ツツジの傘

 小袖こそでの上に杜若かきつばたが刺繍された水浅葱みずあさぎ色の打掛うちかけを腰巻にし、光を反射するほどきらびやかな装飾のかんざしをした雪姫ゆきひめは大きな目、整った鼻、そして新雪のように誰も踏み入ることのできない美しさを持っていた。周りには多くの奥女中がいるにもかかわらず一人で座っているような寂寞せきばくを感じさせた。


「あっ、蝶」


 ふわふわと妖艶ようえんに舞う黒い蝶は、真紅しんくのツツジに止まり、ゆっくりと羽を動かしていた。

 ツツジの古木こぼくは大人の男性の背丈ほどあり、剪定の日にもかかわらず、緑の葉を覆い隠すように大きな花が咲き誇っていた。


 雪姫はツツジの花から目線をゆっくりと根の方に移す。そこにあったのは、土で汚れ、日焼けした足。

 人が倒れていると驚いたのも束の間、それはツツジの中でガサガサと音を立てながら伸びをした。そして、枝々のわずかな隙間からその者と目が合った。

 

 ツツジの中で昼寝をしてしまった一樹は、豪華に着飾った女性達が大勢いる状況に自分が場違いなのを悟り、焦った。

 雪姫は一樹の目から焦り具合に気付き、


「一人にせよ」


 凛とした声で奥女中達に命令した。


「姫君様、それはなりませぬ!」


 雪姫の一番傍にいる御年寄おとしよりいさめた。


「なぜじゃ 猪野いいの! このように美しいお庭があるというのに、これでは落ち着いて花を見ることも出来ぬではないか。半刻でよい、一人にせよ」


 彼女の力強い発言ですべての女中が去って行ったが、猪野は最後まで後ろ髪を引かれる様子だった。


 人の歩く音が聞こえなくなり


「もう出てきて大丈夫ですよ」


 と雪姫が一樹に声をかけると、一樹がずりずりとツツジの中から出てきた。


「さーせん‼」


 一樹は勢いよく土下座をした。

 その勢いに驚いた姫は目を大きく見開き、「おもてをお上げください」と言った。


 一樹は恐る恐る顔を上げる。しかし、顔はまるで怒られている子供のようにまぶたは固く閉じられ、唇は一文字に結ばれていた。


「何をなさっていたのですか?」


 一樹が目を開けると、雪姫は柔らかい笑みを浮かべて小首をかしげていた。


「ホント、さーせん! ツツジは、病気にならないように、内側の枝を切って風通しよくしてあげないといけなくて……」


 一樹がぽつぽつと説明すると、姫は理解しようと身を乗り出した。それを見て一樹は緊張から解放された。


「ホントは、花の方を先に剪定してからじゃないといけないんだけど、こんなに綺麗なのに切っちゃうのもったいないなって……。それで中の枝を先に剪定して、風通しを確認するために中に入ったら、うっかり寝ちゃって……」


 そう言った後、自分の失態を思い出して肩をすぼめた。それに対して聞こえてきたのは、必死に笑いをこらえる唇から空気が抜ける音だった。


「きっと、ふふ、人が心地よいところでしたら、ツツジもきっと心地よいでしょうね。ふふ」


 雪姫は袖で口を隠しながら言った。


 一樹は何がそこまで面白いのか分からない様子だったが、そのうち雪姫につられて笑いだした。

 二人の笑い声は段々と大きくなり、雪姫が慌てて人差し指を唇に添え、しーっ と息を押し出す。

 一樹が慌てて泥にまみれた手で口を覆ったため、顔が泥だらけになり、次は雪姫が口を覆って笑いをこらえる羽目になった。


「ツツジのお部屋の中はどのようになっておるのか、お話いただけませぬか?」


「もち!」


 雪姫の質問に一樹が正座からぴょんと立ち上がり張り切って答える。


「天井が丸くなってて、葉の間から花びらが光であかく透けて綺麗だったよ! 晴れた日の傘の中みたい!」


 一樹は腕を精いっぱい広げて説明する。笑顔でうなずいている雪姫に


「見た方がいいよ! おいでよ!」


 と手を差し伸べた。

 雪姫は視線を一瞬地面に落とした後、何かを決心したように立ち上がろうとしたが、


「何者じゃ‼」


 と走ってきた御年寄の言葉にはばまれた。


「姫君様と話すとは無礼者!」


「よい! 猪野! 私がこの植木屋にツツジについてうておったのじゃ」


「まぁ! このような者と口を利かれるなど、あってはならぬことです!」


 猪野が早口で叱り始めると


 騒ぎを聞きつけた御庭番おにわばんが、どこに潜んでいたのかどんどん駆けつけた。その時、真も走ってきて


「すみません!」


 何が何だか分からない様子で突っ立っている一樹の頭を無理やり押さえ、お辞儀をさせ、腕をつかんで連れて帰ろうとした。


「お待ちください! お頼みしたいことがございます!」


 雪姫の大きな呼びかけに周りの人々が一斉に静まった。


わたくしに忘れず草を持ってきてはくれませぬか」


「忘れず草ってなんだっけ? 忘れな草じゃなくて、忘れず……。  ああ! 紫苑しおんのことか! 花が咲くのはまだ先だけど、苗は霧島屋にあると思うよ」 

 

 そう言って、一樹の顔がぱっと子供のような無邪気な顔に変わった。


「そうだっ! 霧島屋に姫様が取りに来るといいよ!」



「まぁ! なんと無礼な!」

「おめぇ‼ 味噌汁で顔洗って出直してこい!」


 猪野の声と、いつの間にか駆けつけてきていた亀吉の声が同時に一樹を叱った。


「うちの者が大変な無礼を……」


 亀吉は姫と猪野に謝罪をしたが、膝に置かれたこぶし畏怖いふの念の表れか、小刻みに震えていた。

 

「姫君様! このような者など相手にしてはなりませぬ! 花はこちらでご用意致します」


 猪野がたしなめると一樹が負けじと


「待って待って! 江戸城のお庭は畑まであって面白いけど、霧島屋も珍しい木や花がたくさんあって楽しいよ!」


 と大きな声で言った。


「一樹! てめぇはすっこんでろ!」

「この者の無礼な行いはあっしの責任です。どんなお罰しでも受けさせていただきます」


 いさぎよい亀吉に一樹と猪野は押し黙った。


「ただ最後に、こいつがやり残したツツジの剪定をさせてはいただけねぇでしょうか。ツツジは花が終わるとすぐに花芽かがが付きやす。今でなけりゃいけねぇんです」


 亀吉は頭を一層地面に近づけ嘆願たんがんする。


名残惜なごりおしゅうございますが、それが花のためなら……仕方ありませぬ」


 雪姫は穏やかな口調で答え、三人は礼を言ってツツジの剪定を始めた。

 猪野は姫に部屋へ移るように促しながら、最後まで植木屋三人をにらみつけていた。


 

  

 

 江戸城からの帰り、三人と大八車が土を踏みしめる音はどことなく愁然しゅうぜんを帯びていた。一樹と真は、暗い面持ちで大八車を引き続け、亀吉はそれをんでか、一言もしゃべらず、同じスピードで歩を進めた。


「あと一日だけでも姫様に綺麗なツツジを残しておいてあげたかったなぁ」


 一樹の風に消えそうな声を亀吉は聞き逃さなかった。


「おめぇ、これできっと霧島屋は出入り禁止だぜ。仕事を残して帰るなんざ出来ねぇだろ」


 それを聞いて一樹は、ばつが悪そうに下を向いた。


「それにな、花は名残惜しいからいいってもんよ。あでやかな花は人の心に焼き付いて、あの花がまた見てぇなって思わせる。それが人の生きる意味になんだ」


 亀吉は表情を変えず大八車の隣を歩いた。


「生きる意味って大袈裟おおげさな……」


 それまで黙っていた真が呟やいた。


「大袈裟じゃねえ。お前も霧島屋の客の熱心な顔を見ただろ! 買って帰って、家族と花や葉をでる奴もいりゃ、変わった花を咲かせる奴もいる」


「うん! 江戸の人の園芸熱ってすごいね!」


 一樹の明るい声に亀吉の表情も晴れやかになり、


「二軒隣の酒飲みの兵九郎へいくろうなんざ、珍しいかえでができたって自慢して歩いてたな。でも新芽に虫がつくんじゃねぇかっておちおち酒も飲んでられねぇって言ってたぜ!」


 と豪快に白い歯を見せた。


「あっしが育てた花が今日も誰かの生きる意味になる。それがあっしの生きる意味だ!」


 亀吉は満足気に笑みを浮かべた。


「真! おめぇ、好きなことはあるか?」


 亀吉の急な問いに真は、好きなことは何かなんて考えたこともなかったな……と思った。未来を決定づける責任から逃れ、好きなこと、やりたいことはないと進路希望調査書には両親が勧める進路を書いていた。


「どうせおめぇ、カピタンの格好をしたのは一樹に付き合っただけだろ? 好きなもんは好きって誰の事も気にしねぇで言えよ。好きなもんはすぐに散ってしまうからよ! ま、こいつは気にしなさすぎだけどな!」


 とガシッと一樹の頭を掴んだ。

                

 


 

 数日後、役人から書状が手渡された。身元が分からない一樹と真は城に入ることを禁じられたが、公方様のお計らいで、霧島屋は引き続き江戸城に出入りを許された。


 一樹の事件は霧島屋の看板に大きく泥を塗ることとなったが、一樹を責める者は誰もいなかった。


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