような態度を見せることは撤回した。うわぁー、大学ってすごいなー。
僕は一つもこの大学のキャンパス内のこともイベントのことも知らないので、色原に手を引かれては止まる、その所作に惑わせながらもやがて総合館と言われる超大型の体育館のような場所に着いた。
その建物の前では、また大勢のスタッフがなにやら厚い冊子を配っているようで、色原と僕は礼を言ってはまた受け取った。どうやら、この大学の過去問らしい。
「過去問くれるって、良心的だよね!」
色原はただでもらったのが嬉しかったのか、鼻歌交じりに過去問をもらった手提げバッグに詰め込んだ。
「ほんとだね。現金だったら、もっといいんだけどね」
「そんなの無理だから⁉」
まぁ、そりゃあ無理だ。
「あっ、でも、レコードのシングル盤とかだったらいけるかも! あたし、ゴダイゴので、欲しいレコードあるんだ~」
「少なくとも、学生には需要がないから無理だね」
「えぇー、そうかなぁ。いい歌多いよ」
「いや、そもそもレコードプレイヤーがないと思うよ?」
「あっ、そっか。さすがにレコードプレイヤー持ってないよね」
僕らはそんな日常会話をしながらも、正面口を抜け、中に入っていった。
総合館の中は何百、何千のパイプ椅子がキッチリと寸法の狂いがなく並べられており、内装はやはり外の見た目と同じ様に、畳まれたバスケットボールのゴールがあったり、バレーボールのコートのような線が引かれていたり、体育館を拡大したような感じだった。
席は意外と多くの人で埋まっており、また一人で来た人は皆、電車の座席と同じ様に、一つの席を空けては座っている。
おかげでさまで、中々、僕たちが座れるスペースを見つけることができなかったが、前の方へ行けばかなりの空椅子が見られた。
「灰ちゃん! ここに座ろっか!」
色原は座る場所を見つけてはその椅子のもとへ行き、バシバシと椅子の座面を叩く。
僕はそんな光景を見て、ほんの少しだけ今この建物中に溜まりこんでいる喧騒を忘れて、暁のことを思った。そして、どこかで設置されている涼しい冷房機の風を浴びてはもうすぐ夏が終わるような感覚に襲われた。
けど、すぐに「灰ちゃん」と言う言葉を聞いて、冷水を浴びたように目を覚ました。
「あぁ、ごめん」
僕は色原の言葉にこくりと頷き、彼女が空けてくれた席に座り込んだ。錆のついていない新品同様のパイプ椅子はなにも音を立てなかった。
「ねぇねぇ、灰ちゃん。さっきの話の続きなんだけどさ。灰ちゃんはもらえるなら何が欲しい?」
色原はパイプ椅子ともに前後に揺れ、両眉を上げながら聞く。
あれっ、そんな話をしてたっけ……。けど、そうツッコむ気にもなれず、僕は何も考えないで。
「時間かな」
「時間?」
色原は怪訝そうにきょとんと首を傾げる。
「灰ちゃんは時間が欲しいの?」
「うん、時間が欲しいね。時間を延ばしたり、後、時間を戻したり」
「えっと、どうして?」
どこか不安そうな顔で色原はこちらに顔を向け、自身のスカートをぎゅっと握っている。僕はその姿を見て、自分の口走ってしまった言葉の愚かさに気づき、すぐさま不器用な笑顔を作っては「学校と部の課題が中々終わらないからね」と言った。
「もーうっ、灰ちゃんは大袈裟に考えすぎだよ!」
色原は僕の肩を軽くポカポカしながらも、控えめに声を荒げた。
「ははは、ごめん」
僕は普段出さないような笑い声を出しながらも色原に謝り、そして壇に誰かが上がっていることを知らせる。
そのことを色原が確認すると、やがて騒がしかった建物内も加速度的に静かになっていき、やがては野太い中年の声が響いた。
「えー、皆さん。暑い中、本日はお集まりいただき……」
それからは名誉教授、もしくは各々の学部の教授や学長の話が続くだけで、内容は僕にとっては非常につまらないものだった。
長い話が終わると、学生たちは一斉に試験終わりの教室のようにがやがやと話しては外へ出て行った。僕らもそれに倣い、外へ出ていく。
「いやー、おもしろそうな学部多かったよね!」
建物を出ると、長く沈黙していた我慢を解放すかのように色原は笑顔でそう言った。
僕は色原の意見に同調するように。
「そうだね。特に、学長の頭頂部が面白かったね」
「それ学部関係ないから⁉」
色原の声は高らかに響く。まぁ、そうだ、頭頂部は学部に関係ない。
「そういえば、この後、別のところで模擬講義があるって言ってたけど、どうするの?」
「えっと、灰ちゃんはどうする?」
「色原が行くなら僕も行くよ」
「えー、その答えは困るなぁー」
色原はそう言うと、少しの葛藤に入るためか指を顎に据えて悩み始めた。悩むくらいなら、行けばいいと思うんだけどな。
そう思いながらも、色原の答えをしばらく待つと、ようやく答えが決まったのか、顔を上げてばってんのマークを手で作った。
「えっとね、今日はやめておこかな」
「大丈夫なのか?」
「うん! だから、その代わりにね。いや、その代わりにはなってないのかなぁ。と、とにかく、この後に付き合ってほしいところがあるの! えっと、いいかな?」
色原は指をもじもじさせながらも、ちらりとこちらに視線を寄せる。
「もちろん、いいよ。墓場にだって、ついてくよ」
「い、いや、そこまではついてこなくていいかな……」
色原はムカデを見たかのような反応をしながら、苦笑する。
まぁ、そりゃあそうだ。
「ちなみに、どこに?」
「えっとね、『ブルース・ライン』って言うお店なんだけど」
「えらく、おしゃれな名前だね」
「うん、ジャズ喫茶ならず、ロック喫茶なの」
へぇ、と僕は答える。最近はその手の喫茶店と言うのは廃れていると聞いたから、珍しく感じる。
「じゃあ、そのブルース・ラインってとこに行こっか」
僕は顔に照らされる眩しい日差しを手で遮りながら言った。色原はその言葉を聞いてから、少しの間を空けて「うん!」と言う。
こうして、僕らはまた騒がしく暑苦しい場所へと歩き始めた。
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