第8話「本」

 翌日、私はいつもより早い時間に目が覚めた。起き上がり、机に向かう。明日の朝、優陽にする質問を考えようと昨日の夜決めていたからだ。


一枚のルーズリーフの一番上に「質問リスト」と書く。


リストを書くのに没頭してしまい、気がつく頃には六時になっていた。急いでリストを引き出しにしまい、そらの散歩に出かける準備をする。


いつも制服で朝のそらの散歩に出かける。片手には本を持ち、もう片方の手でそらのリードを持つ。本を読みながら海沿いを散歩するのが日課になりつつあった。


 家に戻り、直ぐに学校の準備をして朝ご飯を食べてから家を出る。


また片手に本を持ち、下を向きながら学校へ向かう。潮風が頬を撫で、髪を乱す。


学校に着くと、教室に人の姿は無かった。自分の席に座り、暗い教室の中で一人本を広げる。徐々に人が集まる教室で、私は一人本を読んでいた。


「おはよ〜、なんで春なのにこんな暑いんだー」


彩が愚痴を零しながら教室に入ってきた。


「おはよ、暑いね」

「涼しそうな顔してるなー、もしかして美海だけ違う世界にいる?」

「いや、同じ世界にいるわ」


そう言うと彩はケラケラと笑い、「またね」と言って自分に席に着いた。


そして、長い一日の始まりのチャイムが今日も校内に鳴り響く。


 家に帰り、リストを確認してからそらの散歩に出かけた。夜の散歩の時には、本は持っていかない様にしている。不思議と足が早くなり、本読む余裕はなくなるからだ。


「優陽」

「お、来たね」

「ちゃんと質問考えてきたよ」

「え!すごいな。じゃあ、美海からの質問に答えよう」


優陽は少しふざけながら答えた。


「えっと、優陽は何をするのが好き?」

「好きかー、うーん。自然を眺めてること…かな?」

「例えば?」

「海とか空とか雲とか」

「確かに、朝とかも外眺めてるもんね」

「うん、雲とか空って毎日同じじゃないじゃん?色が変わったり、形が変わったり。毎日違った形にも色にもなる。それが、好きなんだと思う」

「そうだね、いつ見ても同じ空はないもんね」

「うん」

「じゃあ、優陽からの質問は?」

「そうだなー、美海は本が好きなの?」

「え?あ、うん。好きだよ」


いつもと違う質問に驚きを隠せなかった。


「そうなんだ」

「どうして?」

「いや、いつも本読んでるから。好きなんだろうなーって」

「うん、好きだけど…」

「でも美海は、本に夢中になりすぎて人がいるのを忘れるよね」

「え?」

「今日も廊下で本読んでて、めちゃくちゃ人にぶつかりそうになってたじゃん?」

「ぐ…」


見に覚えがあり、言い返す事ができなかった。


「美海はさ、下を向く事が多いじゃん?本を読む時も歩いている時も。必ず顔を伏せようとする。

上を向けとは言わないけれど、偶には上を向いてみようよ。上には綺麗な空もあるし、雲だってある。下ばかり向いていると綺麗な景色を見逃してしまうよ?

でもさ、ずっと上を向いてばかりいてもダメなんだ。だって下を向かないと、転んでしまうからね。人は上も下も見なきゃ行けない。高い所を目指すために上を向き手を伸ばす。時には疲れてしまうこともあり、下を向きたくなる。ゆっくりでいい。顔を上げてごらん?美海がまだ見たことのない景色があるかもしれないよ」


私は少し上を向く。そこには、空が橙色に染まっていた。全てが同じ色ではなく、濃淡がついている。私が空に見惚れていると優陽は言った。


「何かから顔を背けていても、何も変わらないんだ。少しずつでいいから向き合おう。それがどんなに眩しくても、暗くても、俺がついてるから大丈夫。

美海が下を向いているのなら、俺は上を向く。美海が上を向いているのなら、俺は下を向いているよ」

「ありがとう、優陽」


まるで心を見透かされている様な感覚だった。でも、君の声は優しく暖かい。それでいて何処か冷たい。そんな君に私は触れていいのだろうか。

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