第11話 交錯する夏の線 2

 短いようで長い夏休みが終わり、二学期開始早々に行われた実力テスト。あたしはその結果の前に、無惨にもひれ伏していた。無論、こんなことをしているのはあたしだけではなく、他の人たちもそうだった。そりゃあそうだ、誰が夏休みに真面目に勉強する人がいるんだ。ましてや、ピカピカの一年生が。

 あたしは返却された五枚の紙を秘密文書の如くに、四枚折りにして、極秘に鞄の奥底にしまい込んだ。そして、自分の成績に対し、少しでも安堵を持とうと、隣席に向かって微笑し成績を聞こうとした。

 けど、夏休み前にはいたはずのあの子がまだそこにはいなかった。あるのは角の削れた机と椅子だけ。あたしは何度かあたりを見渡したが、どうもいそうな気配はない。あたしはつい気になってしまい、後ろ席のそれほど仲良くはないポニテの日焼けした女の子に声を掛けた。もしかすると、まだ体調不良が続いているのかもしれない。

「確かね、あの子は重い病気を患ったとかで、夏休み入ってすぐに入院したって言ってたよ。こんな青春の時期に病気で入院って、可哀想だよねー」

 可哀想と言っている割にはあんまりその気持ちが伝わってこない。けど、あたしもわからないことはない。よっぽどの身内とか仲の良い人じゃない限り、あくまで他人事は他人事だ。だから、その瞬間にはさすがに同情の気持ちが生まれるんだけど、日が経てばそれも完全に忘れ去るか、そんなことがあったの程度で過ぎ去っていくんだろうと思う。

「ねっ、それよりあんたはさ。今回のテストのいずれの教科も三割以上はあったの?」

ポニテの子は話を切り替える様にして、裏面のテスト用紙をひらひらとあたしに見せつけた。

「へっ?」

 予想だにしない質問で、あたしは思わず情けのない声を出してしまう。い、いやいやまさかまさか。

「あ、あったよ。超あった」

「そうなん? いいなぁ。あたしは数学が三割未満でさ~。まぁ、数学担当は優しいからいいけどさ」

「さ、三割未満だったら何かあったっけ?」

「知らないの? 担当ごとに呼び出しされて、夏休み中、何やってたか聞かれるのよ。ほんっと、最悪のシステムよね。しかも、これやるのが夏休み明けの実テだけって、誰が夏休みに勉強するっての」

「あ、あははぁ、そうだよねぇ……」

 私は引きつった笑顔を保ったまま前を向き、机に伏した。

 もう、最悪だ。呼び出しされるとか最悪だ。 しかも、三教科分。理科、社会、英語。

 まぁ、理科と社会はまだ担当者がましだけど、英語がほんとに最悪だ。きっと、今日は星占いが最下位だったに違いない。いや、既に結果は出てるから一位でも変わらないか……。なら、そうだ。これは校長が悪い。あの目立つズラをかぶっているのが悪いんだ。きっと、自分に合うカツラの型がなくて、あたしたちに腹いせでこんなことをするのだ。そして、ストレスを溜めさせ、あたしたちを脱毛症にして、仲間を増やそうとしているのだ。きっとそうに違いない。校長は脱毛同盟軍の指揮者なんだ。そう考えると、鬱な気持ちも少しは薄らいできた。校長はとても有能である。


 放課後を迎え少しして、あたしの憂鬱な気持ちはピークを達していた。というのも、理科と社会、それぞれの担当教諭はたった一言、受験まではそれほど長くないからしっかり勉強をする癖をつけておけよと、ため息交じりの忠告だけだったのですぐに済んだのだが、英語はそうはいかず中々動きはしない大名行列を作っていたからだ。さらに言えば、あの拷問部屋のようにも見える個室から出てくる生徒が皆して、やつれた表情で出てくるので、それが一層にあたしの憂鬱さに火をつける。

 あぁ、ほんと嫌。こんな事ならせめて、英語だけでもしっかり勉強しておけば良かった。ほんと過去に戻れるなら、夏休み前の自分に答えを見て宿題をやらない方がいいって言うのと、レコードの針はおばあちゃんの家にいっぱいあったから、買う必要はないと言いたい。

 教室から、また一人。生徒が出てきた。

 あたしはもう表情を見るのも嫌になったから、窓に視線を逃げるように逸らす。

 そこには大きなグラウンドが一つ。その上で、サッカー部が準備運動をしている。普段は全く気にならない光景なのに、今日という今日は彼らがどの世界の人間よりも勝ち組に見える。うーん、だめだ。学校自体から目を逸らそう。

 そういうことで、学校から少し離れた場所にある、より一層に目立つ険しい坂道に目を向けた。目を凝らすとバスが走っている。あたしはそのバスを追うように視線を変えていき、行き先を辿ろうとした。けど、バスはしばらくして坂の先にある雑木林に隠れた。あのバスはどこに行くんだろう。

 とりあえず、あたしは視線を戻し、また少しずつ前に進んだ。

 あぁ、そういえば、あの雑木林の中には病院があるってお母さんが言ってたような。なんだっけ、坂井中央病院っていう名前だったような。この街で一番でかいって言っていた記憶がある。

 だとすれば、もしかすると、あの子も今はその病院のどこかの部屋で横たわっているのかもしれない。そして、物憂い目であの高さから私たちを見ているのかもしれない。

 そう思うと、なんだかあたしが抱えている今の状況がかわいらしく感じてくる。この年でじっとしているなんて、あたしには我慢できない。それは、きっとあたしにとってのティーンネイジャーというのはどこか甘酸っぱくて淡い青春チックなものだと感じているからだ。だから、あたしは今、勝手ながらとてもあの子に同情している。胸まで張り裂けそうだ。

 でも、明日になればきっと今日思ったことの大半は忘れているんだろうと思う。あれほど感動したはずのドキュメンタリー番組ですら、もうほとんど内容を覚えていないのだから。

 あたしって、残酷な人間なのかな。

 なんだか、考える度にそう感じてくる。

 もしかすると、共感性とかが少し欠けているのかもしれない。だって、あたしは今まで本当に話していて楽しいと思った人がいなかったからだ。もちろん、あたしの趣味とか趣向が少し変わっているからって言うのもあるけど、それはあたし次第でどうにでもなる。なのに、あたしはその努力をしないで、いつまでも向こうがあたしの思う型で来ることを待っている。

 考えれば考えるほど、なんか傲慢だなぁ、あたし。もしかすると、ルシファーより傲慢かもしれない。そのうち、台座を交代したりするんじゃないだろうか。そうならないように、しっかりしないとなぁー。

 列はまた動き出す。

 もう、あたしの順番はすぐそこに迫っていた。

 あの子、戻ってくるかなぁ。戻ってきたら、なんだかお話をしたくなってきた。あなたがいない間に、この学校でとんでもないことがあった! って、今の状況を大袈裟に。

 きっと、あの子は綺麗で朗らかな笑顔で笑ってくれるんだろうなぁ。なにそれって。 

だから、あたしも無性に嬉しくなって、今日起こる嫌なこともさっぱり忘れるんだと思う。 

あたしの前にいる子が無機質な教室の中へ入っていった。表情は窺えなかったけど、その背後だけでも暗愁な気持ちが伝わった。

 そういえば、あの子って、ずっと誰かを見ていたような気がする。

あぁ、うん、そうだ、見ていた。確か、灰ヶ崎君。そう、灰ヶ崎君だ。あんまり人の名前を覚えないあたしでも覚えている。なんだか、あの子に似てて変わった雰囲気があるんだよね。後、物静かで、いつもイヤホン差して、気怠そうにしてたから、ついどこか親近感わいて、つい名前を覚えたんだった。

 灰ヶ崎君って、どんな音楽聴くのかなぁ。

後、呼び出しされた科目はなかったのかなぁ?

 そんなことを頭の中で張り巡らせていたら、さっき教室に入っていった子が出てきた。

 その表情にはやはり、陰鬱さを漂わせていた。

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