高谷先生の別荘にて

「まさかここの道がこんなに狭いとは…。」

 そう思いながら僕はお気に入りのノアで、狭く舗装もされていない石だらけの道を慎重に進んでいった。ノアの車体の横幅ギリギリで、高さもあるから少しでもタイヤが道からずれてしまえば間違いなく落ちる。しかし、だいぶ時間がかかったが落ちることもなく無事に山を登り切った。そして数十分ぶりの安定した道を進むと、やっと目的地に着いた。僕の恩師、高谷先生の別荘だ。明治に建てられた家を少しだけリメイクして、快適でありつつ、元の面影も残しているのだそう。

「昔のことも、今のことも大切にする高谷先生。本当にすごいなぁ。」

 僕は高鳴りそうになる胸を落ち着かせながら、別荘のインターフォンを鳴らした。「はい。」

 先生の渋い声がインターフォン越しに聞こえた。僕は緊張しながら返事をした。

「あっ…こんにちは、松本です!」

「おお、松本君か。入っていいぞ。」

「分かりました。」

 鍵を開けたままにしていたのか、と先生の態度に驚きつつも、僕は手汗をぬぐってドアを開けた。

 豪華な玄関を通り過ぎ、明治の雰囲気が残るリビングに入るとソファの上で藍色のマグカップに入ったコーヒーを飲んでいる高谷先生が見えた。大学では、高価なスーツを着ているのだが、今日は草色の着物に紺色の長襦袢を着ていた。

「来たか、松本君。」

 優しい笑顔を僕に向けながら高谷先生は僕のほうを見た。

「こんにちは、先生。」

「よくここまで車で来ることができたね。大変じゃなかったかね?」

「いえいえ、大丈夫でした。それに、先生が僕のことお呼びになったらいつでも、どんなところでも向かいますよ。」

 先生は、苦笑いをしていた。よくよく考えたら変な内容だった。何を言っているんだよ僕は、と先生と一緒に苦笑いをした。しばらくして、先生が話し始めた。

「おっと、話がそびれるところだったね。さて本題に入ろうか。松本君、私はなぜ君をここに呼んだかわかるかい?」

「ええと、大学をやめなさいということをこの場で伝えるためですか?」

「いやいや、そういうことでは呼ばないよ。君のレポートはとてもいいからね。私が君をここへ呼んだのは、君のお母さんのことだよ。」

「僕のお母さんのことですか?」

 僕は今、母とは絶縁状態にある。高校生の時、僕はヤンキーであり反抗期だった。そのためたくさんの事件を起こし校長室に呼ばれることがしばしばあった。自分は何なのか、なんでいるんだろう、そんな感情がごちゃごちゃになって独りになりたくて僕は母に傷つけるようなことだけを言い放って叔父のところに住み込んだ。電話があっても、母からの連絡は叔父に頼み一切出ようとしなかった。今では反抗期もなくなり、一生懸命勉強をして今の大学に入ったがお母さんとは音信不通のままだった。だからお母さんのことは何も知らない。僕の母に何があったというのだろう。というかそもそも、なぜ先生は僕の母を知っているというのだろうか。

「実はな、私がまだ教授になってまだ数年経っていない頃、初めて生徒を持った28人のうちの1人が君のお母さんにあたるのだよ。」

 お母さんがここの大学の生徒であったのは意外だと思いつつ先生の話を聞く。

「それでな、この前手紙が二つ届いたんだ。どちらも君のお母さんに関するものなのだがな。」

「それはどんな内容ですか?」

 その時先生の表情が曇った。

「もし君にとって残酷なことであったとしても大丈夫なのかい?」

 先生が心配そうな声で聞いた。でも僕は、あの時の僕ではない。

「どんな内容でも構いません。教えてください。」

 先生は少しためらいながら僕にその内容を言った。

「それはな、君のお母さんがこの世界を旅だったということだ。」

 僕は言葉が出なかった。先生は話を続ける。

「君のお母さんは大腸がんを持っていたそうでな、ここ最近ひどく悪化していたんだ。様子を見に行ったら確かに衰弱していた。本人は大丈夫だと言っていたのだが、息も日に日に荒くなって、体は細くなって明らかに大丈夫じゃなかった。そんなある日、君のお母さんはね私にこの送ったんだ。最初、この文を読んだ時私はなんて返せばいいか分からなかった。今でも曖昧のまま。だから君の意見を聞きたかったんだ。君の考えとお母さんの考えは瓜二つだからね。」

 そう言うと、先生は1通の桃色の手紙を差し出した。僕は母の死が受け止められずにいて貰うのに抵抗感があった。でもだからといってこのままではいられない。母を傷つけた僕はもういない。だったら何をするか。僕は手を伸ばし大切な人の記憶の1ピースを受け取った。

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