第12話 交錯する夏の線 3
どっぷり叱られた後の鞄は重い。
だけど、今日はそう思わない。どうしてだろう。
それはおそらく、半分話を聞いていなかったからだと思う。
いつもなら真面目に説教もどうでもいい話も頭に詰め込むんだけど、今日はどうも『君ぃ、このままだとグローバリゼーションに置いていかれて、社会貢献度がリデュース。そして、君の存在価値が発展途上になってしまうよぉ』とか、『英語と中国語は絶対必修。僕はねぇ、このことを大規模グローバル化する以前から提唱し続けていたんだよぉ。世間はようやくになって、僕の意見を取り入れ始めたけどねぇ』ぐらいしか、頭に入っていない。ただのネタである。そのうち、マネでもしよう。
あたしは安堵を感じて、背を伸ばす。
そんなに怒られないで良かったぁ。いやぁ、どうして叱られる前って、あれほど緊張しちゃうんだろうなぁ。きっと、身構えすぎなんだなぁと思う。
そういうわけで、早速、晴れてレコードショップに寄って帰ろうとルンルン気分で思った矢先、そういえば、あのグローバル至上主義男が最後に言っていた言葉を突如、思い出した。
『一週間後に確認テストして、それが四割未満なら今後、特別に七限目を設けて、週に三回、一年が終わるまでその授業を受けてもらうからねぇ。用事があるなら、土曜日でも日曜日でも可だよぉ。とにかく、とにかく、週三回は受けてもらうからねぇ』。
や、やばいよぉ。
四割以上とか絶対、無理じゃん。一学期早々のそれほど難しくない英語の中間テストの点数ですら、赤点すれすれなのに。あたし、英語だけ壊滅的なんだよなぁ。
ど、どうしよ。
とりあえず、あたしは少ない知恵で頭を働かせてみる。けど、あたしの乏しい知恵では普段からのグローバル男の態度が気に入らないのでつい校長から解雇を受けるか、グローバル野郎がガチムチ外国人教師のビリー(だったと思う)に喧嘩を売って、全治一週間以上の怪我を負わされてテストが中止になるとかぐらいのものしか出てこない。てか思えば、全部、他力本願じゃん! そのうち、ハルクホーガンじゃなくて、タリキホーガンとか言われそうだ。
うーん、ならやっぱり、努力しかないよね。
でも、努力でできるかなぁ。
けど、とりあえず勉強する以外はなさそうだ、うん。
そういうことで、あたしは賢くなるサプリメントなんかないかなぁと思いつつ、英語の教科書を取りに戻るために、自分の教室に行くことにした。
夕日が差し掛かる廊下って、なんだか慣れない。あたしはもうかれこれ半年ぐらい部活に入ってるから、こういう光景は何度も目のあたりにしているのに、どうしても夕日に染まる廊下っていうのはどこかそわそわしてしまう。
どうしてかなぁ。なんだか、一日がもう終わる感じがして寂しいのだろうか。
あたしは教室の前に来て、少し立ち止まる。ドアは優しい色に満ちている。
そういえば、時間的に見て、とっくに教室って閉められてるよね。
あぁ、だとしたら、また下に戻んないといけないのかぁ。
あたしはめんどくさいなと感じながら、もしやと思い、ドアに手をかけてみる。すると、ドアは抵抗感なく、横にスライドした。
おー、ラッキーだ。やっぱり、ものは何でも試しようだなぁ。
あたしは鼻歌交じりに教室に入った。
教室はカーテンが全部閉められており、光は厚い布に遮光されていて薄暗い。その中で、あたしは窓側の誰かの机上に、仄かに蛍のような光が灯っていることに気がついた。
あたしはここから目を凝らしてみる。どうやら、誰かが寝ているみたいだ。誰が寝てるんだろう。
あたしは出来る限り、音を立てずに近づいてみる。
まさか。あたしは驚く。寝ていたのはちょうどさっきあたしが考えていた灰ヶ崎君だった。どうして、こんな場所で寝てるんだろう。誰からも起こされなかったのかなぁ。だとしたら、ちょっと可哀そうだ。もしかすると、このまま放っておけば、夜に目覚めてパニックになってしまうかもしれない。いや、灰ヶ崎君のポーカーフェイスぶりを見れば、パニックになることはないか。なんか、そんな顔が浮かばない。
でも、起こさないでいいのかなぁ。と、あたしは考えてしまう。
けど、ぐっすり眠っている時に起こされるのって、なんだか気分を悪くするよね。やめておいたほうがいいかなぁ。
あたしはそんな小さな葛藤に迷っていると、机の上で光るデバイスに目が入った。さっき、教室に入った時に光ってたのって、これかぁ。
少し屈んで、あたしはそのデバイスを見つめる。おぉ、ウォークマンだ! 懐かしいなぁ。でも、なんでピンク色なんだろう。灰ヶ崎君って、意外とかわいい系の色が好きなのかなぁ。っと、そんなのはどうでもいい。すごい、すごい、ウォークマンとか久々に見たなぁ。
あたしはつい、感激してしまう。やっぱり、スマホ時代でもこういう型遅れの機器を使うのはどこかいいよね。なんだか、時代に逆らってる感じがする。無論、あたしは懐古厨でもなんでもないけど。
そういえば、灰ヶ崎君どんな音楽聞いているのかなぁ。意外と、アイドル系統の曲だったりして、いや、睡眠BGMの可能性もあるよね。
あたしは極力、髪に触れないで灰ヶ崎君の頭上から覗き込んでみる。
流れる小さなタイトルテロップが早いせいで、曲のタイトルが中々読み取れない。
えーっと、サイモン。サイモン&ガーファンクル。
えっ、嘘。読み間違いだよね。あたしはどこか意気揚々としながら、また一度、ウォークマンの画面を覗き込んでみる。けど、何度読んでみても、間違いなく、そこにはサイモン&ガーファンクルと書かれてあった。
もうほぼ無意識だったと思う、あたしはついぐっすり眠っている灰ヶ崎君を揺り起すようにして、声を上げた。
「灰ヶ崎君! 灰ヶ崎君!」
伝える言葉なんていらないというぐらいに、あたしはただただ『灰ヶ崎君』と口にして、灰ヶ崎君の肩を掴んで揺らした。
さすがに、そんな激しく揺り動かして起こしてしまったせいか、灰ヶ崎君は何か声を出し、イヤホンをとっさに外しては、飛び跳ねる様にして、すぐさま振り返る。
その隈がついた目は寝不足のようにも見えた。
「ど、どうかしたの?」
灰ヶ崎君は異空間に連れていかれた如くに、あたりを見渡す。その動揺した灰ヶ崎君を見るのはあたしの持つ灰ヶ崎君のイメージとは大きくかけ離れていて、どこか新鮮で楽しく感じられた。
「えっとね、灰ヶ崎君」
あたしはとりあえず、話す言葉を探すために軽く呼応した。
ど、どうしよ。この後に、なんて言えばいいんだろ。
立場が逆転したかのように、今度は逆にあたしがあたふたしてしまう。そして、灰ヶ崎君は薄暗い空間の中で怪訝な顔をしている。あぅー。
あたしは何がしたい? えっと、勧誘。そう、勧誘したいんだ。
なら、その言葉を端的に言えばいい。そう、それだけでいいんだ。
「その、あたしに英語を教えてくれませんか!」
まるで告白のごとくに、あたしは迫真にそう言った。もちろん、灰ヶ崎君は豆鉄砲でも喰らった顔をしている。あわわ、セリフを間違えた。
「いや、別にいいけど……」
灰ヶ崎君は淡々とそう言った。
あ、いいんだ。なら、ついでに。
あたしは自分の動揺具合を忘れ、また形勢逆転と言わんばかりに迫るようにして。
「あとね、部に入ってほしい!」
「部?」
「うん。音楽広報部って言うんだけど。灰ヶ崎君、音楽好きそうだったから!」
「はぁ。いや、まぁ、やることないから別にいいけど……」
あ、これもいいんだ。なら、後。
「あたしと友達になってくれないかな!」
「友達?」
「そう、なんか灰ヶ崎君とは仲良くなれそうだから!」
「友達って、そんな感じでできるんだっけ?」
「きっと、そうだと思うよ!」
「はぁ。なら、お願いします? でいいのかな」
「うん、それでいいと思うよ!」
じゃあ、後は、後は。
「灰ちゃんって、呼んでいい?」
「は、灰ちゃん?」
「そう! 今日から友達だから!」
「友達になったら、呼び名って変わるもんなの?」
「そうだと思うよ!」
「はぁ。ならいいけど……」
「後ね、後ね!」
「まだあるの?」
あたしはそんな灰ヶ崎君の不可思議そうにした顔を見ながらも、とにかく今までに溜め込んだ鬱憤だとか感激だとか、とにかく多色多様に混ざりこんだ感情を吐き出すようにして、灰ヶ崎君に語りかけた。
これにはきっと深い理由はなかったと思う。でも、とにかく、ジャケ買いが功を奏したときのような。根拠がないはずなのに、感性をあてにして。
とにかく、あたしはどうしてか無性に嬉しくなって。
また、灰ヶ崎君があたしの話す言葉の一言一句を否定しないでは話を聞いてくれたのが、またとても嬉しくて。
だから、この時のあたしは、きっと世界の誰よりも幸福だったに違いないと思う。
……それから、ずっと灰ちゃんと関わっているうちにだんだん自分を出していいんだって、思えるようになったんだよなぁ。
だって、灰ちゃんは受け入れてくれるから。
灰ちゃんは何も否定しないから。
プラットフォームに女の人の声がこだまする。それと同時に、駅からは人が吐き出されるようにしては出てきた。
あたしはそんな多くの人がごった返す中、すぐに灰ちゃんを見つけることができた。 少し腐った目、その目に付属する隈。あたしはそんな灰ちゃんを見て、相変わらずだなぁなんて思いながら、笑顔を作り、「おーい!」と手を振った。
そして、あたしは心の中で、どこか何もできない自分に悔しさを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます