大切な人が送ったある手紙

拝啓

 うららかな春の訪れとなりました。いかがお過ごしですか?

 突然ですが、私は今までこんな春の情景を描いていました。

「幾千もの桜が咲き乱れ、風に乗って花びらが舞い、多くの人の琴線を震わせる」

という桜中心の情景です。ふと気づいた時から春が近づくと必ずこの情景を思い描いていました。しかし最近、春には今まで思い描いていたものとは全く異なる情景があるのかもしれないと感じているのです。

 それは3月下旬のことでした。私は家族と一緒に、とある港町へ行きました。その港町にはKという山があり、文豪と呼ばれた著名人も訪れた場所でした。最初は登るつもりではなかったのですが、久しぶりに外出して無邪気な笑顔をまだ絶やしていない三女が

「あの山登りたい!みんなで一緒に登ろうよ!」

と、催促をしていたので、渋々登ることにしました。段差が大きく、地面に対して左に少し傾いている石の階段を上り、泥濘んだ土の上を呼吸を整えながら進んでいくと、先ほど出てきた文豪と呼ばれた著名人の文学碑が置かれている崖に着きました。崖の先には港町の景色を一望することができ、妹たちは手に持っていたスマホで父をとにかく連写していました。しかし、その景色を見た私は呼吸を整えず、息を呑みました。

 大地から伸びあがっていく植物とそれを静かに見守る浅葱色の空と群青色の海。

 私の体をすうっと通り抜けるような心地よい風。

今まで何度も似たような景色を見たことがあったはずなのに、心の中にある邪悪なものを洗い流すような景色でした。そして私は、今までとは全く異なる春の情景を思い描きました。

「暖かい日の光を浴びて目を覚まし、天へ天へとぐんぐん伸びていき、やがて大地…

いや自然の息吹となっていく…。」

 春には、こういう情景があるからこそ昔から思い描いていた情景があるのかもしれない。そう自分に言い聞かせてながら少し古いデジカメを取り出して、息を呑んだ景色を画面に収めました。

 最後になりますが、あなたに答えてほしいことがあるのです。というのは、例のKという山で景色を見たときに思ったことなのですが、なぜ春というものは、こんなにも清々しく美しいのでしょうか?最初私は、その季節の雰囲気がそうさせているのだろうと考えていたのですが、どうもしっくりこないままで、今この手紙を書いているときもだったのですが、心が歯がゆくてムカムカするのです。私はあなたの出した答えが心を晴れ模様にしてくれると確信しています。そしてその答えが私と似たような疑問を持っている誰かへのメッセージになることも確信しています。手紙で返事をしても、ばったり出会った時に話すだけでも構いません。本当に申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。

                                   敬具

  4月2日

                                   松本桜

 高谷慶喜様

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